卵巣摘出、子宮頸がん手術を乗り越え、37歳で第1子を妊娠
32歳で卵巣がんと子宮頚がんの疑い
10代の頃から婦人科系の不調を感じていました。生理痛が重く、鎮痛剤を飲んでも効かない状態だったのです。18歳のときにはじめて家の近くの婦人科に行き、そこで子宮内膜症があることが分かりました。
治療をしながら年齢を重ねてきましたが、子宮内膜症が悪化し、卵巣が肥大化してしまいました。32歳のとき、腫瘍マーカーの数値が上がって、「卵巣がんの疑いがある」と言われました。「もし、がんだったら……?」と、目の前が真っ暗になりました。
さらに、同時期に子宮頸がんの一歩手前の「異形成」も見つかり、手術をすることに。様々な不調が重なり、これが「女の厄年なのか!」と痛感しました。
右卵巣の摘出と、子宮頚部の一部を切除する手術を前に、主治医の先生に「子どもを産みたいですか、産みたくないですか」と聞かれて、ハッとしました。それまで、「子どもが絶対にほしい!」と強く思ったことはありませんでした。
でも、いざ卵巣を摘出するとなったときに、はじめてこの先の人生をどう生きるのか、真剣に考えました。思ったのは、「産めるなら産みたい」といいうこと。当時はまだ結婚の予定はありませんでしたが、できる限り生殖機能を残せるような手術をしてもらうことにしました。
半年のタイミング法を経て体外受精へ
35歳で1歳下の夫と結婚しました。子どもができにくい体であることは会ったときから伝えていましたが、夫は「無理して産まなくてもいいよ」と、私の意思を尊重してくれました。
体質的にも子どもを作るなら早いほうがいい、と考え、ホルモン検査や排卵確認など諸検査をして半年ほどタイミング法で妊活しました。「今日排卵日だよ!」と言って夫にプレッシャーをかけるのはかわいそうだと思ったので、黙っていました。でも、やんわりと、「今日何時に帰ってくるー?」って聞いたりして(笑)。
しかし、半年たっても妊娠の兆候が見られなかったため、知り合いの紹介で不妊治療の専門医を受診、体外受精に踏み切ることを決意しました。通常ならタイミング法のあとは人工授精に進みます。しかし私の場合、人工授精ではなく、次のステップである体外授精に進みました。人工授精は、採取した精子を妊娠しやすい時期に子宮内に注入して妊娠を試みます。一方、体外受精は精子と卵子を培養液に入れて受精させ、その後に胚盤胞に育ててから子宮の中へ戻す方法です。
私は卵巣が一つしかなく、また子宮内膜症の影響で、体内で授精させて子宮に届けるという機能が弱いため、夫の精子には問題が無い私たち夫婦には体外受精が効果的だったのです。体外受精となると、夫の協力が必要不可欠です。解剖学の本を見せながら仕組みを説明しましたが、どこまで理解したかは分かりません。
男性は病院に行って個室で精子を採取する方法もありますが、私は採卵当日の朝、夫に家で採取してもらい、それを病院に持っていく方法をとりました。「パートナーが体外受精に否定的で治療が進まない」、という話も聞くので、夫が協力的だったのはありがたかったです。
職場の理解を得るために
体外受精を開始する上で一番のハードルになったのは、職場の理解でした。私は15年間ずっと同じ病院で医療スタッフの一人として働いています。同じ医療系でも、女性スタッフが多く、理解の進んでいる現場もありますが、私の部署は20人ほどの組織で、女性は3分の1しかおらず、管理職は全員男性です。
20代の頃から、上司との面談では毎回、「結婚する予定はありますか」と聞かれてきました。「子どもを産むときは早く言ってくださいね。人員の補充が必要だから」と。
でも、今日から子どもを作りますって言ってできるわけではありません。上司にそう言ってかみついたこともありました。先輩女性たちは結婚・出産を機にほとんどが辞めていき、子どもを産んでも残っているのはほんの一握り。子どもを産むタイミングは難しいな、と20代の頃からずっと思ってきました。
体外受精を始めれば、採卵・移植のタイミングで月に数日、多いときは1週間に3日くらい受診のため休みをとらなければなりません。多少体調が悪くても、チームのみんなに迷惑をかけないように休まず働いてきた世代の私にとっては、言い出すのには勇気が必要でした。
それでも、自分の年齢や体のことを考えると、迷っている時間はありません。それに、私がオープンにすることで、これから治療・出産する後輩世代のためにも道が開けていくだろうと思い、伝えることにしました。
チームのみんなに治療をオープンにしたことで、「実は私も排卵誘発したことがあるんだ」と話してくれた同僚がいたり、後輩が「実はこれから不妊治療を受けようと思っているんです」と相談してくれたりするようになりました。勇気を出して言ってよかったなと思っています。
最初の採卵は全滅…!
体外受精の最初の採卵では6個の卵子を採取しました。「6個あれば、1つくらいは生き残ってくれるだろう」と、そのときは軽く考えていました。
数日後に、採卵した卵子は受精卵となり体に戻す予定でした。しかし、病院に行くと、先生から思いがけない言葉を聞くことになります。
「6個すべて、ダメになりました」
「えっ……!!」
まさか、6個もあったものが全滅してしまうなんて、考えてもいませんでした。悲しくて、その日は家に帰って大泣きしました。
ここで心が折れかけましたが、何とか奮い立たせ、そこから先生のすすめで3カ月続けて採卵することにしました。
というのも、病院で卵巣機能を測るAMH(アンチミューラリアンホルモン)検査を実施したところ、私はその数値が0.6mg/以下だったんです。AMH値は「残存卵子数」の目安となるもので、30~35歳の平均的な数値は5.6mg/と言われています。そこで、一度の採卵後すぐに受精卵を移植するのではく、3カ月連続で採卵してから移植する方法をとりました。移植をする月は採卵ができないため、ダメだった場合に、採卵のタイミングはどんどん後ろに倒れていきます。(AMHが低いと残存卵子が少ないことが予想され、時間が経つほど採卵できなくなる可能性がある。来年・再来年と治療継続する上・2人目などを考えた時にいざ採卵しようと思ってももう卵子がなく採卵できない可能性が考えられたため)一日でも若い卵子をたくさんとっておくほうが効果的だという先生の方針に従いました。
3カ月間、2~3週間に1回くらいの頻度で採卵に通いました。噂には聞いていたけれど、採卵は本当に痛いです。縫い針より太い針を刺すわけですから、当然ですよね。麻酔もできますが、1回3万円ほどかかります。
採卵の前日、「あぁ、明日また採卵かぁ……」と気分が重くなりました。そんな日々をどう乗り越えたかというと、もう「無」です。お金を払っているからやるしかない、と割り切りました。優しくしてくださった看護師さんが神に見えました。
7~8回連続で採卵し、40~50個の卵子を採取できました。そのうち10個が胚盤胞に育ちました。
結果報告に毎回ドキドキ
3カ月の採卵が終わり、育った胚盤胞の移植が始まります。「着床して!!」と祈るような思いで病院に行きますが、先生から「ダメでした」と言われることが2回続きました。
2022年1月、3回目の移植の結果を聞きに行きました。
「今回もまた、だめだったらどうしよう・・・」
失敗が続くと、気持ちがどんどん後ろ向きになります。それでも、ほんの少しの期待を抱きながら、私は診察室に入りました。ちらっと先生の顔を見るものの、その表情からは成否はくみとれません。この瞬間は、これまで経験したどの受験の合格発表よりも、就職試験の面接の結果を聞くときよりも、緊張感の漂うものでした。採卵時の痛みより嫌だなと感じたほどです。
「妊娠していますよ」
先生がそう言った瞬間、うれしいというよりも、ようやくか……とほっとする気持ちが勝りました。
でも、そのあとしばらくは出血が止まらず切迫流産となり、今は仕事を休み安静にしています。予定日まであと6カ月。やっと第1コーナーを回ったところかな、と思っています。
今日も大丈夫だった、よし!と思いながら過ごす毎日。無事に産まれてきてくれるかどうかは、神のみぞ知る、という心境ですね。夫は、「つわりがあるから大丈夫だよー」などと言っていて、そのおおらかさに救われています。
勇気を出して、周りの人に相談してほしい
不妊治療をオープンにしてから、周囲の知り合いから相談を受ける機会も増えました。中には「もう2年悩んでいるんですよね……」という人もいます。2年はもったいないです! 不妊治療専門の病院に行くのは、自分が不妊であることを認めることになるので、抵抗を感じる気持ちはすごくよく分かります。
また、毎日仕事で忙しくしていると、ついつい自分のライフプランと向き合うことを後回しにしてしまいがちです。20代は特に仕事が楽しいし、子どもを産むのはまだ先だと少し不調を感じても放置してしまうことも。でも、いつか子どもがほしいと望むなら、若いうちに検査だけでも受けておいてほしいなと思います。健康診断と同じような感覚で、血液検査だけでもいいので受けてほしい。そうすれば、子どもを授かるタイミングが1~2年は早くなるのでは、と私は感じています。
治療を受けたいけれど、お金がないという声も聞きます。お金の問題はシビアです。不妊治療への補助金を利用しても、私はなお200万円ほどを自己負担しました。自分の貯金から捻出しました。
これは30代だからできたことです。20代の給料だったら出せなかっただろうな、と思います。自然妊娠できるなら、そのお金を子どものために使えばいいので、20代のうちから少しずつでも貯金をしておいて損はありません。
病院選びについては、実際に治療を受けた人など、知り合いに聞くのが一番でしょう。相性や好みもあると思いますが、私は卵巣を摘出しているなど特殊な事情があったために、主治医制の病院を選びました。毎回先生が変わると、途中で方針が変わったり、カルテはあっても同じことを説明したりしなければならないこともあります。
医療は日々進化しています。助成金などの法律も変化し、この4月から不妊治療への保険適用も始まりました。情報を集めるためにも、勇気をもって回りの人に相談してみてほしいと思います。私も、周りに聞いて、いい病院を選ぶことができました。
ちなみに、育った胚盤胞はあと10個、病院で眠っています。夫とは「サッカーチームが作れるね」なんて話しながら笑っています。
※女性のからだや健康に関する様々な講演が、下記イベントのアーカイブからご覧いただけます。
「わたしたちのヘルシー こころとからだの話をはじめよう」
主催 ウィメンズ・ヘルス・アクション×CINRA
女性の心とからだのヘルスケアについて、婦人科医らが語ります。