ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」08
【ふかわりょう】真夜中の蛙
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」08
真夜中の蛙
まず思い出したのが、電車の中。混んでいるときは、停車すると扉付近の人も一旦ホームにでるものですが、時折いる、頑なに動かず柱にしがみついている人。波に押されて少しぶつかると、その倍の力で押し戻してくるあの感じ。あの力に似ていました。もう一つは、中学時代のS。
Sはいわゆるいじめられっ子で、みんなにからかわれ、いつもビクビクしています。昨今のような陰湿なものではなかったけれど、そういうのに関わりたくなかった僕は、ほとんど接したことがありませんでした。しかし、何かの拍子に彼に触れた時、からかわれると思ったのか、ものすごい力で押し戻してきたのです。ひ弱なイメージだったSに、こんな力があったなんて。
* * *
「ん?」
車を降りて家に入ろうとすると、道路に気配を感じます。このような時に感じる違和感は意外と信頼があり、気のせいだったことがありません。そんな実績から、僕は、暗い道を少し歩いてみました。
「やっぱり……」
アスファルトにしがみつくように、大きな蛙。暗闇の中でじっとしています。何蛙かわかりませんが、非常にどっしりとした重量感。おそらく女性だったら悲鳴をあげているでしょう。これまで幾度もイカ焼きのようにぺしゃんこになった蛙を見てきているので、住宅街とはいえ、このままでは危険です。流石に手掴みというわけにはいきません。
「ここにいたら轢(ひ)かれちゃうよ」
プラスチックのちりとりを手にしていました。すくい上げるようにプラスチックを滑り込ませようというプランですが、その拍子にこちらに飛びかかってきたら、それこそ夜中の住宅街に悲鳴が轟(とどろ)きます。
「轢き蛙になりたくないだろう?」
そう言って、二の腕の部分を押し、端に行くように誘導した時です。
「え?」
ものすごい力でした。じっとしたまま、プラスチックを振り払います。突いた以上の、押し戻す力。それにしても、自分より何十倍もの大きな怪物に凶器をあてられて、退散どころか、果敢に立ち向かう姿に驚きを隠せない午前2時。
「なんだよ、邪魔すんなよ」
「こんなとこにいると危ないよ?」
「わかってるよ、こっちだってこんな早く梅雨が開けると思わなかったんだから」
「どこへ行くんだい?」
「まぁ、とりあえず快適に過ごせる場所だな。今年は猛暑になるらしいからね」
「蛙にも避暑地があるんだ。とにかくここじゃ危ないから、渡るなら、早く渡らないと」
そういうと、蛙は大きな体を動かし、戻って行きました。
「君、Sじゃないよね?」
「S? 何のことだい?」
一台のタクシーが通り抜けて行きます。
* * *
「よかった……」
翌朝、陽に照らされた道路の上には、蛙焼きはありませんでした。いつもより早い梅雨明け。あの蛙にも、素敵な夏が訪れますように。
タイトル写真:坂脇卓也