【グラデセダイ62 / かずえちゃん】「かずえちゃん」辞めます
●グラデセダイ62
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かずえちゃん辞めます
昨年ごろからなんとなく、自分のなかにあったモヤモヤとした感情を言葉にした動画「かずえちゃん辞めます」を先日YouTubeにアップしました。
知らず知らずのうちに自分が自分を縛ってしまっていたような……
「かずえちゃん」ってこうあるべきと自分に言い聞かせていたような……
「本当の自分(こうありたい自分)」と「こうあるべき自分」の間でもがいていたような……
そんなモヤモヤを今日は文字にして伝えてみようと思います。
僕のYouTubeに「かずえり」というコーナーがあります。
視聴者の方の恋愛相談や人生相談に友人のえりちゃんと一緒に答えていく動画なのですが、そこでえりちゃんに、「もう“かずえちゃん”辞めようと思うんだ」といきなり僕の相談を投げました。
でも正直、このとき自分のなかで答えは既に見つかっていたと思います。
その自分の答えをえりちゃん、そして視聴者の方々に話すことで、自分自身に言い聞かせようとしていた感じです。(有言実行的な???)
「本当の自分」と「他人が思う自分」
振り返ると僕は子どもの頃から人一倍「ヒトの目」を気にしながら生きてきた気がします。
そのせいか、人の表情や言葉から「あっ、この人いまこう思っているだろうな」となんとなくわかるように(感じるように)なりました。
(でもそれは自分が思っているだけで、本人はそう思っていないかもしれないので本当のところはわからない、取り越し苦労です)
とくにゲイであることをカミングアウトする前は、今以上にヒトの目を気にしていたと思います。
「本当の自分」と「他人が思う自分」があり、「本当の自分」の上に「他人が思う自分」をまとっているようなそんな感覚でした。
そのまとっているものを脱ぐことができたら、どんなに楽なんだろうと思いながらも怖くて脱げない……そんな感じでした。
(でもその「他人が思う自分」も、結局は自分自身が作っているんだと思います)
自分自身にとって「ゲイであることを隠さずに生活した」約3年間のカナダ生活は、本当の自分に戻れた、そんな時間でした。
しかし、人間とはとても不思議なもので(というか僕という人間は不思議なもので)、いつの間にかまた「本当の自分」と「他人が思う自分」の間でもがいていることに気づきました。
学生の頃、友人に言われたひと言を今でも時々思い出します。
「ふーこ(小学生の頃からのあだ名です)って私の相談はいつも聞いてくれるのに、自分のことって全然話さないよね?」
その友人が誰だったのか、そしてその友人も言ったことすら多分覚えてないくらい何気ないひと言でした。
でもこの誰だかわからない友人の、図星をつかれたひと言がずっと僕の心には残っています。
いつもヒトの目を気にしながら生きていた僕にとって、自分の弱いところや汚いところ、恥ずかしいところは絶対に見せたらいけないものだと必死に「こうあるべき自分」を守ってきました。
けれど、守れば守るほど本当の自分を見失い、守れば守るほど悲しく、そして虚しくなることがありました。
「認められたいという感情から解放されたい」
「かずえちゃん」ってこうあるべきなんだ!
それは自分自身が作ってしまった「かずえちゃん像」なのです。
男だから / 女だから / ○○だから……
そんなものに縛られず「自分自身」を大切に生きればいいとYouTubeやコラム、講演などを通して伝えてきました。
でも、その「こうあるべき」に知らず知らずのうちに自分自身が一番縛られていたと感じています。
この動画には多くのコメントが寄せられました。
そして動画を見てくれた友人からも多くのLINEが届きました。
僕も含めて、「本当の自分(こうありたい自分)」と「こうあるべき自分」の間でもがいている人は少なくないと思います。
けれど、どんな自分だって僕だし、あなたです。
そして、どんな自分で生きようが僕の人生だし、あなたの人生です。
自分自身がつくってしまった「かずえ像」は決して、他人が作ったものではなく自分自身で作ったものです。
だから自分で壊すこともできるし、作りかえることもできるものだと思います。
「認められたいという感情から解放されたい」
Netflixのドキュメンタリー映画「ミス・アメリカーナ」でテイラー・スウィフトが語った言葉です。