【ふかわりょう】溺れる羊
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」07
溺れる羊
「一度仰向けになってしまうと、そのまま死んでしまう」
このことを知ってから僕は、仰向けになっている羊を探すようになりました。
* * *
僕がアイスランドを訪れるようになったのは、10年ほど前。その頃は、まだ日本で北欧が注目されておらず、まるで南極大陸にでも行くかのような目を向けられたものです。実際、ガイドブックなどもほとんど存在せず、情報も乏しい中で訪れる北緯66度の島は、思っていたほど「アイス」ではなく、居心地のいい場所でした。
「地球が生きていることを確認したい」
そんな名目で訪れてみれば、地球というよりまるで別の惑星に降り立ったかのような気分。空気も、風も、色彩も、普段生活している時に感じるものとは全然違います。また、手つかずの自然に覆われた暮らしは、人間が、自然の、そして地球の子どもたちであることを実感しました。そうして毎年訪れるようになって3度目のこと。
「マシュマロだ……」
不思議な感覚でした。草原でのんびり草を食(は)んでいる羊たち。陽光をたっぷり浴びて、ふわふわのマシュマロのように見えてくると、無性に愛おしくなってきました。それから、レンズは羊たちばかりに向けられるようになります。放牧というと、柵の中で飼育されているのをイメージするでしょうが、この島は、いろんなところで羊たちに遭遇します。果てしなく続く荒涼とした大地。妙な孤独感に襲われている時、白くてまあるい羊たちの姿が、心をうるおしてくれるのです。そんな機会が重なって、あの瞬間へと繋がったのかもしれません。
それ以降は、羊たちに会いに行く旅になりました。特定の羊がいるわけではありませんが、フィヨルドの入江だったり、岩肌の露わになった山だったり、様々な色彩の中でのんびり草を食んでいる羊たちを眺めていました。
「おーい!」
そうやって声をかけると、一斉に顔をあげてこちらを向きます。どんなに遠くにいても、風が声を届けてくれるのです。
ある日、様子のおかしい羊がいました。一頭だけ仰向けになっています。一見、じゃれてふざけているのかと思いました。しかし、近づいてみると、異変に気づきました。ほかの羊たちは近づくと離れて行ってしまうのに、その羊だけ逃げずに、呻(な)き声をあげて脚をバタバタさせています。
「起き上がれないのか…」
草叢(くさむら)で仰向けになっている羊は、まるで溺れているようでした。どうしていいかわからないけれど、このまま立ち去るわけに行きません。戸惑いながら自分の両腕を、羊の背中と地面の間にゆっくり押し入れました。タプタプと、お湯が入っているかのように生温かい体。激しく呻く声が響く中、ゴロンと転がすようにひっくり返しました。どうにか起き上がった羊はびっくりしたようにこちらをみると、よろよろともたつきながら、群れの方に帰って行きました。
ホテルで調べると、羊は一度仰向けになってしまうと、体が重たいので自ら戻ることができず、喉にガスが溜まって窒息してしまうとのこと。だから、羊飼いが見張っているのです。
それから何頭の羊をひっくり返したでしょう。見つけたら、車を降りて急いで駆け寄ります。手遅れだったこともありました。羊飼いではないけれど、あの感触は今も残っています。もし溺れる羊を見かけたら、ぜひひっくり返してあげてください。自分では起き上がれないのですから。
タイトル写真:坂脇卓也
