「私のために働く」。子育てが終わった今、思うこと
●太田彩子の「キャリアを上って、山に登る」07
今年42歳になる先輩女性、太田彩子さんは、まさに“バリキャリ”な女性でした。21歳で出産して以来、子育てをしながら仕事に取り組み、リクルートのトップセールスとして活躍後、株式会社ベレフェクトを起業し、日本最大級の営業女性コミュニティ「営業部女子課」を主宰。ほかにも社外取締役など多岐に渡る活動をしています。ここ数年は海外遠征をするほど本格的に登山に取り組み、昨年には心理学を研究するために筑波大学大学院に入学しました。
そんな彼女に、これまでを振り返ってもらう本連載、太田彩子さんの「キャリアを上って、山に登る」。第7回目は、「子育てが終わった今、思うこと」について伺います。
息子の思春期には本当に悩んだ
私は21歳のときに出産しました。子育てと仕事を両立するために、実家やベビーシッターなど、あらゆる資源を使っていました。当時は「3歳児神話」や、子どもを誰かに預けてまで働くことについてはいろいろ言われたりもしましたけど、ひとり親になってしまったので、家族を養うために働かざるを得ない状況でした。悠長なことは言っていられません。
子どもが小さい頃は、物理的な拘束時間が長くて、とにかく自分の時間なんてない。1日が終わってベッドにも潜り込んだときに、やっと今日も終えたとホッとすると同時に、数時間後にまた戦争のような忙しい朝の始まりでした。一方で子どもの成長とともに増えるのが、精神的な負担。子供が小さいときの大変さとはまた別の苦労が、息子の思春期でした。
今では仲が良いし、当時のことは笑い話になっていますが、あの頃はどう子どもと向き合えばいいのか、毎日悶々としていました。当時、思春期だった息子は笑っていたと思ったら、次の瞬間に暴言を吐き出す。態度が瞬時に変わって、親としてどうすればいいかもわからない。例えば、早起きして一生懸命作った弁当に対して、「こんな弁当食べられない」といったように反発ばかりしてくるんです。仕事で疲れて帰ってきても、また暴言を吐かれるかもしれないと思うと怖くなってしまって、帰宅恐怖症になったこともありました。
どうして息子は理解をしてくれないんだろう。先輩ママや心理カウンセラーなど、知人から専門家までいろいろな人に相談しました。そこで言われたのは、「自由にさせなさい。なんとかなるから。」ということでした。
考え方を変えたら、息子の暴言もぴったり止んだ
それまでの私は、「子育てはこうあるべき」とか「親の言うことを子どもは聞くべき」といった、理想像ばかりを押し付けていたんですよね。その通りにならない子どもに苛立ちを感じていた。普通に考えれば、子育てなんてうまくいかないのは分かりきっているのに、私は「あるべき論」ばかり押し付けていたのです。
何を言っても反発するのは息子の成長課題だとも教わりました。私は本人の意思をないがしろにして、正論ばかりを言っていた。たとえば進路を決めるのも、成長してくれば息子にも意思が生まれてくる。情報は与えられるけど、決めるのは本人です。
また、思春期は成長過程の一つで、健全な発達だから安心していい、とも教わり、すごくラクになりました。私自身の考えを変えたら、やがて反抗期は終わり、あの時が嘘のような笑い話になっています。
「仕事って面白いな」と感じられるようになったら、伸び伸び生きられるようになった
息子はもう大学生になって、子育ては終わったのも同然です。これまでの子育てを振り返って思うこと。それは、働き始めた当初は、「稼ぐため」「お金のため」であったのが、徐々に「「働きたいから働くんだ」が上回る理由になり、伸び伸びと生きられるようになったということです。
「子どものために働く」というのは、耳触りはいいけれど、犠牲にしている感じがあります。私はひとり親だったため、「子どものために働かなきゃいけない」という理由で仕事を始めましたが「やっぱり仕事って面白いな」と思えるようになってから、誰のせいにもできなくなりました。「家族のために」という外発的な動機も大事ですが、「私のためにも働きたい」という内発的な動機。内発的動機が上回るほうが、結果的にうまくいくような気がします。
自分の人生の責任を取るのはやっぱり自分。世の中には「母親はこうあるべき」という決めつけは多いけれど、そう言っている人が私の人生の責任を取ってくれるわけではありません。
だからこそ、常識や他人からの無意識な偏見に惑わされず、「私はどうしたいのか」と自分の言葉で表すことが大切です。宣言効果、という言葉があるように、自分で口に出した言葉は叶えられやすいのです。