ニッキー・ベンサムさん「理想を掲げ、弱きを助ける人が社会には必要」

イギリスの美術館で実際に起きた絵画の盗難。その絵画を人質に、犯人が政府に要求してきたのは身代金だった――。1961年の事件をもとにしたコメディ映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』が25日、全国公開されます。映画を企画したのは、ロンドンを拠点に活動するプロデューサーのニッキー・ベンサムさん。映画に込めたメッセージや、女性のキャリアと育児・介護の両立などについてお話を聞きました。

今まで語られてこなかった、驚くべき実話

――1961年にロンドンのナショナル・ギャラリーで14万ポンド(当時、現在の貨幣価値では300万ポンド)のゴヤの名画「ウェリントン公爵」が、盗まれました。その絵画を人質に、ニューカッスルに住むタクシー運転手ケンプトン・バントン(60)がイギリス政府に身代金を要求。ケンプトンは高齢者のために、その身代金で公共放送・BBCの受信料を肩代わりしようとした――。
この話についてのメールが、ケンプトンの孫からベンサムさんに届いたことで、映画化に向けて動き始めたそうですね。

ニッキー・ベンサムさん: こんなにいい話なのに、今まで多くの人に語られてこなかったことに驚きました。だから私はメールをもらって、ものすごい特権を手にした感じがしたんです。

1960年代初めのニューカッスルは、第二次世界大戦から立ち直りつつある時期。ロンドンとの社会的、経済的な格差はひどかったそうです。娯楽のほとんどはテレビだったので、BBCの受信料を支払えない貧しい高齢者は孤独を深めていました。そんな彼らを救おうとしたケンプトンは、自らの正義感に従って権力に要求を突きつけたのです。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』2022年2月25日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開。配給:ハピネットファントム・スタジ©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020=提供

――ケンプトンは普段から、高齢者のBBC受信料の無料化を街頭で訴えていました。一方で続かない仕事。彼に対して妻は不満を募らせていました。

ベンサム: ケンプトンの本質は善良で、周りの人のために動くことのできる人物。「多くの人が苦しんでいるのに、なぜ裕福な人がいるのか」などと、常に弱い立場の人のことを思いやって行動します。そして助けるために自らの人生を捧げるという英雄的な側面もありました。

一方で、完璧な人間ではありませんでした。仕事が続かずに苦しい生活を家族に強いて、妻を悲しませてばかり。夫として、父としての責任は全く果たせていません。理想を追い求めすぎて現実が見えていなかったんですね。

彼は愛すべき愚か者でしたが、社会をよくするためには彼のような夢見がちな人が必要だと私は思います。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』2022年2月25日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開。配給:ハピネットファントム・スタジ©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020=提供

パンデミックで新たな意味も

――コロナ禍の世界では、貧富の差による医療へのアクセスの違いなど、格差を感じる局面が以前より増えました。

ベンサム: 企画当初は「1人の人間でも社会に対して大きな変化を起こせる。そのために自分の信念は声を大にして言おう」といったことを伝えたいと考えていました。

ただ、世界的なパンデミックによって、違う意味合いも生まれました。コロナによって浮き彫りになった分断は、一部の人が豊かになっても、苦しんでいる人がたくさんいるのであれば、社会全体が繁栄できないということです。個々人が幸せでないと、その社会はよい状態とは言えない。

だから、同じコミュニティに暮らしている人同士が互いを思いやり、守り合いながら、少しずつ状況を改善することが重要なんです。他者と手を取り合うことで、社会は強くなっていく――そんなメッセージが映画に込められたように思います。

一方で、私の一番の願いは、映画を見た人に笑ってもらうこと。暗く分断されている世の中でも、ハートフルで気持ちのいいコメディを見ることで、誰かとともに笑い、楽しめるものがあると感じてもらいたい。楽しい時間や空間を共有することで、心を癒やしてほしいんですね。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』2022年2月25日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開。配給:ハピネットファントム・スタジ©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020=提供

出産の経験が仕事にいきる

――ベンサムさんは、イギリスの映画業界で育児や介護をしながら働く女性の活躍を推進する非営利団体「Raising Films」を1995年に立ち上げたメンバーの1人です。どうしてこのような団体を創ったのですか?

ベンサム: 当時、私は新人プロデューサーのメンタープログラムに参加していました。私のメンターは、『007』シリーズを手がけたバーバラ・ブロッコリ氏という先輩の女性プロデューサー。ただ、ブロッコリ氏と顔合わせをしようとしたのですが、スケジュールがなかなか合わず、出産予定日に会ったことを覚えています(笑)。

産後、私は育児が忙しく「プロデューサーに復帰するのは難しいかもしれない」と考えていたんです。その思いをブロッコリ氏に話したら、「あなたは出産を経験したことによって、より素晴らしいプロデューサーになれる。余計なことを考えずに仕事と育児に集中して」と言ってくれました。「人をまとめるプロデューサーの仕事は、母親の仕事や育児に似ている」とも。

キャリアという文脈では、妊娠や出産にはネガティブなイメージがつきまといます。でも、ブロッコリ氏からポジティブな言葉をかけてもらい、ハッとさせられた。この言葉をより多くの女性に届けたい。その思いで「Raising Films」を立ち上げました。

――妊娠・出産を経験することで、“よい仕事ができるようになる”と考えるようになったのですね。

ベンサム: 映画づくりというのは社会のあらゆる人々のストーリーを伝える仕事です。母親の悩みを描けないのであれば、それは自分たちが仕事をちゃんとできていないということ。

自分自身をより高め、キャリアと出産に悩む女性たちを助ける。その結果として素晴らしい作品を生み出せれば、映画業界全体を盛り上げることができる。女性が働ける環境を整えることは、どの側面から考えても重要なことなのです。

©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020

互いにリスペクトしながら対話を

――2021年のジェンダーギャップ指数が156カ国中120位だった日本は、女性の社会進出が課題です。

ベンサム: イギリスでは保育園やベビーシッターの利用費が高く、クリエイターに多い“フリーランス”という働き方をしている人は特に、様々な優遇が受けられないという事情もあります。どんな業界でも女性が働きやすい環境をつくる責任が政府にあるでしょう。

企業や雇用主は、コロナ下で広まっているリモートや、フレックスタイムなど、女性の事情に応じた働き方を増やしていくべきです。才能ある女性社員が少しでも長く働くことは会社にとっても大きなメリットになります。

仕事内容によっては難しいかもしれませんが、働き手は「ジョブシェアリング」という手段を取ることも。複数人が一つの仕事を共有することで、誰かが育児や介護でお休みをしても、仕事が回る仕組みのことです。映画業界でジョブシェアリングをする相手探しはRaising Filmsというサイトで、できるようにしています。

大事なのはそれぞれの立場で考えを伝え合い、よりよい生活のために対話をすることです。本人が望んでいる場合は別として、“女性が子育てをやるものだ”という考え方をなくさなければならない。パートナーがいる場合には役割分担は話し合うべきです。

©Misan Harriman

――女性の権利を主張しても、聞く耳を持ってもらえないことがあります。対話をしようとしない相手には、どう対応したらよいでしょうか。

ベンサム: 権利をとにかく主張するのではなく、女性が活躍することによるメリットを知ってもらうことが大切です。

イギリスでは女性が家計を握っていることが多く、家族の行動もよく見ています。映画業界の例でいえば、夫や子どもが見ているテレビ番組などを把握しているため、「どんな映画をつくれば売れるか」という視点を、女性の方が持ちやすいと私は思います。女性たちの意見を反映していくことは企業や業界に利益をもたらすはずです。

また、パンデミックを通して感じたのは、いつ誰が病気になってケアが必要になるか分からないということ。ケアをしてくれる人に敬意を表さなければならないし、社会はその人たちを大切にしなければなりません。どうすれば彼らが社会活動に参加できるのかも、考えなければならない。

様々な場面で、それぞれが単純に権利を主張するのではなく、リスペクトするべき部分に焦点を当てて対話を重ねる必要があるのではないでしょうか。

©Misan Harriman

●ニッキー・ベンサムさんのプロフィール

ロンドンを拠点に活動しているプロデューサー。映画『月に囚われた男』(2009年)、『サイレント・アイランド 閉じ込められた秘密』(14年)、『You Can Tutu』(17年)、『Who Killed The KLF』(21年)などや長編ドキュメンタリーを制作。エンタメ業界における女性の地位を高める国際的な団体「WFTV(ウーマン・イン・フィルム・インターナショナル)」のメンバーとしても活躍し、イギリスの映画業界で働く女性の労働環境改善を掲げた「Raising Films 」の創設者の1人でもある。

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』

監督:ロジャー・ミッシェル、
脚本:リチャード・ビーン、クライヴ・コールマン
プロデューサー:ニッキー・ベンサム
出演:ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グード
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
公開:2月25日全国公開

1989年、東京生まれ。2013年に入社後、記者・紙面編集者・telling,編集部を経て2022年4月から看護学生。好きなものは花、猫、美容、散歩、ランニング、料理、銭湯。
国際女性デー