妊活の教科書

体外受精に挑み、42歳で第2子を妊娠「長男に兄弟をつくってあげたい」

高齢出産や不妊治療が増えています。人口動態調査などによると、35歳以上の高齢出産は約3割を占めます。子宮内膜症や子宮筋腫など、婦人科系の疾患に悩み続けてきたのりこさん(仮名)。結婚後、人工授精により第1子の長男を授かりました。出産後すぐに「この子に兄弟を作ってあげたい」と考え、体外受精に挑みます。その後、5年超の治療を続けた結果、42歳で第2子を授かりました。出産を半年後に控えた今、思いを語ってくれました。
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体外受精に進むタイミングに悩んだ30代

10代の頃から生理痛がひどく、子宮内膜症や子宮筋腫に悩まされてきました。婦人科に通い、ピルを服用するなど治療を続けてきたので、先生からは「子どもをつくるときは、治療が必要になる確率が高い」と言われていました。

そのため、結婚前から夫にも話しており、35歳で結婚してすぐに不妊治療を始めました。夫は医療関係者だったので、話すことに抵抗はありませんでした。彼も「一緒に頑張ろうね」と言ってくれて、妊活に対する温度差はなかったと思います。

治療を始めようと思ったとき、まず大変だったのは病院選びです。インターネットの口コミなども参考にしながら探しましたが、どの病院がいいのか分かりませんでした。私にとって最優先の条件は、仕事を休まずに通えること。私は病院勤務で、土日が休みです。女性が多く、理解のある職場ではありましたが、なるべく仕事を休みたくないと思っていました。2つ目の条件は、金銭面です。それで、土曜日に診察が可能で、治療費が比較的リーズナブルな病院を選びました。

タイミング法を3カ月ほど試したあと、すぐに人工授精に切り替えました。途中、休んだりもしながら、人工授精は10カ月ほど続けました。先生からは毎回、「体外受精を考えてみては?」と言われましたが、どうしても踏み切れなかったのです。理由の一つは、治療費の問題です。体外受精は一回につき平均して50万円以上と、人工授精とは比べものにならないほど高額なので、「そこまでのお金をかけてまで治療を進めるべきなのか……」という迷いがありました。それに、まだ30代だったので、なるべく自然に近い形で妊娠したいという気持ちがあり、なかなか体外受精に進むことができなかったのです。

妊娠できないまま年齢が上がっていきます。そろそろ体外受精に進もうかな……。そう思っていたときに、第1子を授かりました。先生に「妊娠しています」と言われたときはうれしかったですね。夫もすごく喜んでくれて、帰って一人で「祝い酒だ」と言ってお酒を飲んでいました(笑)。

妊娠しても心拍を確認できず……

妊娠はうれしかったのですが、5カ月目に切迫早産になっていまい、そこから出産までほぼ入院生活でした。思い描いていたような楽しいマタニティライフは送れませんでした。それでも何とか36週までお腹にいてくれた息子は、2500gで元気に誕生。もし1日早く産まれていたらNICU(新生児特定集中治療室)に入らなければならなかったそうです。無事に産まれてきた息子を見たときは、心からほっとしました。

出産してすぐに、「兄弟をつくりたいな」と思い、また同じ病院に通い始めました。37歳になっていたので、人工授精を何回か試したあと、体外受精に踏み切ることにしました。夫とは「40歳になるまでにできなかったら諦めようね」と話し合いました。

そこから体外受精を4回ほど試しましたが、なかなか妊娠しません。妊娠反応は出たけれど、心拍を確認できないまま流産も2回経験しました。このときは、病院でほかの人が連れている赤ちゃんを見るだけで悲しい気持ちになりました。

妊娠できない原因も分からないまま、悶々とする日々。長男を出産していることもあり、病院でも「できないわけではない」と言われます。鍼灸に行ったり、漢方を飲んだり、いろいろなことを試しました。

そうしているうちに、夫と一緒に決めた40歳を過ぎていました。
「このまま治療を続けても、子どもを授かるかどうかわからない。お金もかかってしまうし、どうしよう……」

悩みましたが、ちょうどそのとき、国の補助金の世帯年収の条件が撤廃され、42歳までは補助を受けられるようになったのです。「それならもう少し、頑張れるかもしれない」と思いました。夫と改めて話し合い、「42歳まで続けてみよう」と決めました。

周囲からは「一人は授かったのだからいいじゃない」と言われることもありました。でも、やっぱり私は、長男に兄弟を作ってあげたいと強く思っていました。36歳で産んだ子どもなので、親がもし早くいなくなってしまったら、彼は一人ぼっちにしてしまいます。そうならないように、何とか家族を作りたいという思いで、治療に向き合ってきました。

もっと詳しく原因が知りたいな、と思っていたときに、不妊治療の実績の高い病院を同僚から教えてもらいました。もともと、通っていた病院は、金額の安さで選んだこともあり、担当医が毎回変わり、成功しなくても原因を深く追求してもらえず、疑問を感じるようになっていました。このままダラダラ通うよりは、多少お金がかかっても、実績のある病院で診てもらおうと考え、転院を決めました。

最先端の「卵巣PRP療法」を試して

新しい病院では、すぐに採卵を始めました。私の場合、卵子の数が少なかったこともあり、痛みは瞬間的だったので、麻酔をしなくても耐えることができました。仕事を休めるときは有休をとりましたが、午前中に採卵して午後から仕事に行ったこともあります。

でも、数もとれず、質もそれほど良くない。3カ月たって先生からすすめられたのが、導入されたばかりの「卵巣PRP療法」でした。卵巣に自分の血液「PRP(多血小板血漿)」を注入する治療法で、卵巣機能を活性化させ、着床しやすくなる効果が期待できるというものです。ここは卵巣PRP治療について、国内初の認可施設だとのことでした。

夫もさすがにこのPRP療法は最先端すぎてついていけないようでしたが、一緒に病院に行き、先生の説明を聞いて納得したようで、PRP療法を試すことに決めました。片方の卵巣だけで、実費で30万円程度。決して安い金額ではありませんが、「国からの助成金が出る42歳までの間に、やれることは全部やろう!」と考えたのです。

2021年6月にPRP療法をして、7~9月に再び採卵をしました。少し間をあけて、22年の2月に移植をスタート。運よく1回目の移植で妊娠判定が出ました。これは本当にPRP療法の成果だと思います。

ただ、過去の流産経験もあり、先生から妊娠を聞いたときもすぐには安心できなくて、「また流産してしまうのでは……」という不安のほうが大きかったですね。心拍が確認できたときにはじめて、少しほっとしました。今6歳になる長男にもずっと「赤ちゃんを作るために通っているよ」と伝えていたので、自分がお兄ちゃんになれることをとても喜んでいます。私は出産時は43歳になりますが、ギリギリまで仕事を続けて、元気な赤ちゃんを産みたいと思っています。

周囲の支えのおかげで乗り越えられた

治療を振り返ってまず思うことは、病院選びの大切さです。少しでも治療費を安く抑えたいという考えもあって、疑問を感じながらも最初の病院に長く通ってしまいました。もっと早く転院すればよかったと今は後悔しています。仕事と両立しながら通院できること、金銭面ももちろん大事ですが、先生の考え方に納得できるか、信頼できるかもすごく大事です。少しでも疑問に思うことがあるなら早く転院することをおすすめします。

また、私の周囲にも、子どもが欲しいと思いながらも仕事が忙しくてなかなか病院に行けていない人が結構います。タイミングの難しさは分かりますが、女性が妊娠できる期間は決まっています。子どもが欲しいなら、絶対に早く治療を始めたほうがいいと思います。

私自身、ずっと婦人科に通っていて「子どもがほしくなったときは治療を早めにするように」と先生に言われていたために、結婚してすぐに治療を始めることができました。生理痛が重いとか、少しでも気になる症状がある人は、早めに調べておいたほうがいいと思います。

長男の出産前から数えると、トータルで5年以上、不妊治療をしてきたことになります。この期間は、治療が生活の一部のようになっていました。その過程では、年齢や治療方針、金銭面、いろいろなことに悩み、治療を続けるべきかどうか迷ったこともあります。それでも何とか治療を継続し、今を迎えられているのは、夫が治療中に「もうやめたら?」などとネガティブなことを一度も言わなかったことが大きいと思います。友達には相談しづらい治療のことも、夫にはすべて話すことができました。治療に疲れたときは、家族でキャンプに行ったりして気分転換をしました。そこでストレス発散して気持ちを切り替えることができたので、また治療を頑張ることができました。

また、同居している両親にも支えてもらいました。私が病院に行くときは両親が長男を見ていてくれてました。どうしても一緒に行きたいと息子が言ったときは、2つ目の病院には院内に託児所があったので、事前に予約して預けることができました。これはとてもありがたかったです。

不妊治療は出口の見えない長いトンネルだと言われています。それでも、私自身は夫と助け合いながら、いろんな治療を試し、病院を変え、諦めずにやってきたことで、第2子を妊娠することができました。自分に合うところを探っていくと、きっと光は見えると思います。

私の妊娠可能期間はどれぐらい?卵子数を早めにチェックするメリットは 卵巣摘出、子宮頸がん手術を乗り越え、37歳で第1子を妊娠

※女性のからだや健康に関する様々な講演が、下記イベントのアーカイブからご覧いただけます。

「わたしたちのヘルシー こころとからだの話をはじめよう」
主催 ウィメンズ・ヘルス・アクション×CINRA
女性の心とからだのヘルスケアについて、婦人科医らが語ります。

ライター/株式会社ライフメディア代表。福岡県北九州市生まれ。雑誌、WEB、書籍でインタビュー記事を中心に取材・執筆。女性のハッピーを模索し、30代はライフワークとしてひたすらシングルマザーに密着していました。人生の決断を応援するメディア「わたしの決断物語」を運営中。
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