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【グラデセダイ51 / 小原ブラス】「LGBTQ」と「子育て」は両立できる

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。タレントでコラムニストの顔も持つ小原ブラスさん。足立区区議の発言から、子育てを考えます。

●グラデセダイ51

ここ最近、足立区議のLGBT差別発言問題がしきりに報じられ、ネット上でも様々な意見が飛び交っている。

「ありえないことですけれども、日本人が全部L(レズビアン)、日本人が全部G(ゲイ)だったら次の世代生まれますか?足立区は滅んでしまう!」

このような発言に対して、多くの批判が集まり謝罪と発言の撤回をするに至ったようだ。この発言自体は、子どもの教育について「子どもを産むことの素晴らしさをもっと教えるべきではないか」という区議の問題提起の中で、「LGBTのことは教えてるのに」という対比の例として出されたものだ。

LGBTQの当事者としては、その言い方にムッとするところはあったが、「子育てに関する教育をするべきなのでは?」という意見自体は、あっても良いのではないかと思っている。

必ずしも子育てをすることばかりが素晴らしいこととは言えないが、子育ての大変さ、素晴らしさを大人になる前に頭の中に入れておくことで、子育て世帯への配慮ある行動ができる大人になれるのではないかと思うからだ。

そのような考え方や主張はあっても良いものなのに、対比としてLGBTQを持ち出して発言してしまったことが本当に勿体無いなと思う。まるでLGBTQなどの性的少数者に関する教育と、子育てに関する教育が両立出来ないものであるかのようにも受け取られるが、実際はそんなことはないはずだ。

自分の主張をより分かりやすくしようとして、下手な例えや、対比表現を用いてしまうことで、何も伝わらない政治家がどれほど多いことか。

今回の件について、SNSなどのネットの反応を調べてみた。すると、よく分からないまま批判をする人が多くいることに気がついた。メディアが足立区議の「LGBTQばかりだと足立区が滅んでしまう」という衝撃的な発言の一部ばかりを盛んに報道をしているので無理もない。

子育て教育とLGBTQ教育の両立が問題点として議論されるべきなのに、滅ぶのか滅ばないのかだの、傷ついただの傷付かないだの、その多くの議論がズレていると感じる。誰も子育て教育に関する議論をしていないのだ。

以前、杉田水脈議員が「LGBTは生産性がない」と発言した時にもそうだったが、LGBTQに関して誰かが失言をすると、その失言の一部を切り取った報道にそのまま乗せられて、的外れで攻撃的な批判をする人達が凄く多い。そして、その批判のあり方が問題だと感じた人たちが、LGBTQを批判するようになるのにもうんざりだ。

今回の件でネットで何度も見かけた書き込みにこんなものがあった。

「多様性を受け入れろというのであれば、同性愛に嫌悪感を抱く人もその多様性の一部だ。同性愛者を気持ち悪いと言う権利も守られるべきだ」

本当にそう思っているのか、感情的になってそのようなことを書いているのかは分からないが、この手のことは昔からよく言われる。同性愛者の立場としては「気持ち悪いと思うな」なんてことを言うつもりは一切ない。殆どの同性愛者が、気持ち悪いと思われても仕方ないよなと思っているのではないだろうか?

ただ、「思う」ことと「言う」ことは違う。僕たちの恋愛を見て「気持ち悪い」と思うのは自由だ。好きなだけ「キモッ」と思ってもらって構わない。だけど、わざわざ当事者が聞こえるところで「気持ち悪い」って言葉を投げつける必要はあるのだろうか?

僕はそうは思わないが、例えば高齢者同士の恋愛を「気持ち悪い」と思う人は一定数いるだろう。太った人同士の恋愛を「気持ち悪い」と思う人もいるかもしれない。そもそも、自分が興味を持てない人たちの恋愛なんて、だいたい「気持ち悪い」と思えるものだ。

でも、思ったからと言ってわざわざ「お前ら気持ち悪い」とか「高齢者の恋愛とか気持ち悪い」なんて言わないだろう。その人たちが言われて気持ちが良いはずもないし、わざわざ他人の気分を害することを声に出して言うのってどうかしてる。それって「他人の気分を害するようなことを言う権利を認めろ」と主張してるのと同じようなものなのだと思う。そんなの権利云々の前に人としての道理の問題ではないだろうか。

いまだに、このようなレベルのことで言い合いをしていること自体が少し残念だ。そろそろLGBTQと子育てに関する問題を考えたり、 LGBTQの問題に限らず、言葉の揚げ足を取り合わない具体的な議論をしてほしいなと僕は思う。

これからの「子育て」について考える時、僕がよく思い出す実話を描いた映画がある。

『LION/ライオン ~25年目のただいま~』

インドの貧困シングルマザー家庭に生まれた少年「サルー」が、迷子になり、母が探すも見つからず、気がつけば5歳にしてインドで路上生活をすることになる。路上生活も限界を迎えた頃、サルーは孤児院に預けられ、そして養子としてオーストラリア人夫妻に引き取られる。オーストラリアで幸せに育てられ、大人になったサルーは、いつしかインドの家族に無事を伝えたいと思うようになる。かすかな記憶とインターネット情報(グーグル・アース)だけを頼りに故郷を探し当て、25年ぶりに母親と再会するという内容。

この映画でとても印象に残っているシーンがある。大人になったサルーがオーストラリア人の育ての母にふと「自分の子どもが産めたら。もっと幸せだったのにね。」と言ってしまうのだが、その時に彼女が返した言葉が考えさせられるものだった。

「私たちは子どもを産めなかった訳ではないの。子どもは産めたけどあえてそうしなかった。養子をもらおうと夫婦でそう決めたのよ。こんなにも人で溢れた世の中で、必ずしも自分の子どもを産むことで世界がよくなるとは限らない。あなたたちのように傷つき、苦しんでる子どもを引き取って育てる人も世の中には必要だと思ったの」

この言葉に救われた人は多いのではないだろうか。「子育て」というのは何も「産む」ことだけではないのだ。このオーストラリア人夫妻のように、預かって育てることだって「子育て」だし、子育てをできる環境を整える仕事をする人だって「子育て」には参加しているのだ。しっかり働き子育て世帯をサポートするための納税をすることでさえも「子育て」なのだ。

こんなことを言ったら、実際に子どもを産んで育てている人に「おいおい、それだけで子ども育てた気になるなよ。どんだけ大変だと思ってるんだ。」と怒られるかもしれないけれど、だからこそ子育て世帯を社会全体でサポートしようとしないといけないのではないだろうか。

少子化少子化と騒いで、その犯人を探す必要はない。そんなことしてる暇があれば、産みたくてもお金がなくて産めない世帯をサポートするにはどうすべきかを考える必要があるし、育てるお金や環境はあるのに産めない家庭に子育てをお願いする養子制度についてもっと広めるべきなのではないだろうか。

そんなことを考えることができる大人を育てるためにも「子育て教育」と「LGBTQ教育」は両立するべきだと思う。「子どもを産むことはこんなにも素晴らしいことだ。でも世の中には産めない人や、産まない選択をする人もたくさんいる。そういう人たちだって子育てができない訳ではないし、社会の役に立つことはできるんだよ。適材適所、力を補い合える多様性のある社会を目指しましょう。」こんな教育を子どもにしてあげるのが、そんなに難しいことなのだろうか。僕は今回のLGBTQ発言でそんなことを思った。

1992年生まれ、ロシアのハバロフスク出身、兵庫県姫路育ち(5歳から)。見た目はロシア人、中身は関西人のロシア系関西人タレント・コラムニストとして活動中。TOKYO MX「5時に夢中」(水曜レギュラー)、フジテレビ「アウトデラックス」(アウト軍団)、フジテレビ「とくダネ」(不定期出演)など、バラエティーから情報番組まで幅広く出演している。
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