●本という贅沢#173

さとゆみ#173 太った言葉をシェイプし、錆びた言葉を甦らせる。『老人ホームで死ぬほどモテたい』

2023年最初のコラム「本という贅沢」。疲弊していた書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、「言葉をもう一回取り戻した」という短歌集を紹介します。
さとゆみ#172 年末年始に読めば、2023年仕事も人生も頑張れちゃうかも? 3選

本という贅沢#173『老人ホームで死ぬほどモテたい』(上坂あゆ美・東直子監修/書肆侃侃房)

命拾いした。ガチでそう思った本を紹介させて。
作者は沼津出身の1991年生まれ。発売前重版した短歌集。

2023年仕事はじめ。この本に出会わなかったら、マジ、危なかったと思った。感謝です。

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去年の11月くらいから、全体的に調子が悪かった。完全に、仕事のしすぎだと思う。

毎日毎日、膨大な量の文章と格闘していた。
最初はくっきりしていた文字の輪郭が、どんどん曖昧になっていく。楷書体やヒラギノ明朝ProNくらいで見えていた文字が、どんどんファットになって、ヒラギノ角ゴStdNくらいになって、しまいには相撲文字くらいのだんごに見えてきた。
文字に垢がつきすぎて、それがもう元の文字より分厚い地層になっている。言葉の輪郭が全然つかめない。塊にしか見えない。

綺麗な音に聞こえていた文章も、どんどんくぐもっていく。
美しい文章を読んでいるとき、言葉はぽろんぽろんと竪琴の音のように耳に届く。文字がひとつひとつ、つぶつぶしていて、だいたいがスタッカートで小気味よく、ときどきスラーでなめらかに聞こえる。
これが、どんどんにごっていった。最初は、ん? ちょっと聞き取りにくい? というくらい。それがだんだん、プールの中で聞く声のような音になり、最後にはかろうじて振動を感じるくらいになった。

こういう病はちょっとずつ進行する。だから最初は自覚症状がなかった。
ん? ちょっと疲れてるかな。それくらい。
でもその間にも身体は蝕まれていって、毎日ちょっとずつ、五感が死んでいった。これは絶対おかしいと思ったのは、年始。
沖縄の離島で綺麗な砂浜に座っていたときに、気づいた。

言葉が立ち上がってこない。
感情を動かすメモリが作動していない。
しかも、ちょっとやそっとのアーシングレベルで戻ってくる気がしない。

やべえな、これ、死ぬやつだ。
直感的に、そう思った。

いやこれは、大袈裟な話じゃなくて、物書きの自分が文字を見失ったら、それは死ぬる。

東京に戻ったら少しはモードが変わるかと、一抹の期待を抱いて帰京した。家に入り、まずは年末ジャンボの結果見ようと思って神棚に手を伸ばしたら、壁に固定されていたはずの神棚が落ちてきた。突然降ってきた神棚で頭をしこたまぶった私は、ああ、これ本格的にやべえと思った。直感と運のみで生きている私が、両方失ったら、これは死ぬる。

こういうときはどうすればいいんだっけ。
とりあえず、ゆきさんだ。
そう思った私は、もうだいぶ長いお付き合いになる友人の占い師さんに連絡をする。

ゆきさん、2023年、私、どんな?

そう聞くと、ゆきさんはちょっとの間のあと、言う。
「ああ、さとゆみさん。これはすごい。すごいことなるわ。いい一年や。めちゃくちゃ忙しくなるで」
「い、いま以上に?」
「そうやな。仕事がものすごく広がる。大きうなるわ。去年なんかやっとったろ、後輩さん集まって。蒔いてた種が花開くなあ」

ゆきさんとは、付き合いが長すぎて、もう、占いっていうかほとんどコンサルに近い。

「い、忙しくなる?」
「うん。なるなあ。大きく進む一年やで。運気ええなあ」
「う、うん」

運気が悪くないのは、よかったような。
もっと忙しくなると聞いて、ぐったりしたような。

ゆきさんが、最後に言う。
「ああ、あと今年、えらいモテるなあ」。

それは、たいへん、良い知らせです。
ちょっとだけ浮上する。

水中からなんとか顔だけ出して呼吸した私は、もう一度、こういうときはどうすればいいんだっけ? と考える。
深夜2時、ネットの海をさまよっていたら、この本に出会った。

『老人ホームで死ぬほどモテたい』

終活の本だろうか。そう思って著者プロフィールを見ると1991年生まれとある。ちょっと意味がわからない。短歌集みたいだな。短歌、か。

そのままケータイをスクロールすると、5首だけ、内容紹介に短歌が載っていた。
ぞくぞくっとする。かっと毛穴が開いた。これだ、多分。と思う。
ぽちっと。

そして、冒頭に戻る。
ああ、よかった。命拾いした。

私、これ読んで、言葉をもう一回取り戻した。

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最初の3首を読んだところで、目の前に、映像がぱっと広がる。そして気づく。世界に鮮やかな色がある。そうか、これまで色もあせていたのか。

次も読みたい、早く読みたい。
でも、ゆっくり、ゆっくり。

一首、身体に取り込むごとに、細胞が動き出すのがわかる。こういうのって本当にわかるのだ。

韓国垢すりエステで全身磨いてもらったときのように、ぶくぶくのブヨブヨになっていた私の言葉たちから、少しずつ垢が落とされていく。
ああ、ありがとう って言葉はこういう輪郭をしていた。
せつない って言葉は、たしかに、こういう顔つきをしていた。

この感覚を、どう表現すれば良いだろう。
指の末端にまで、毛先の先まで、知覚が戻ってくる感じ。

短歌という31文字。厳しく選び抜かれ、削ぎ落とされた言葉たちは、とてもソリッドでそこにある。
ちょっとやそっとのことでは揺らがない。
言葉の強度と色鮮やかさに、ハッとする。
そして触ると、ざらっとする。

でも同時に、そこに置かれた言葉は、すごくやわらかく侵食してくる。
点滴のように、血液の中に取り込まれて四肢を満たす。リキッドだ。

この感覚、前にも味わったことがあると記憶を辿って思い出した。
最初の緊急事態宣言の時だ。

チカチカと点滅する言葉たち、大音量でがなる言葉たちに、目と耳をやられそうになったとき、そういえば私は詩集を読んで、言葉を取り戻した。
あのときも思ったのだった。これ、薬みたいだなって。

はあああああ。よかった。
今年の仕事はじめに、この本に出会えてよかった。
まだ全部ではないけれど、まるまると太って誰が誰だかわからなかった文字の形が、ちゃんとくびれを持って、見えてきた。もうすぐ、そのプロポーションがくっきり見えてくるだろう。

これ、2023年、良い年になるな。
あと、モテるのも、いいな。タイトルの意味は、読む前想像していたのと全然違ったけれど、私もそっちの意味でモテたいと思った。できれば老人ホーム前に。

 

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さとゆみ#172 年末年始に読めば、2023年仕事も人生も頑張れちゃうかも? 3選
ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。