生理の不調、卵子凍結に悩んだスプツニ子!さん 女性の健康問題解決へスタートアップ

アートとテクノロジーを融合させ、ジェンダーに関する型にはまらない作品を発表してきたアーティストのスプツニ子!さん。生理や妊娠など女性特有の体の問題のケアと、多様性ある組織作りを支援するサービスを提供する「Cradle(クレードル)」を立ち上げました。きっかけは、自身も生理の不調や妊娠・出産に悩み、卵子凍結をした経験。かねて女性の体と生き方の問題について発信してきたtelling,の編集長・柏木友紀が、その思いに迫りました。
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――今回設立されたクレードルは、日本語に訳すと「ゆりかご」という意味です。具体的にはどんな事業なのですか?

スプツニ子!: 生理や更年期、妊娠・出産、不妊治療など、女性の体をケアすることを軸に、企業のダイバーシティ・アンド・インクルージョン(D&I)もサポートするサービスです。本来は男性、女性だけでなくLGBTQとか、国籍とか、色んなバックグラウンドの人が共に暮らす多様性が日本にも必要ですが、男女のジェンダーギャップ指数さえ116位(2022年)という状況。日本ではまず、女性がもっと自分らしく働けて輝ける社会にしなくてはと思うのです。

その時に女性の体の問題は、とても大事な課題だと思います。だから、ともすれば「個人の問題」に追いやられてきた体のことについて、企業が正面から考えてサポートするカルチャーを作りたいと考えています。手がけているのは、専門医やD&Iのキーパーソンらによるセミナーや、提携する医療機関での婦人科検診や不妊治療等のサポート、企業横断型の勉強会などの提供で、資生堂やデロイトトーマツ、ヤフーといった企業にご利用いただいています。

――そうしたサービスを立ち上げたきっかけは?

スプツニ子!: 私はアーティストとして、テクノロジーとジェンダーについて考える作品をつくってきて、美術館などで展示し、メディアなどで発信する機会にも恵まれてきました。今回は、それに加えて、プロダクトやサービスという形で、より多くの女性の働き方やライフスタイルに影響を与え、可能性を広げたいと思ったのです。

最近、女性の体の課題をテクノロジーで解決しようという「フェムテック」という言葉が取り上げられるようになりました。しかし、これまで女性のエンジニアや起業家が少なかったこともあり、女性が「本当に欲しいな、必要だな」と思えるような健康課題を解決するようなサービスは、まだあまり多くはありません。

多くの企業や女性社員にヒアリングした中で、生理や更年期、妊娠・出産などで悩んでる女性がたくさんいて、そうした体の課題が仕事やキャリアに大きな影響を与えていることが分かりました。医療の力を借りれば改善することも多いにも関わらず、「仕方がない」「当たり前」と思い込んでいる女性も少なくありません。タブー視された時間が長かった分、女性は男性にその課題を共有しないというカルチャーがあり、男性側は知らない。だから無自覚に、課題を「ないもの」として会社組織を設計するので、そのズレが広がっているなと思いました。

男性が生理を疑似体験する「生理マシーン」をつくるぐらい、女性の体の問題に関心があった私は、そうした課題を少しでも解決できるようなプロダクトやサービスを立ち上げたいと思ったのです。

自身の不調からつくった「生理マシーン」

――ジェンダーを巡るタブーに挑戦するような作品をつくるようになったのはなぜですか。

スプツニ子!: 以前から自身の体の課題について色々と考えることがありました。私自身、月経のマネジメントにはものすごく苦しんできました。15歳から生理痛がひどく、18歳になってイギリスに渡り、婦人科で相談したら、ピルを無料でいっぱいもらいました。イギリスでは基本的に低用量ピルは無料で、緊急アフターピルは薬局で買えます。服用すると、生理痛がかなり改善され、調子が良くなっていきました。毎月のことだから、人生がひっくり返るぐらい違う。

なぜ日本で、この知識にアクセスできなかったんだろうと思った私は、ピルについてリサーチを始めました。そして日本はピルの承認が世界で最も遅れた国の一つになった経緯を知りました。もともとテクノロジーやサイエンスが好きだったのに、それらが女性の生活をあんまり便利にしてない、ということにも気づきました。テクノロジーやサイエンスの世界やビジネスの場には男性が多かったからかもしれませんが、随分と女性の健康課題が後回しにされてきたなぁと。当時の日本では勃起不全治療薬のバイアグラがすごく流行ってて、バイアグラはこんなにも早く、たったの6ヶ月で承認されたのに、ピルはなぜこんなにも遅れたのかって。そういったことをモヤモヤ考えたことが「生理マシーン」をつくるきっかけになりました。

あの作品をつくりたかったもうひとつの理由は、生理によって悩んでいる女性が地球の人口の半分を占めているにも関わらず、多くの文化でタブー視され、無かったことにされていて。この社会の本当に最大の不条理だなと思ったことです。そして男性も生理を体験できるっていうデバイスを作ったのが2010年。その後の作品や今回の起業も全部が紐付いていますね。

――ご自身も女性特有の体の問題で長年、悩んでこられたのですね。「自分だけではないんだ……」と身近に感じるtelling,読者も少なくないと思います。

スプツニ子!: 私自身、自分の人生について取材を受けると表面的な仕事の話を取り上げられることが多いんですが、その裏でどれだけ苦労してピルを飲んだり、卵子凍結をしたり、つわりに苦しんだり、ミレーナという器具を子宮内に装着して月経困難症の治療をしたりしているか。セミナーなどでは、積極的に私が仕事をしながら自分の身体と向き合ってきた経験を話します。医療的なアプローチで救われるはずなのに、適切な知識がないと、科学的根拠のない占いとかネット上の真偽不明の情報とかに頼ってしまいますからね。正しい知識を身につけて自分に合ったケアができると、仕事もプライベートもクオリティー・オブ・ライフ(QOL:生活の質)が上がる。これは、社会構造の偏りとかと比べてシンプルな話だと思うんです。

現代女性は初潮開始が早く、出産回数が減っていることもあり、生理の回数が増えています。だからこそ生理によって生産性が半減する人が半分いるし、ピルだったりミレーナだったり、婦人科検診、更年期の症状、不妊治療、卵子の老化、卵子凍結のことなど、まずは正しい知識をつけて自分に合ったケアをすることを勧めています。

卵子凍結を決意した理由

――スプツニ子!さんは昨年、出産されましたが、その前に卵子凍結をしていたのですね。

スプツニ子!: 33歳で卵子凍結しました。体外受精した時の妊娠率と流産率のグラフなどでは、年齢による相関は35歳ぐらいまではそれほど変わらないんですけれども、35歳を過ぎて40歳とかになると妊娠率がどんどん下がっていくのを見ました。それで32歳の頃から、検討を始めたんです。当時、私はパートナーがいなくて、仕事もすごく楽しかったし、妊娠・出産のタイミングについてとても迷った時期でもありました。

そしてアメリカから日本に帰ってきて東大で特任准教授になったころ、この35歳の数字が常にチラついた状態で仕事をしてる自分に気がつきました。仕事をしていても、どこか不安になってる自分が地味にいて。脳内CPUの10%ぐらいをそれに使っていました。そもそも子どもが欲しいかもよくわからないし、かといって、パートナーあってのものでもあり、今すぐに出産できるものでもない。出産するために無理矢理パートナーを見つけてとかも絶対嫌だしなぁ、みたいな。

じゃあ費用はかかるけど卵子凍結をして、それでこの問題を考えないで一旦置いておけるならいいかなと。それで卵子凍結を決意したんです。ちなみに取った卵子は100パーセント妊娠できるわけじゃないので、それで安心してはいけないのだけど、私は26個も取れたので幸運でした。卵子凍結したあとは「仕事を楽しくやって、いい人がいたらラッキー!」ぐらいに思えるようになりました。
そしたら35歳で当時お付き合いしていたパートナーと結婚とか子どもの話になり、結局36歳で出産。自然妊娠だったから、凍結した卵子は使わなかったのですが、もしかしたら二人目を検討するときに使えるかもしれません。一人目で子育ての大変さがよく分かり、すぐに二人目は無理だなと思ったので、凍結した卵子がいずれ、役に立つことがあるかもしれないです。

ある女子学生の質問に……

――telling,でもこれまで、こうした妊娠・出産と仕事の兼ね合い、タイミングについては繰り返し特集なども組んで読者の皆様と考えてきました。様々な分野で活躍している30歳前後の女性へのインタビューでも、多くの方がキャリアと結婚、妊娠・出産の両立について悩みを抱えています。

スプツニ子!: telling,の読者の皆さんとは、とても共感できる部分があるなと思います。先日も大学で教えていた時に、印象に残る女子学生からの質問がありました。「メディアアート」の講義で、自分の作品について話していたのですが、Q&Aの時に女子学生が「アートと関係ない話ですいません」っていう前置きをおいて、「スプツニ子!さんは、結婚とか妊娠、出産とかをどういうタイミングで行いたいと考え、キャリアを積んだのですか」と。「私はやりたいことがたくさんあるんですけれども、そういったことで悩んでしまって。自分の方針が分かりません」と話してきました。

その時、私はたまたまベビーシッターさんが早く帰ってしまい、授業の最後の方は赤ちゃんをあやしながら教えていたんです。その時に彼女にすぐに話したのが、「アートと関係ない話ですみませんって、思わされてることがよくないんじゃないか」ということ。女性の多くが、キャリアを積んで仕事をする時には、生理とか妊娠・出産のタイミングや更年期などの課題と向き合わないといけないわけなんですよ。切り離せない。アートに限らず、ビジネスも男性中心。今、所属する東京芸術大デザイン科では、教授・准教授は私以外は全員男性です。私が史上初の女性の教授ですが、一方で学生の6割以上が女性なんです。

だから、結婚とか妊娠・出産の話は関係ないと、隅に追いやられていることがよくないので、その学生には「関係ない話じゃないですよ、そういう質問をしてくれてありがとう」と。私も仕事をしながら、こうして子どもを産むタイミングに悩んで、という話をしたら、その後も多くの女子学生が授業で質問してくれました。男子学生は割と静かにしていましたが、彼らこそ、大学でこういった話を聞くべきですし、アートの場でもビジネスの場でも同様の話がなされ、ノウハウを共有する必要があると思います。

女性の体と仕事、出産のタイミング

――女性の体の状態と出産、そしてキャリアの関係は、本当に悩ましい問題です。産婦人科医も「20代といった若い年齢の時ほど生物学的には妊娠に適しているけれども、社会の状況としては就職してまもなくの頃で、キャリア上も重要な時期にあたり、20代での妊娠は現実的には難しい」と話しています。

スプツニ子!: これは多様なアンサーがありそう。どれが正解と言える訳ではなく、どんなタイミングでも産める社会が理想的なわけです。でも現実的に今の社会を考えると、私の身近でも大きく分けて2派ぐらいあります。1派はある程度は自分のキャリアを築き上げてから、妊娠・出産に臨む。経済的にも余裕が出来るまで待ってからなので、ベビーシッターや家事を頼むとかも選択肢として考えられる。私はそのタイプですが36歳での出産だったので、自分には合っていたかなと。

もう1派は、大学生の時とか、あるいは働いて給料をもらい始めてすぐの若いうちの出産で、30代くらいになると子どもがある程度大きくなって仕事に打ち込めるケース。ただ、20代は体自体は妊娠・出産しやすく体力もありますが、仕事を始めた最初の頃は仕事を覚えるのに大変な時期であり、そこで親に頼ったり、子育てや家事をアウトソースできなっかたりすると、女性がキャリアを継続するのはなかなか大変なんじゃないかな。若ければ経済的に余裕がない人も多い。本当にどちらのケースも悩ましい……。

人間は科学の力でいろいろなことを乗り越えてきました。月面にも行っているのに、女性の体の仕組みは太古の昔から変えられていない。月に行くよりも女性の生理や、妊娠・出産のタイミングの課題をテクノロジーでを何とかしてよ!って思っちゃいます(笑)

それがすぐに出来ないなら、せめて体と仕事の両立ができる社会を作ろうと。そのためには女性の体の課題についての関心を増やすこと、それらの課題を理解できる男性を増やし同時に女性役員を増やすこと、多様な人が活躍できるために組織のデザインを変えること、が必要だと実感しています。

出産か仕事か? 産婦人科医・高尾美穂さんが説く 30代女性の心と体に本当に必要なこと スプツニ子!流“育児と仕事の両立” 育休取らず、深夜は2部制 「思い込み」から自らを解放しよう!

●スプツニ子!さんのプロフィール

Cradle 代表取締役社長。本名・マリ尾崎。東京生まれ。06年、ロンドン大インペリアル・カレッジの数学科と情報工学科を卒業、英国王立芸術学院入学、卒業制作で「生理マシーン、タカシの場合」などを制作。MIT(マサチューセッツ工科大)メディアラボ助教授、東大大学院特任准教授を経て、現在、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。2017年より世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダー」選出。第11回「ロレアル‐ユネスコ女性科学者 日本特別賞」など、受賞多数。

株式会社Cradle(クレードル)

所在地:東京都渋谷区神南一丁目11番3号 PORTALPOINT SHIBUYA FD-11
事業内容:企業でのダイバーシティ&インクルージョン推進をサポートする法人向けサービス
代表者:マリ尾崎 (スプツニ子!)
設立:2019年12月
資本金:8500万円

telling,編集長。朝日新聞、AERAなどで記者として教育や文化、メディア、ファッションなどを幅広く取材/執筆。教育媒体「朝日新聞EduA」の創刊編集長などを経て現職。TBS「news23」のゲストコメンテーターも務める。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
妊活の教科書