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【グラデセダイ60 / でこ彦】グラデーションな季節#03「憂鬱な『おめでとう』を喜べるようになった今年の冬」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんのエッセイ。クリスマス近くが誕生日のでこ彦さんが子どもの頃から感じてきたこと。冬の匂いがする、エッセイです。

●グラデセダイ60

「ことし何歳になる?」と聞かれるのが嫌いだ。
年齢を尋ねられるのが嫌なわけではない。「いま何歳?」と聞かれたら素直に答える。
就職して以来、何年生かと聞かれる代わりに、「ことし何歳」という問われ方をすることが増えた。
その質問だと、損をしている気分になるので嫌だ。

僕の誕生日は1226日にあるので、2021年の130日現在、33歳である。しかし「ことし何歳になる?」だと「34歳」となる。33歳になってまだ1ヶ月しか経っていないのに。ことしの365日中360日は33歳として過ごすのに。
実際に34歳になったと思ったらすぐに今度は35歳と答えなければならなくなる。自分の認識と周囲の認識との間に1年の差が生まれることになる。
この時差は飛行機の中で食べる朝食なんだか夕食なんだかよく分からない機内食のようで居心地が悪い。

クリスマスの翌日が誕生日だというと、「プレゼントが一緒にされるでしょう」と反応される。
もしかすると他の家庭ではクリスマスの日にサンタクロースからと親からと二重にもらえていたのだろうか。子供時代、25日はサンタクロースから、誕生日は親からと2日連続でもらえていた。ひょっとするとこれは世間的には一緒くたにされていたのかもしれないが、姉もプレゼントは年2回、サンタクロースと誕生日だけだったので不満を感じなかった。

それよりも問題はケーキだ。
誕生日ケーキはいつもサンタクロースが乗ったケーキで、クリスマス当日に食べ控えた残り半分が使い回された。
姉は「誕生日おめでとう」と書かれたチョコレートプレートを食べていたのに、僕は「メリークリスマス」である。自分の誕生日がオマケ扱いされているようで気に食わず、中学生のときに「イエス・キリストと僕と、どっちの誕生日が大事なの!」と泣いて怒ったことがある。親はごめんごめんと謝っていたが、その翌年もやはり「メリークリスマス」だった。

中学2年生の1学期の途中、クラスメイトの野口さんがぱたりと学校に来なくなった。彼女とは小学校時代から仲が良く、前日まで昼休みは一緒に過ごしていたのに、何がきっかけだったのか理由は分からなかった。
教室の机に溜まったプリント類を渡すため、放課後に家まで遊びに行くようになった。部活を休む大義名分ができたのも僕にはありがたく、もはや渡すべきプリントがなくても通った。

野口さんは美術部で、そしてそれがよく似合う人だった。クラスで一番背が高く、おかっぱの髪型が芯の強い芸術家のようで、実年齢より大人びて見せた。持ち物にこだわりがあり、蛍光ペンひとつとっても見たことのない淡い色がペンケースに並んでいた。

彼女の部屋は和室で、窓の障子を外して薄い布をカーテンにしているのがお洒落だった。遮光性はほとんどなかったが、野口さんには機能より布の風合いの方が重要だったのだろう。
部屋には自作の油絵が何枚かあり、それが壁ではなく無造作に床に置いてあるのも格好良かった。野口さんの描く絵はゾウが多かった。
彼女の家で遊ぶときには、モモ味の甘い紅茶を作って飲むのが定番となった。水で溶かして飲む粉末タイプの紅茶で、口の中にねっとりと残る甘さだった。飲めば飲むほどノドが渇く不思議な飲料だった。

プリントの説明もそこそこに、野口さんの親が帰ってくるまでの間、夕方のドラマの再放送を見ながら俳優の似顔絵を書いたり、別の中学へ進学した友人にその絵を郵送したりした。封筒に切手を貼り、ポストに投函しに行く道すがら、野口さんが「貰えるとしたらどの家が良い」と聞いてきた。住宅地に静かに並ぶ家のひとつを指差し、「私はあの家。玄関前のアーチがかわいいから」と教えてくれた。何度も通った町内だったが、これらの家のどれかを貰えるなんて思ってもみなかった。視界が開けるようだった。それからは僕たちは散歩をしながらどの家を貰うか取り合うことになった。

なにかのきっかけで「てれび戦士になりたい」という話をしたことがある。当時、NHK教育で放送されていた『天才てれびくんワイド』に出演する子役のことである。しかし、てれび戦士としての活動は中学2年生までというルールがあり、僕がなれる見込みはもはやなかった。
小学生に戻りたかった。これ以上誕生日を迎えたくなかった。戦士への憧れだけではない。「変声期」や「成長痛」への恐怖も理由のひとつだった。親の「食べ盛りだからたくさん食べなさい」という配慮さえ、見放される心地で寂しかった。テレビで元アイドルが投与されそうになったと暴露していた「成長を止める注射」が僕も欲しかった。

野口さんは反対に「早く大人になりたい」と言った。「早く子供時代をすっ飛ばしたい」だったかもしれない。あまりにきっぱりとしていたので怖くて踏み込んで聞けなかったが、不登校の理由はそこにあるのかしらと勝手な想像を抱いた。

野口さんと公園で遊んでいたときにちょっとした事件が起きた。その日は彼女の親が家にいて、外に出ることになった。彼女は水筒を持ってきており、中身を尋ねるとお茶だと言う。しかしいつもの紅茶ではないらしかった。間接キスになるからダメだと言って野口さんはひとりで水筒を飲み干した。
ブランコを漕いでいると、隣で野口さんがどちゃりと倒れた。穴に落ちたかと思うほど急だった。ぐにゃりとした肩を叩くと意識はあるようで、なんとか家まで送り届けてその日は解散した。

あとから聞いたところ、水筒の中身は実は養命酒だったらしい。ほとんど急性アルコール中毒で、親に怒られて病院に連れていかれたとのことだった。恥ずかしそうでもなければ武勇伝としてでもなく、いつものように淡々と教えてくれた。
彼女の大人になりたさは本気だったのだと当時の僕は感心するとともに、お酒の恐ろしさを目の当たりにして、僕は子供のままでいようと強く願った。

夏休みが明け2学期になると、野口さんは保健室に登校するようになった。給食を保健室まで持っていかなくてはならなかったが、担任の先生は女子にそれを任命したので、僕は顔を合わせる機会がほとんどなくなった。
そのまま3年に進級してクラスが離れると、いよいよ会うことはなくなった。野口さんは県外の美術系の高校に進学するらしいと聞いたが、卒業式もろくに顔を見ないまま引越していったようだった。
薄情にも見えるシンプルさが野口さんらしく、格好良かった。 

大人になりたくないなあと思っているうちに、ぼんやりと時間が経ってしまった。
いざ自分が大人になると、年末の時期にケーキを2個も用意するのは面倒くさいことが判明した。なので結局、誕生日はクリスマスの残りを食べることになっている。最近では2日間連続で食べるだけの食欲がなくなった。
あれだけ恐れていた体の「成長」は「老化」に名前を変えた。

今まで誕生日を祝われるのが苦手だった。何も成し遂げていないのに「おめでとう」と声をかけられて、どういう顔をして聞けばよいのか分からなかった。しかし、この1年を無事に過ごせたことのなんと喜ぶべきことか! この感慨も歳を取ったおかげなら、老化も悪くないのかもしれない。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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