●本という贅沢#157『春のこわいもの』

さとゆみ#157 忘れたかった「加害」が白日の元にさらされる。『春のこわいもの』が炙り出す人間の罪

隔週水曜にお送りするコラム「本という贅沢」。今回は書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、“パンドラの箱があく”と評す小説を取り上げます。
さとゆみ#156 今まで感じていた「なんとなく」の理由が解明される。『花を飾ると、神舞い降りる』

●本という贅沢#157『春のこわいもの』(川上未映子/新潮社)

人は、人にしたことをすぐ忘れるよね。
人にされたことは、しぶとく覚えているくせに、自分が誰かを毀損したことは、すっかり忘れている。

すっかり忘れているもんだから、最初は、「誰かの話」だと思って聞いている。うわー、何、それ。そんな人いるの? ひどくない? でも、話が進んでいくうちに、なんだかその話に聞き覚えがあるような気がしてくる。そして、それが「私の話」だったのだと気づくときにはもう、自分の首は自分の言葉でみっちりと締められている。苦しい。息ができない。

『春のこわいもの』は、そういう本だ。

ほら、忘れていたでしょ。
あれ、あんたの仕業だったよね。
でもね、わたしはずーっと覚えているよ。許さないよ。

そんなことをずっと耳元でささやかれているようで、読み終わったときは、じっとりと汗をかいていた。

・・・・・・・・・・
本を読みながら、最初に思い出したのは、亡くなる半年ほど前に、メールをくれた後輩のことだった。
彼女とは、20代の一時期ずっと一緒に仕事をしていた。私は彼女から仕事の発注を受ける立場にあり、私の仕事の幅を広げてくれたのは彼女だったし、彼女との仕事が生計の半分を占めていた。

でも、あるとき私は新しいジャンルの仕事に挑戦したくなり、長くお世話になった彼女との仕事を辞めた。そして当時は「新聞や雑誌で食っていけなくなった人が都落ちする場所」と言われていた(そんな時代があったのだ)ウェブ媒体の編集長の仕事を引き受けた。

「そんなチャレンジングな媒体に移籍するなんて、“らしい”ですね。応援しています」
彼女はそう言って送り出してくれたけれど、内心快く思っていなかったことは、すぐに判明した。

「目をかけていたのに、裏切られた」
「ひどい辞め方だった」
彼女がほうぼうでそう話しているよ、といろんな人から聞いた。あるパーティで久しぶりに会えたので挨拶をしたら、ぷいっと無視されたこともあった。

ショックだったし、陰口を言われることに一度は腹も立った。でも、周りの仕事仲間に
「絶対に喧嘩をするな。相手の悪口も言うな。悪口を言った瞬間、さもしくなるぞ」と言われ、ぐっと我慢をした。
「あなたの悪い評判を聞いたよ」と言われたら「とてもお世話になったのに、私が至らなくて」と言うことに決めた。意地でも反論しないと決めた。

がんで余命宣告をされたと、彼女から連絡がきたのは、それから数年後のことだった。
自分がもう長くないと知ったとき、謝っておきたい何人かの顔が浮かんで、その一人が私だったという。
「あの時の私は幼くて、さとゆみさんが別の仕事を、しかも私との仕事よりも条件の悪い仕事を選んだことが、悲しくて辛かった。ひどいことをして申し訳なかった」と、メールには綴られていた。

あのメールがきたとき、私は何を思っただろう。
彼女に小さいお子さんがいたことを思い出し、気の毒だと思った。もちろん、ざまあみろなんて絶対に思わない。でもどこか、彼女を上から目線で哀れむ気持ちがなかったかというと、それは否定できない。

「私は一度たりとも、あなたのことを悪く思ったり、言ったことはない。私は、あなたに感謝しかしていない」と返事をした。
本当に悪口を言っていなくてよかったなと思った。それは、彼女のためにというより、私自身のために、よかったなと思った。

『春のこわいもの』におさめられている中編「娘について」を読み始めたとき、最初はこの彼女の懺悔のメールを思い出していた。なんだか彼女の人生のような話だな、と思ったからだ。

でも、読み進めていくうちに、ハッと思い出したことがある。
そう。私の記憶は、彼女からの懺悔メールで終わっていたのだけれど、物語が終わりに近くにつれ、突如フラッシュバックのように蘇った記憶があったのだ。

私と彼女とのメールには、私が都合よく忘れていた「続き」があった。

最初のメールから数ヶ月後、また彼女から連絡がきたのだ。聞けば、余命数ヶ月と言われていたのだけれど、新薬が奇跡的に効いて、復職できるまでになった。
つきましては、また一緒に仕事をしたいと思っている。忙しいと思うのだけれど、スケジュールを聞きたい。そういう内容のメールだった。

彼女が元気になったことは、心からよかったと思った。それは本当だ。
でも、今さら彼女とどんな顔をして仕事を一緒にすればよいかわからなかった。正直、面倒だなと思ったような気がする。

私は、前のメールで「全然気にしていませんよ」と返事しておきながら、実のところ彼女を許せていなかったのだと思う。死が近い人に鞭打つようなことを言いたくないという気持ちで聖人ぶって返事を書いた。けれども、元気な彼女と再び対峙するとなったら、自分の気持ちをうまく御せるかわからなかった。

「ごめんなさい、今ちょっとスケジュールが立て込んでいるのですけれど、そのうちぜひ」。
そんな適当な返事をした数ヶ月後、病状が急変し彼女は亡くなった。

今回、突然思い出したのは、このメールを返した時の気持ちだ。
メールの返事をしたとき、そこには間違いなく、いじわるな気持ちの私がいたと思う。彼女は私に謝ってくれたのに、私は許したふりしてずっと根に持っていた。
彼女が私にしたひどいこと、の方を私はずっと覚えていたけれど、実は私だって彼女に適当な嘘をついたまま、二度と会えなくなった。彼女はきっと勇気を出して仕事を依頼してくれたと思う。でも、私は誠実な返事をしなかった。まだいじけていたからだ。

何がこわいって、それをずっと忘れていた自分がこわい。
そして、きっと彼女のことだけではなく、私は人生のいろんなタイミングで、
「自分がされたことと」を根深く刻み
「自分がしてしまったこと」をあっさり忘れ
誰かに傷つけられたことは強く記憶し
誰かを傷つけたことは勝手に昇華してしまっているのだろう。

それに気づかされる、この本が、こわい。
とうの昔に封印したはずの、パンドラの箱があく。

万華鏡のように主語と目的語が入れ替わり、世の中には加害者としてのみ生きている人も、被害者としてのみ生きている人もいないのだと知らされる。

ああ、書いているだけで、また喉がかわいた。
ほんと、こわい本だったよ。

 

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さとゆみ#156 今まで感じていた「なんとなく」の理由が解明される。『花を飾ると、神舞い降りる』
ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。