2回の流産を経験。これから妊娠を望む人に「不育症」について知ってほしい。

35歳で妊娠した島村洋子さんは、“安定期”を目前に流産。さらに2度目の流産を経験し、「不育症」の治療に取り組みました。その後、働く女性の不妊・不育に寄り添おうと、キャリアコンサルタントの国家資格を取得。流産したときの思いや、通院に対する職場の理解など、島村さんに振り返ってもらいました。
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35歳で結婚、すぐに妊娠したけれど

金融業界で企画職として働く島村洋子さん(41)。同期の多くが20代で結婚し、産休・育休を利用する中、「ずっと働いていた分、ブランクがなく結果的に産前にキャリアを積めた」と言います。
当時仕事は忙しく、デスクでとるランチは箸を片手にパソコンに向かう状態。帰宅は連日終電近くでしたが、やりがいもあり充実していました。
一方、休日に楽しんでいた登山などのアウトドアで出会った男性と、3カ月交際し、35歳で結婚。入籍と同時に妊娠がわかりました。
つわりで少し気持ちが悪くなった時期はありましたが、特に仕事をセーブすることなく、これまでと同じように働きました。普段いっしょに仕事をするメンバーには妊娠を伝えましたが、他の人には「安定期に入ったら報告しよう」と思っていました。

「妊娠中に腰が痛くなったことがあるのですが、デスクワークが長いからだと思っていました。妊娠すると腰痛になることがあると、あとで知りました。妊婦健診で無理しすぎないようにとは言われましたが、他に大きな不調もなく、特に不安を抱いてはいませんでした」と当時を振り返ります。

「明日から妊娠5カ月」という日、午前休を取って妊婦健診のため病院へ行った島村さん。「このあと出社したら正式に妊娠の報告をして、業務を少し減らしてもらおう」と考えていました。ところが、超音波検査がなかなか終わりません。
「今日は妙に長いな」と思ったとき、医師が思いがけない言葉を発しました。

「胎児の心臓が止まっています。残念ながら流産です」

島村さんは一瞬、なにを言っているのか理解できませんでした。
「流産? おなかが痛くなったり、出血したりするんじゃないの? そんな症状はないのに」
医師からの説明は、胎児が亡くなった後も症状がなく、子宮に留まる「稽留流産」とのこと。急に涙があふれ、すぐに号泣に変わりました。

そのまま入院することになった島村さんは病室に移り、夫が駆けつけた後も、ただただ泣いていました。ふと気がつくと、夫も涙を流しています。夫が泣く姿を初めて見て、申し訳ない気持ちがこみ上げ、さらに涙があふれました。

その週末、産声のないお産をしました。病室で、役所に届ける書類の記入や葬儀の手配をしていると、他の部屋から元気な赤ちゃんの泣き声や家族の楽しそうな笑い声が聞こえてきます。

「まるで別世界にいるようでした。自分が思っていた以上に、私の中で母性が育っていたことに気がつきました」

産後休業で、孤独を感じた2カ月間

有休を取るつもりだった島村さんですが、産後休業の対象となるのがわかり、そのまま2カ月間、会社を休むことに。
ひとりで過ごしていると、悲しさがこみ上げてきます。赤ちゃんを守ってあげられなかった自責の念、夫に子どもを抱かせてあげられなかったこと、孫の誕生を楽しみにしていた親をがっかりさせてしまったこと……。
他のことを考えようと思っても、どうしてもその思いに戻ってしまいます。

「赤ちゃんがいる幸せな未来を描いていたのに、今の状態への落差が大きすぎて……。なにもかも自分のせいだと感じていました。当時は安心して話せる人がいなくて、ひとりで気持ちを抱えてしまっていたのです」

産休が終わった島村さんは仕事を再開したことで気が紛れ、心が落ち着いていったと言います。

2回目の妊娠、再び流産

半年後、妊活を開始。高齢出産となる35歳を過ぎていることもあり、早期の妊娠を望んで人工授精を受けることにしました。
すぐに妊娠しましたが、今度は妊娠9週で流産してしまいます。それを告げる医師の言葉を冷静に聞いた島村さんでしたが、自分を責める気持ちは、前回よりもずっと強かったと言います。

「赤ちゃんと夫に申し訳ない、私の体はおかしいの? もしかして子どもが産めないかもしれないの? そう考えてしまいました。妊娠によるホルモンバランスの影響もあるかもしれませんが、すぐに涙がこぼれてしまうのです。いつもの同僚との仕事上の議論でも、自分が責められているように感じてしまうこともありました。やる気が出ない、食事をするのも面倒……。いま思うと、当時の私はうつ状態でしたね。流産の経緯を知っている身近な人や医師の様子から『いつまで落ち込んでいるの?』という雰囲気を感じて、私の気持ちは誰にもわかってもらえないんだ……と、ますます落ち込みました」

2回続けての流産で、不育症を疑い始めた島村さん。もし1度目で対処していたら、2回目の流産は防げたのでは、との思いが拭えません。

不育症は、2回以上の流産・死産を繰り返して、子どもを持てない状態のこと。不育症のリスク因子には子宮の形態異常や甲状腺機能異常、夫婦の染色体異常などがありますが、原因がわからないケースも多いのが現状です。その後に約75%が出産に至ったという調査結果もあります。(*1)

主治医に聞くと、「不育症は3回流産してから疑う。うちの病院では不育症専門医がいないのでできる検査はない」とのこと。
島村さんは自分で調べようとしましたが、不育症に関する情報が非常に少ないことに気づきました。

そんな中、不育症専門クリニックのホームページで「初回の流産でも後期流産の場合は不育症を疑う」という言葉を見つけ、そのクリニックで検査や治療を受けることにしました。

3度目の妊娠「今度こそ、私が赤ちゃんを守る!」

不育症専門クリニックで検査をすると、不育症のリスクである血液凝固因子の疑いがあることが判明。
次の妊娠後は血流をよくするアスピリンの服薬の必要性を伝えられました。人工授精をするために大学病院への通院を再開すると、ほどなく妊娠しました。
妊娠後は産婦人科、不育症専門クリニック、甲状腺ホルモンの数値管理のための内分泌科、そしてマイナートラブル対応のために内科へも通いました。妊娠中4つの病院の通院と仕事の調整は大変でしたが、島村さんには「今度こそ、私がおなかの子を守る。安定期なんてない」という強い意識があったといいます。

“無事に出産すること”が最優先となった島村さん。通院で休むことが多くなったため、同僚との間に気まずい雰囲気も感じましたが、事情を知る上司は理解してくれたそう。昇格の時期でしたが、心がけたのは「無理をせずに役割はきちんと果たすこと」。
2度目の流産以降、精神的につらくて「会社を辞めたい」と上司に打ち明けたことも。
上司からの返事は「いったん休んだら? 辞めないほうがいいと思う」というものでした。
そうか、私は休んだほうがよさそうなくらい弱っているんだな。休むという選択もあるのか――。島村さんは、思い切って翌日から1週間の有休を取りました。

「かなり忙しい時期でしたが、自分がいなくてもどうにか仕事が回るとわかりました。もう無理をしなくていいと心から思えて、精神的にラクになりました」

2回の流産体験から「妊娠中は常に不安だった」という島村さん。妊婦健診と不育症専門クリニックへの通院を同じ日にすれば、会社を休んだり遅刻したりするのは1日ですみます。しかし、あえて別の日に。「仕事を抜ける回数は増えるけれど、病院で赤ちゃんの心拍を確認する日を増やしたかった」と言います。

赤ちゃんが逆子だったため、出産は帝王切開と決定。妊娠38週に入ったら出産できると聞いた島村さんは、一番早い日で、朝一の手術をお願いしました。「とにかく早く出してください!という気持ちで。おなかの中にいると、またなにかあるんじゃないかと、出産直前までずっと不安でした」

そして、38歳で無事に男の子を出産しました。

「この気持ちを誰にもわかってもらえない」

島村さんは産休・育休後に仕事に復帰。子どもは現在3歳になりました。自分の体験を振り返って言います。

「2度の流産を体験して感じたのは、妊娠や不育症に関して、自分の知識が不足していたこと。また、医師であっても不育症について詳しいとは限らず、すべてを知っているわけではないということ。自分が納得して治療を受けることが大事だと痛感しました」

また、思っていた以上に精神的なダメージが大きかったことも感じました。

「どれほど身近な人でも、こちらの気持ちをすべて理解してもらうのは難しいですね。当時はそれがわかっていなかったので、『私のつらい気持ちをわかってもらえない』と孤独に感じたのです」

一方で、つらかった時期に心を軽くしてくれた人には共通点があったと言います。

「アドバイスや励ましではなく、私の気持ちにただ寄り添ってくれたことです。『つらかったね』『悲しかったよね』『なんて言葉をかけていいのかわからないけど……』、そう言って、私の感情を受け止めてくれました。あとで気がついたのですが、私の気持ちを“受容”してくれたのです」

もし、同じようにつらい思いをしている人がいたら――。「安心できる相手に話す、カウンセリングを受ける、自治体などの相談窓口を利用するなど、方法はいろいろある」と言います。

島村さんにとって流産の体験は「私は産めないの? 子どもを授かれない私に存在意義があるの?」といった自己否定、それによる自己肯定感低下の連続だったそう。

「当時の私に声をかけるとしたら……子どもを欲しいと思うのは自然な感情だし、それが叶わなくてつらいのも当然の悩みだよね。でも、母になれなかったら自分ではないの? 妻、娘、会社員、あなたはもうすでにいろいろな人生の役割を担っているよね。そう言ってあげたいですね。自分のアイデンティティを自分自身がちゃんと認めればよかったと思います。子どもの有無にかかわらず、私には職場や家庭といった複数の居場所がありました。通院と仕事の両立は大変でしたが、会社を辞めずに仕事を続けたことは結果的によかったと感じています」

島村さんは最近、キャリアコンサルタントの国家資格を取得しました。これからは不妊や不育症の当事者にかかわりながら、働く人々が抱える悩みや心の負担を和らげるサポートや、自身の経験をもとに次世代に向けた啓発活動をしようと考えています。

池田麻里奈さん、結婚、不妊治療と流産。理想の「普通」を追い求めた日々 妊娠・出産は何歳までできる?卵子の数やリスクから妊娠可能な年齢を考える

島村洋子さんのTwitter
若者向け不妊・不育啓発プロジェクト「+me」
*1:医学的見地からみた不育症治療の 現状や問題点について

女性向け雑誌編集部、企画制作会社等を経て、フリーランスの編集者・ライター。広報誌、雑誌、書籍、ウェブサイトなどを担当。不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ。
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