フェンシング日本代表・櫛橋茉由選手(28歳)

日本には、まだ帰らない。フェンシングで東京五輪に出たいから。

フェンシング日本代表・櫛橋茉由選手(28歳) 「自分ができると思えばできるし、できないと思えばできない」。東京オリンピック出場を目指し、会社を辞めて、フェンシングの本場イタリアに留学。異国での「日本じゃありえない」トラブル続きの生活を送りながら、試合のために世界各地を転戦している。

 イタリアに渡ったのは2年前。いまのコーチは世界でもトップレベルですが、YouTubeで見つけてコンタクトしました。「指導を受けたい」とメッセージを送ったところ、「すぐにこっちに来なさい」といわれて(笑)。さすがにそれは……ということで、母と一緒に1回下見に行って、安全かどうか確認してから留学を決めました。住んでいるのはイタリア北部にあるサンジョルノ・ディ・ノガーロという人口約7千人あまりの小さな町。ベネチアから電車で1時間くらいのところにあります。語学学校に通いながら、コーチが所属するフェンシング・クラブングで練習しています。ちなみに私はメンタルコーチもつけていますが、彼もネットで探しました。指導はスカイプとかメールで受けています。

子どもの頃から、チャンバラごっこが好きだった

 フェンシングを始めたきっかけですか? もともと子どもの頃からチャンバラごっこが好きだったんです。中学時代から競技を始めて、ジュニアの世界選手権に出たり、国体で優勝したりしたこともあります。続けているうちに「もっと上を目指したい」という思いが強くなりました。フェンシングは2008年、太田雄貴さんが北京オリンピックで銀メダルをとって注目されるようになりましたが、日本ではまだマイナースポーツです。コーチも少ないし、練習する環境も十分ではない。強くなるためには海外に行かなくてはダメだ、行くなら本場のイタリアに、と思っていました。

 でも、留学しようにも先立つものがない。そこで大学卒業後、信用金庫に勤めながら競技を続けました。もちろん、ちゃんと仕事もしましたよ。広報の仕事もしましたし、店舗の窓口に座ってお客さんの対応もしました。4年間働いて、退職金も含めて500万円くらい貯まったところで会社を辞めました。今でこそ、日本のフェンシングの選手も海外に留学するようになりましたが、当時はいなかったように思います。

生活も戦いの連続。お風呂が壊れて、お鍋で沸かしたお湯で体を拭いたことも

 部屋はルームシェアをして、貯金を取り崩しながらのケチケチ生活を送っています。イタリアは税金が高いけど、食べ物や飲み物は安いので助かっています。でも、昨年から日本代表になったので、世界各地への遠征試合でお金がかかって……。現在、残高が加速度的に減少中です(笑)。自分でオリジナルグッズを作成し、こちらでの様子を書いた原稿をネットで販売して、なんとか費用の足しにしようと悪戦苦闘していますが、なかなか稼げませんね。
ここでは生活も戦いの連続です。例えば、お風呂のガス給湯器が壊れても、日本のようにすぐに修理に来てくれません。仕方がないのでお鍋でお湯を沸かして体を拭いていたこともありました。しかも、小さな町なのでなんにもない。公的な手続きやちょっとした買い物は近隣まで出かけなくてはなりません。そうそう、日本から持ってきた耳かきをなくしてしまった時はちょっと焦りましたね。イタリア人はふつう耳かきを使いませんから、薬局にもありません。1時間かけてベネチアまで出かけ、アジア人向けの雑貨店に行って買い直しました。久しぶりに耳かきで耳掃除したときの快感といったら……忘れられない思い出ですね。

日本に帰って競技生活を続けたほうが楽かな、と思うこともあるけれど

 ヨーロッパは全体的に人種差別が厳しいのですが、イタリアも例外ではありません。特にフェンシングはヨーロッパの上流階級で発展したスポーツです。最初の頃はイタリア国内の試合に出ると、審判が明らかにイタリア人選手をひいきするので閉口しました。フェンシングは審判の判定で勝敗が大きく左右されますから、これはもう、致命的なんです。私のコーチがキレて、審判に抗議してくれたことが何度もあります。ただし、やっぱり慣れと言葉は重要ですね。私がイタリア語を話せるようになってきたら、審判の対応も変わって来たように思います。それとイタリアの国内試合によく出場するので、存在が認知されてきたことも関係があるのかなあ。

 留学して2年。日本代表になったし、フェンシングのスキルは確実に上がってきたように思います。経済的なことを考えると、日本に帰って競技生活を続けた方が楽かなと思うこともありますが、やっぱり、このままイタリアにいた方がいいというのが結論です。日本はなんでもあるし、便利だし安全だし、いいことだらけのように思えますが、逆にいうと、平和すぎて、メリハリがない。闘争心やハングリー精神がわきません。
日本の若い選手たちに海外で会うと、携帯電話や荷物を置きっぱなしにして席を立ったりしますが、こっちは置き引きも多いですから、「ほら、そんなことをしたら盗まれるよ!」って、つい教育的指導をしてしまう(笑)。問題多発の異国(笑)で暮らしているからこそ、たくましくなれる気がしています。アスリートに必要な自己管理能力やアグレッシブな姿勢は、不便さや不自由さ、油断できない環境の中でこそ磨かれるのかもしれません。

東京オリンピックに出たい。イタリアと日本の橋渡し役としても働きたい

 というわけで、イタリアには最低でもあと2年はいるつもりです。今年1月には日本のジュニア選手たちに私のコーチを紹介し、この町で合宿をしました。日本のフェンシングの底上げに協力できないか、と思っていたので嬉しかったです。私自身も東京オリンピック出場という大きな目標を持っていますし、引退後もコーチとしてフェンシングに携わっていけたらいいなと思ってもいますが、実はそれだけでいいのかなとも考えていて、イタリアの大学に入る準備も進めています。
ビジネスにも興味があって、イタリアの優れた絵本や雑貨を日本に紹介するような橋渡し役みたいな仕事ができたらいいかな、と。私、関西出身なんですが、そんな私の話を聞くと、友人たちはみんな口をそろえてこういうんです。「何してんの?ええな。あんたは自由で……」。

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