グラデセダイ

【グラデセダイ59 / 小原ブラス】「紅白歌合戦」の組分けにLGBTQへの配慮は必要か?

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。タレントでコラムニストの顔も持つ小原ブラスさん。年末の風物詩「紅白歌合戦」の「紅組」「白組」の組み分けについて巻き起こった議論を、ブラスさんの視点で語ります。

●グラデセダイ59

新型コロナのおかげて世界と少しだけ繋がれた

いよいよ激動と自粛の年2020年も終わり、コロナの傷が癒えることがないまま緊急事態宣言とともに2021年の幕が明けた。
今年のお正月はいつもと違い、実家に帰ることもなく1人でしくしくと過ごした人も多いのではないだろうか。僕も今年は実家に帰らず自分の家で年を跨いだ。

今までに経験したことのない自粛の年越し、なんとも言えない寂しいものだったが、文明の利器のおかげでロシアの家族とビデオ通話をしたり、工夫次第では寂しさを紛らわすこともできた。この自粛の年越しの流れは日本だけではなくロシアでも、いや世界中がこの波に飲み込まれていることを考えると何か不思議な気持ちになる。

今や世界中で「COVID-19」という単語を知らない人はいないだろうし、誰もがそれに苦しんでいる。もちろん辛いことで、それがないに越したことはないが、世界一の嫌われ者コロナのおかげで少し世界と繋がったような気がする。

「紅白歌合戦」をめぐって巻き起こった、LGBTQへの問題提起

今年は無観客で行われたNHK紅白歌合戦、自粛年越しのおかげもあってか、40%を超える高視聴率だったのだとか。毎年年末になると僕は「ガキの使いやあらへんで!」を見るのだが、なんだかんだで紅白の終わりが近づくとNHKにチャンネルを合わせてしまう。

ロシアでも年末のテレビは紅白のようなスタイルのコンサートが放送されるのだが、日本の紅白とはまた違った空気感だ。一番の違いは、あの小さなホールで紅組と白組が競い合っている点にある。ただ単に今年流行った曲を流すだけでは多くの視聴者の投票に結びつかない。若者にとってはそれは楽しいかもしれないが、高齢層の視聴者にとっては昔懐かしの曲の方が応援したくなるものだ。あれが「合戦」であるが故に、さまざまな年代の歌手を見られるのが紅白のいいところなのかもしれない。

そんな紅白歌合戦、実は一部から批判の声があがっていることをご存知だろうか。昨年末に複数のニュースサイトで記事として取り上げられていたその批判をみて僕は少し考えさせられた。

「紅組の女性と白組の男性にわけて競い合うのはいかがなものか?どちらにも属さないLGBTQの人に配慮をするべきではないか?」

おおよそこのような内容の批判だ。

紅白歌合戦の歴史を辿ると、それはまだテレビ放送が始まるよりも前、終戦の年まで遡る。戦争で傷ついた国民を音楽で癒そうと企画された「紅白音楽試合」というラジオ番組がその発端だと言う。この番組の反響があまりにも大きく、6年後「紅白歌合戦」と名前が改められ、その歴史が始まったそうだ。

男女の地位の格差が大きかった当時、音楽であれば女性が男性と対等に競い合えるのではないか? そんな思いもこめられて始まったこの番組は、男女が平等に競い合う場として多くの国民に受け入れられ、今まで1度も欠かすことなく放送され続けているのだ。

確かにその当時とは時代も変わり、男性と女性が競い合える場はいくらでもある世の中になったし、男と女の境目が曖昧な人も多く出てきた。今の時代に必ずしもこの形がフィットしているとは言えないのかもしれない。この長く続いた歴史ある番組の形態について話し合うことや考えることは決して悪いことではない。

ただ、どうしても気になるのは、とってつけたような「どちらにも属さないLGBTQの人に配慮をするべきではないか?」この部分だ。

僕はゲイとして生きて、周りに多くのLGBTQの友人がいるが、その人たちから「紅白って男女でわけるのやめた方がいいよね」なんてただの1度も聞いたことがないのだ。むしろ、それを楽しんでいる人の方が圧倒的に多いと感じる。こんな言い方をすれば、まるで私たち当事者が「配慮してくれ!」「紅白を男女でわけるのをやめてくれ!」とでも言っているように聞こえるではないか。

男女の問題や性の問題を話し合うのは素晴らしいことだが、何か議論するときに水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」のごとく「LGBTQへの配慮」という言葉を使いすぎだと感じることが多くなってきた。

もちろん各々配慮をしてほしいと感じる点はあるのかもしれないが、当事者として僕はこの手の話題の時、正直「配慮」なんて求めていないと思ってしまう。多くの当事者はどちらかというと「ほっといてくれ」の方が大きいのではないだろうか。

「居心地の良い場所を作ってくれ」と言いたいわけじゃない

僕の周りのLGBTQの中で、男女どちらとも言えない狭間に生きている方は上手に生きている。男女で分けられる空間が苦手であればそれを避けているし、それを避ける自由さえ保たれていれば不自由はない。「避けたいと思わせること自体が排除だ」と言うかもしれないが、そんなのLGBTQに限らない話。ゲイばかりが集まる空間にストレートの男性が入り辛いことだってあるし、男性客ばかりのラーメン屋さんに入り辛い女性客だっている。自分が苦手とする空間を避け、居心地のいい空間を探すのは誰しもがあることだ。

配慮してくれと言いたくなるのはどうしても関わらざるを得ない公的な場に対してだ。公共放送であるNHKの紅白歌合戦がそこまで関わらざるを得ないものかと言われるとそんなことはない気がする。

当事者としては、「私たちの居心地の良い空間を作れ」と言いたいのではなく、「その居心地の良い空間の邪魔をしたり、居心地の悪い空間に強制的に入れ込もうとしないで」なのである。

だから、今の紅白歌合戦の形に心を寄せている人がいる限り、その人たちの空間を奪うような主張はしたくないと僕は思っている。だってそれをされたら自分なら嫌だし、今まで主張してきたことと矛盾するから。

ましてや紅白は男女で分けてこそいるものの、紅組に出てる男性歌手、白組に出てる女性歌手だっている。柔軟な対応をしている方ではないか。

私たちに配慮はいらない。ただ自由に生きさせてくれたらそれでいい。

1992年生まれ、ロシアのハバロフスク出身、兵庫県姫路育ち(5歳から)。見た目はロシア人、中身は関西人のロシア系関西人タレント・コラムニストとして活動中。TOKYO MX「5時に夢中」(水曜レギュラー)、フジテレビ「アウトデラックス」(アウト軍団)、フジテレビ「とくダネ」(不定期出演)など、バラエティーから情報番組まで幅広く出演している。
グラデセダイ