不妊治療退職04

“不妊で退職”のリアル「私が会社を辞めたのは…」

「仕事か、不妊治療か」——なんとか両立してきたものの、限界を感じて退職する女性は少なくありません。悠子さんもその一人。「時間調整がしやすく、職場は治療に理解があった」という悠子さんでしたが、悩んだ末に退職の道を選びました。彼女にとっては、「40歳」という年齢がキーポイントになったのです。

●不妊治療退職 04 

「あなたは、きっと肝っ玉母さんになるね。やんちゃな子どもたちに『こら、そっち行っちゃダメよ!』なんて言っている姿が目に浮かぶよ」
学生時代、友人にそう言われていたという練馬区に住む後藤悠子さん(39歳)。まさか自分が不妊治療をするとは想像もしていませんでした。

大学院で広報戦略を学び、電機メーカーの宣伝部に就職。29歳で大手衣料品メーカーに転職してグローバルマーケティングを担当、海外出張もこなしました。31歳のときに最初の職場の同期社員と結婚。さらにマーケティングを極めたいと外資系ヘルスケア企業に33歳で転職。半年後、妊娠がわかったものの流産に。胞状奇胎といって、がん化する恐れがあるため子宮内の胞状奇胎を取り除く掻爬手術を受けました。

私は子どもが欲しかったんだ、そう気づいた帰り道

半年後、妊活再開がOKになったとき、医師から「これから妊娠の相談をするのなら不妊治療の専門施設に行ったほうがいい」と言われ、「そういえば、35歳を過ぎると妊娠しにくくなると聞いたことがあるかも」と、とりあえず行ってみることに。
「いくつかの不妊治療専門クリニックに予約の連絡をしたら、どこも初診は3カ月待ち。そんなに混んでいるのかと驚きました」と悠子さん。

一度妊娠しているし、問題はないだろうと思っていた悠子さんは、検査結果に愕然とします。

「AMH値(※1)が0.1以下と低く、40歳前半くらいで閉経するだろう。流産手術の影響で子宮内膜が厚くなりにくい、とドクターに言われて。卵子が残り少なく、受精卵が着床するふかふかベッドもつくれない…。泣きながら家へと歩きながら、ああ私、こんなに子どもが欲しかったんだ、と気がつきました」

※1 AMH(抗ミューラー管ホルモン):卵巣にどれくらいの卵子が残っているかの指標となるホルモン。加齢により卵子は減少するが、個人差があり、若くても数値が低い場合がある。

治療の時期は午前中に会議を入れない

悠子さんの不妊治療が始まりました。職場は裁量労働制なので、時間も業務も自分で調整できます。病院で「明日、来てください」と言われても困らないように、治療と重なりそうな時期は午前中に会議の予定を入れないようにしたり、通院した日は夜遅くまで働くこともありました。

会社に治療することを伝えると、多くの人が「頑張ってね」と励ましてくれ、周囲の理解も得られました。また、「うちは治療で子どもを授かったのよ」と言う人もいて、まわりに何人も治療体験者がいることを知ります。

3回目の人工授精(※2)で妊娠したものの、またも流産。そのときに立ち止まりました。

「もしかして、会社で働いていることがストレスではないのかな? 2回流産するのは珍しくないのかもしれない。でも、このまま働き続けるのは、私の場合、どうなの?」
仕事との両立のストレスよりも、「子どもができないのでは」という不安や、流産した悲しみが強かったといいます。そして、親子連れや妊婦さんを見てはわき上がる「うらやましい」という感情をどうすることもできず、「電車に乗るのもイヤ」という状態に…。

「この頃の私は、人と比べていたんですよね。あの人は子どもがいるのに、私はその望みが叶わない。ダンナが楽しそうに話す『子どもの参観日に行くんだ』という夢も叶えてあげられない…。こうした負の感情がストレスになっていたのだと思います」

また、外資系企業ならではの短期間の組織改変による人員削減、業績低下に伴う目標達成のプレッシャーもあり、「いつクビを切られるかわからない不安に不妊治療のストレスが、デフレスパイラル的に絡み合った感じ」だったと振り返ります。

※2 人工授精は、排卵日に合わせて、採取した精子を子宮に注入する方法。体外受精は、女性の卵子と男性の精子を体外で出会わせ、受精卵を子宮に戻す治療法。

治療は40歳まで。限られた時間でベストを尽くしたい

主治医からは人工授精を6回したら体外受精へ進むことを提案されていました。ついに、その回数を迎えました。
「今までは仕事の合間に通院できたけれど、体外受精となると調整が大変そう。お金もかかる。もうすぐ37歳。私には時間が限られている。やるならベストを尽くしたい。後悔したくない!」

そんな思いが日に日に強くなっていきます。「プライオリティ(優先順位)を常に考える癖がある」という悠子さんは「今の私に一番大事なものは何?」と自問します。

「働きながらの体外受精も、能力的・環境的にできないことはない。でも、それで最終的に子どもが授からなかったら? 仕事を辞めて、ストレスの少ない生活をして、いい卵をつくって体外受精に臨む。そういう努力ができずに治療を終えると、『あのとき会社を辞めていれば…』と悩むような気がする。仕事はあとでも頑張ることができるけど、時間は取り戻せない。だったら、今は治療にベストを尽くすのがいいのでは」

悠子さんは、体外受精に向けて退職を決意します。それは「40歳前半で閉経」の時間的な限界と、もうひとつ考えがあってのことでした。
「もしも子どもができなかったら、養子を迎えようと夫と話したんです。私が調べた養子縁組の団体の条件に、“子どもとの年齢差は40歳以内、夫婦のどちらかが家にいること”とあって、それで治療は“40歳まで”と決めました。もしも養子を迎えるなら、どのみち退職する。それなら、ベストな状態で体外受精をするために仕事を辞めようと思ったんです」

念のため、会社に「不妊治療のために休暇をもらえないか」と聞いてみたが、「残念ながらそういう制度はない」との返事。もしも1年間休めたら、「私には時間が限られていたので利用した」といいます。

人生にはコントロールできないこともある

退職後、体外受精へ向けて、まずは体の元気を取り戻そうと、しばらくのんびり過ごしていたところ、なんとまさかの妊娠。主治医も驚いたといいます。そして、38歳になる直前に出産。
妊娠中は、「今までやってきたことが途絶えないように、少しでも続けておこう」と専門スキルを生かして社会貢献するプロボノにも参加しました。

「頑張れば目標に到達できる。それが今までの私の人生でした。でも、自分ではコントロールできない、どうにもならないことがあると実感しました。会社を辞めたことは後悔していません。子どもと一緒に過ごしたいけど、私には専業主婦は向かないようです。これまでの経験を生かしてフレキシブルに働く方法を考えています」

女性向け雑誌編集部、企画制作会社等を経て、フリーランスの編集者・ライター。広報誌、雑誌、書籍、ウェブサイトなどを担当。不妊体験者を支援するNPO法人Fineスタッフ。