グラデセダイ

【グラデセダイ52 / でこ彦】グラデーションな季節#01「大嫌いな夏に思いを馳せて」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんのエッセイ。夏は大嫌い。だけど、夏に思い出す友人との甘酸っぱい話。

●グラデセダイ48

今年は七月からの三カ月間、体調がすぐれなかったため会社を休んでいた。どうにも気分がふさいで布団から起き上がれず、意思と関係なく涙が流れた。
職場復帰する前に上司と面談をし、そこで「原因は何だったの」と尋ねられた。困難な仕事があれば担当を変えるし、人間関係の問題ならば配慮すると言ってくれた。
確かに仕事のプレッシャーもあったし、ウマの合わない同僚もいる。悪政や疫病からくる漠然とした不安もあった。しかし、一番の原因として思い当たるのは「夏の太陽が暑すぎるから」だった。
とはいえそんな異邦人みたいなことは言ってられず、それなりの説明をして担当業務を減らしてもらった。

夏が嫌いだ。暑いから嫌いだ。冗談ではなく本当に嫌なのだ。去年までは毎朝、この暑い中を出勤しなければいけないという苦痛から蕁麻疹が出た。誇張ではなく全く毎朝である。二月頃に日差しから春っぽさを感じたあたりから「暑い日々が戻ってしまう」と気が滅入り、食欲もなくなり、睡眠の質が悪くなり、吐き気をもよおす。
それだけではない。職場環境も最悪で、定時を過ぎると会社の冷房が切れる。なのに仕事とはどういう仕組みかやればやるほど増えていく。夜、開け放した窓からは風が通らず虫しか入ってこない。蚊や白い虫、よく分からない潰すと臭い虫と格闘しつつ書類に汗のしみを落としながら取り組まねばならなかった。
冬もまた石のように冷たい環境で、凍って動かない指を駆使してキーボードを打たなくてはならないのだが、それは別の機会に不満をもらすとして、とにかく本当に夏は最悪。

昔はそんなことはなかった。楽しい夏の日もあったはずだ。
たとえば、祖母の家に行って近くの神社でホオズキを買ったり、クーラーの効いた部屋でドーナツを片手に県立図書館で借りた珍しい本を読んだりすることは「最高の夏休み」のひとつだった。
もう少し成長をすれば、友達数名を家に呼んで庭でバーベキュー、夜には花火をしたこともあった。彼らとは高二の春に入った生徒会で知り合った。学校の花壇で水やりをしていたはずが、いつの間にか水をかけ合う遊びに変わり、びしょ濡れの格好で一緒に下校したのがきっかけで仲良くなった。その後も体育祭や球技大会など屋外で行われる生徒会行事のたびに水をかけ合う流れができてしまった。この頃は暑いというだけで楽しめたのだ。
どういう仕組みか友人関係が二年以上続いたためしのない僕は、彼らとも高校卒業を機に交流がなくなるのだが、その中でただひとりたっくんだけは進学先の大学が同じという縁もあって友情が続いた。

大学での僕は気取って言えば孤独だった。
二〇歳時点での体重がその人の人生の最低体重になるという噂を聞いた僕は、その後の人生を健康的で軽やかに過ごすべく最初の二年間を必死で減量に努めた。お酒を飲まず、頭の中は常に摂取カロリーの計算でいっぱいで、バイトもサークルも参加せず家と図書館の往復で、友人ができるはずなかった。他人が介入する余地がない。
起きていればお腹が空くので夜の八時には就寝し、朝四時に空腹で目を覚ました。お腹が空くのも、満腹になるのも嫌だった。死ぬまで食べ続けないといけない人生は苦痛だった。
反対にたっくんは「人生こんなに楽しくていいんかな」と言っていた。一年目の夏休みにはすでに車を購入し、たまに夜のドライブに連れ出してくれた。助手席で眠そうな僕にむかって「俺は全部楽しみたい。寝てる間に面白いことがあったら嫌だから寝るのがもったいない」と話してくれた。「損をしているようで毎日焦ってる」という言葉どおり、塾講師のバイトを始めたかと思えばホストのバイトを始め、ゼミの先輩と出張へ行ったりサークルの友達と海外旅行に行ったり、学校で出くわすといつもどこかへ行く途中だった。
その頃「歯亡び舌存す」という言葉を知った。年老い衰えたときに歯はなくなっても舌は残ることから、剛強なものほど滅びやすく、柔軟なものほど生き延びるという老子の言葉だという。
自分を「歯」に例えるほど屈強な生き方はできていないが、たっくんはまぎれもなく「舌」だと思った。
僕はこれではいけない。たっくんを目指すべきだ。二年以上の付き合いのある友人は国産の線香花火より貴重である。振り落とされないようにきちんと「舌」につかまっていないといけない。僕ももっとパッと咲いて散るようにならなくてはならない。
と思い、大学四年の夏、バイクの免許を取るがお金がないと言うたっくんに三〇万円を貸した。これが自分ができる精一杯の「無茶」だった。なんとなくで就職することにした僕は、院に進むたっくんが羨ましかった。一緒に何かやった気になりたかったのだ。

しかし大金である。「舌」になりきれない小心者の僕は返ってくるか不安になったが、たっくんは「卒業旅行でオーロラ見に行きたいけどお金が足りないんだよね」とこちらを見てきた。
「もう貸せないよ! 免許のお金も、卒業したら会えなくなるんだから、それまでに絶対返してよね!」
と言いながら、卒業したら会うつもりがないんだ、と自分で自分の薄情さに嫌気がさした。
果たして卒業式の日にきっちりお金は振り込まれ、ろくに挨拶しないまま僕は就職先へ引っ越し、たっくんがそれからどうなったかは知らない。堅く見えた友情もあっけないものだった。

これから先、夏を楽しむことはできるのだろうか。「最高の夏」を体験しようと思っても、ドーナツはおいしいと感じるより先に脂質と糖質が頭にチラついてしまうし、バーベキューと花火のできる庭もたっくんもいない。そもそも夏休みがない。ただただ暑い日々が続くだけである。夏が終わったそばから次の夏が不安で仕方がない。
しかし、過去を再現するだけが方法ではないはずだ。人生は食事と空腹の繰り返しでもなければ、暑さと寒さの連続だけでもない。ならば何だと聞かれても答えられないが、かつては興味のなかったホオズキが今は美しく感じられるように、少しずつ成長はしているのだろう。太陽の暑さで仕事を休むくらい柔軟になれたのはいいことだ。
夏が不安だと言ったその舌の根も乾かないうちで恐縮だが、来年の夏は何をしようか楽しみになってきた。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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