さとゆみ#173 太った言葉をシェイプし、錆びた言葉を甦らせる。『老人ホームで死ぬほどモテたい』
本という贅沢#173『老人ホームで死ぬほどモテたい』(上坂あゆ美・東直子監修/書肆侃侃房)
命拾いした。ガチでそう思った本を紹介させて。
作者は沼津出身の1991年生まれ。発売前重版した短歌集。
2023年仕事はじめ。この本に出会わなかったら、マジ、危なかったと思った。感謝です。
・・・・・・・・・・
去年の11月くらいから、全体的に調子が悪かった。完全に、仕事のしすぎだと思う。
毎日毎日、膨大な量の文章と格闘していた。
最初はくっきりしていた文字の輪郭が、どんどん曖昧になっていく。楷書体やヒラギノ明朝ProNくらいで見えていた文字が、どんどんファットになって、ヒラギノ角ゴStdNくらいになって、しまいには相撲文字くらいのだんごに見えてきた。
文字に垢がつきすぎて、それがもう元の文字より分厚い地層になっている。言葉の輪郭が全然つかめない。塊にしか見えない。
綺麗な音に聞こえていた文章も、どんどんくぐもっていく。
美しい文章を読んでいるとき、言葉はぽろんぽろんと竪琴の音のように耳に届く。文字がひとつひとつ、つぶつぶしていて、だいたいがスタッカートで小気味よく、ときどきスラーでなめらかに聞こえる。
これが、どんどんにごっていった。最初は、ん? ちょっと聞き取りにくい? というくらい。それがだんだん、プールの中で聞く声のような音になり、最後にはかろうじて振動を感じるくらいになった。
こういう病はちょっとずつ進行する。だから最初は自覚症状がなかった。
ん? ちょっと疲れてるかな。それくらい。
でもその間にも身体は蝕まれていって、毎日ちょっとずつ、五感が死んでいった。これは絶対おかしいと思ったのは、年始。
沖縄の離島で綺麗な砂浜に座っていたときに、気づいた。
言葉が立ち上がってこない。
感情を動かすメモリが作動していない。
しかも、ちょっとやそっとのアーシングレベルで戻ってくる気がしない。
やべえな、これ、死ぬやつだ。
直感的に、そう思った。
いやこれは、大袈裟な話じゃなくて、物書きの自分が文字を見失ったら、それは死ぬる。
東京に戻ったら少しはモードが変わるかと、一抹の期待を抱いて帰京した。家に入り、まずは年末ジャンボの結果見ようと思って神棚に手を伸ばしたら、壁に固定されていたはずの神棚が落ちてきた。突然降ってきた神棚で頭をしこたまぶった私は、ああ、これ本格的にやべえと思った。直感と運のみで生きている私が、両方失ったら、これは死ぬる。
こういうときはどうすればいいんだっけ。
とりあえず、ゆきさんだ。
そう思った私は、もうだいぶ長いお付き合いになる友人の占い師さんに連絡をする。
ゆきさん、2023年、私、どんな?
そう聞くと、ゆきさんはちょっとの間のあと、言う。
「ああ、さとゆみさん。これはすごい。すごいことなるわ。いい一年や。めちゃくちゃ忙しくなるで」
「い、いま以上に?」
「そうやな。仕事がものすごく広がる。大きうなるわ。去年なんかやっとったろ、後輩さん集まって。蒔いてた種が花開くなあ」
ゆきさんとは、付き合いが長すぎて、もう、占いっていうかほとんどコンサルに近い。
「い、忙しくなる?」
「うん。なるなあ。大きく進む一年やで。運気ええなあ」
「う、うん」
運気が悪くないのは、よかったような。
もっと忙しくなると聞いて、ぐったりしたような。
ゆきさんが、最後に言う。
「ああ、あと今年、えらいモテるなあ」。
それは、たいへん、良い知らせです。
ちょっとだけ浮上する。
水中からなんとか顔だけ出して呼吸した私は、もう一度、こういうときはどうすればいいんだっけ? と考える。
深夜2時、ネットの海をさまよっていたら、この本に出会った。
『老人ホームで死ぬほどモテたい』
終活の本だろうか。そう思って著者プロフィールを見ると1991年生まれとある。ちょっと意味がわからない。短歌集みたいだな。短歌、か。
そのままケータイをスクロールすると、5首だけ、内容紹介に短歌が載っていた。
ぞくぞくっとする。かっと毛穴が開いた。これだ、多分。と思う。
ぽちっと。
そして、冒頭に戻る。
ああ、よかった。命拾いした。
私、これ読んで、言葉をもう一回取り戻した。
ばあちゃんの骨のつまみ方燃やし方YouTuberに教えてもらう
マスカラが目尻の皺についたまま献花の前でうつくしい母
最終版_修正_修正.doc 終わりって本当にあるんだ
最初の3首を読んだところで、目の前に、映像がぱっと広がる。そして気づく。世界に鮮やかな色がある。そうか、これまで色もあせていたのか。
次も読みたい、早く読みたい。
でも、ゆっくり、ゆっくり。
一首、身体に取り込むごとに、細胞が動き出すのがわかる。こういうのって本当にわかるのだ。
韓国垢すりエステで全身磨いてもらったときのように、ぶくぶくのブヨブヨになっていた私の言葉たちから、少しずつ垢が落とされていく。
ああ、ありがとう って言葉はこういう輪郭をしていた。
せつない って言葉は、たしかに、こういう顔つきをしていた。
この感覚を、どう表現すれば良いだろう。
指の末端にまで、毛先の先まで、知覚が戻ってくる感じ。
短歌という31文字。厳しく選び抜かれ、削ぎ落とされた言葉たちは、とてもソリッドでそこにある。
ちょっとやそっとのことでは揺らがない。
言葉の強度と色鮮やかさに、ハッとする。
そして触ると、ざらっとする。
でも同時に、そこに置かれた言葉は、すごくやわらかく侵食してくる。
点滴のように、血液の中に取り込まれて四肢を満たす。リキッドだ。
この感覚、前にも味わったことがあると記憶を辿って思い出した。
最初の緊急事態宣言の時だ。
チカチカと点滅する言葉たち、大音量でがなる言葉たちに、目と耳をやられそうになったとき、そういえば私は詩集を読んで、言葉を取り戻した。
あのときも思ったのだった。これ、薬みたいだなって。
はあああああ。よかった。
今年の仕事はじめに、この本に出会えてよかった。
まだ全部ではないけれど、まるまると太って誰が誰だかわからなかった文字の形が、ちゃんとくびれを持って、見えてきた。もうすぐ、そのプロポーションがくっきり見えてくるだろう。
これ、2023年、良い年になるな。
あと、モテるのも、いいな。タイトルの意味は、読む前想像していたのと全然違ったけれど、私もそっちの意味でモテたいと思った。できれば老人ホーム前に。
●佐藤友美さんの新刊『書く仕事がしたい』が10月30日に発売!
『書く仕事がしたい』
著:佐藤友美
発行:CCCメディアハウス
書く仕事を20年以上続けてきた佐藤友美さんが、「書くこと以上に大切な、書く仕事のリアル」についてまとめました。 書く仕事がしたいと考えたり、長く物書きとして生計を立てていきたいと思っていたりする方にオススメの1冊です。
●佐藤友美さんの近刊『髪のこと、これで、ぜんぶ。』は発売中!
『髪のこと、これで、ぜんぶ。』
著:佐藤友美
発行:かんき出版
「本という贅沢」でおなじみで、ヘアライターとしても約20年にわたり第一線で活躍してきた佐藤友美さんの新刊が発売。 髪にまつわる「293の知っておくと良いこと」が1冊につまっています。