自分を変える、旅をしよう。

1年の半分は海外で演奏旅行。過酷なスケジュールを乗り越える、ピアニスト・佐野優子さんのコンディションの整え方(前編)

旅によって人生が変わった人や、旅を通した生き方をリーマントラベラーの東松寛文さんが紹介する「自分を変える、旅をしよう。」。20回目に登場するのは、ロンドン在住のピアニスト・佐野優子さん。コロナ以前は、演奏のため世界中を旅していたという佐野さんに、初めての旅から旅先でのコンディションの整え方までお話をうかがいました。
「経験に時間とお金を費やしたい」旅の荷物を最小限にして気づいたこと ピアニスト・佐野優子さんに聞く、現地の空気を吸っているだけで、幸せで満たされる旅の経験とは?(後編)

●自分を変える、旅をしよう。#20 佐野優子(31)前編

リーマントラベラーの東松寛文です!今回お話をうかがうのは、ピアニストの佐野優子さん。ロンドン在住の佐野さんは、1年の約半分は、演奏旅行をしながら過ごしているのだそう。僕以上に旅のプロに、初めての海外旅行のことから旅に向けてコンディションをどう整えているのかまで、うかがいました。

東松寛文(以下、――): 現在はロンドンにお住まいだそうですね。ロンドンに住んだきっかけを教えてください。

佐野優子さん(以下、佐野): きっかけは2013年に英国王立音楽院(Royal Academy of Music)に留学したことです。その2年前の2011年、東京芸大4年生の時に1年間休学して、ハンガリーのブダペストに留学したことがあります。何年分もの経験を凝縮したような素晴らしい1年間で、帰国してからも修士課程では海外で勉強したいという気持ちが強くなりました。

――どの国に留学するかはどのように決めたのですか?

佐野: 音楽環境や先生などはもちろん、新しい生活や現地の文化にどっぷり浸かりたいと思っていた私にとって、学内に日本人留学生があまりいない、というのも重要な条件のひとつでした。クラシック音楽発祥のヨーロッパに身を置きたいという気持ちはありましたが、なかなか絞れずに悩んでいました。

――ロンドンにある学校を選んだのはなぜですか?

佐野: 音楽は全く分からない父の「イギリスはどうなの?」という言葉がきっかけで調べてみると、数週間後に、都内で英国王立音楽院のアジア入試ツアーが開催されていることが分かりました。始めは、せっかくだから受けてみよう、くらいの気持ちだったのですが、提出する作文などを作成して準備しているうちに、徐々にこの学校で学んでみたい、という気持ちが強くなったのを覚えています。
後日、合格通知とともに、奨学金授与のお知らせも届き、友人や知人もいなかったロンドンへ飛び込んでみることを決心しました。

佐野さん8歳、ザルツブルクでのコンサートの時の1枚

――現在は世界中で演奏されている佐野さんですが、もともと海外にはよく行っていたのですか?

佐野: 8歳の時、初めて海外で演奏をしました。演奏したのは、モーツァルトの生誕の地、オーストリアのザルツブルク。モーツァルトなど数百年前の作曲家が生きた地、住んだ家、演奏した宮殿などを実際に訪れることができたことは人生を変える経験で、今でもその興奮を覚えています。私にとって海外へ行く時は、音楽は切っても切れない関係です。
英国王立音楽院卒業後からコロナ渦前の数年間は、1年の半分は演奏旅行している生活でした。これまで40年ほど訪れましたが、新しく行く地だけでなく、以前も訪れた地に度々ご招待いただくことが多いです。

――お仕事とはいえ、1年の半分が海外生活はちょっとうらやましいです。

佐野: 演奏旅行は優雅なイメージですが、実はなかなか過酷です。長時間飛行機に乗って到着したら、その足で歓迎会へ直行します。夜遅くまで主催者などと交流して、翌朝は早ければ7時から打ち合わせとリハーサル、昼には第1回目の公演し、終演後はサイン会や撮影会。そして、休む間もなく夜の部のリハーサル、公演、再びサイン会・撮影会……。そして、深夜まで打ち上げパーティーに参加して、翌日早朝には次の目的地へ出発するというスケジュールが数週間続きます。

――それはハードスケジュールですね!時差ボケや体調管理が大変そうです。

佐野: 幸い、いつでもどこでも寝られる体質なので、機内で寝て時差ボケ対策ができ、いつも時差ボケは全くありません!タイトな旅程で、滞在先で観光や自由探索できる機会がないのは残念ですが、私にとってはそれぞれの地の会場やお客様、そして公演関係者の方々との交流が、何よりの旅の思い出です。
演奏旅行から戻ると、しっかりコンディションを整えて次に備えるために、練習、運動、食事、休養のバランスを取りながら、自宅で心身共に静養するようにしています。

スペイン、コンサートツアーで演奏する佐野さん

――コンディションの整え方もご自身で作り上げていったのでしょうか?

佐野: 子どもの頃から敏感体質で、旅先で不調になったり、いつもの生活ルーティンや練習ができなかったりすることが、旅の楽しさ以上にストレスを感じていたのを覚えています。
海外生活をするようになって演奏旅行の機会も増え、旅先で自分を調整する術を自然と身につけてきた気がします。

――演奏旅行となると、旅先での過ごし方も大切ですね。

佐野: 普通であれば、旅行ではどれだけ旅先を満喫できるかが焦点だと思うのですが、私の場合は旅先でもどれだけいつも通りの自分で、最高のパフォーマンスができるかが課題です。近年は、リラックス、体力の温存、そして肝心な集中力のオンオフが自然とできるようになり、過酷ながらも常に楽しんで取り組めるようになりました。
クラシック音楽のコンサートでは、短くて1時間、通常は2時間演奏するので、音楽家はアスリートとも言われています。終演後は脱水と体力消耗で、数キロ体重が落ちることもあるほどです。私は本番前はバナナで栄養補給するのですが、バナナはどの国でも必ずあるので便利ですね!

――現在のように演奏旅行をする前はどんな生き方や考え方をしていましたか?

佐野: 実は、もともと旅好きではありませんでした。今も、演奏でなければなかなか旅に出て行かず、私自身の新婚旅行でさえも、式から1年も放置してしまったほどです。結婚式の3日前まで、ロンドンからはるばる中国まで演奏旅行には行っていたのですが(笑)。

初海外旅行のアメリカで。佐野さんが1歳9カ月の時

――佐野さんが初めて行った旅先はザルツブルクですか?

佐野: 人生初の旅行は、1歳9カ月で訪れたアメリカだそうです。私が生まれた時に父が仕事の海外研修でアメリカに滞在していたご縁で、家族で遊びに行きました。上の写真の女性がとてもおいしいぶどうをくれたのですが、どうしてももっと食べたくて、周囲の子が発していた「More!」を、Rの発音もはっきり、マネして連呼したこと、そしてそのぶどうの味を、今でも鮮明に覚えています。
ウクレレ教室とハワイアンバンドを退職後の楽しみに続けている祖父に連れられて、子どもの頃に何度かハワイへも行きました。

――すごい!うらやましい記憶ですね。初めて一人旅をしたのはいつですか?

佐野: 海外への初めての一人旅は、高校3年の春、17歳の時でした。東京藝術大学の附属高校に通っていたのですが、そのオーケストラがパリ・ユネスコ本部会議場へ招待され、ピアノ科の生徒たちだけが約1カ月間日本に取り残され、自習となったことがありました。折角だから私もその期間を活用して海外武者修行したいなと思い、校長先生に連絡をしてみたところ、なんとすんなり許可をもらうことができたのです。

ロンドン・アビーロードスタジオでの公演

――高校生で海外一人旅!どこを旅したのですか?

佐野: 高校生なのにどうしても一人で行きたかったので、治安の良い地、私自身も家族も土地勘のある地、頼れるご縁のある地、と絞り込み、ピアノの指導を仰ぎたかった師のいたウィーンを再び訪れました。練習やレッスンはもちろん、素晴らしいオペラ、コンサート、公開レッスンの聴講など、約1カ月間、朝から晩まで音楽漬けの生活を満喫しました。来日公演では1席で数万円以上するオペラも、現地ではたった数百円で立ち見席をゲットできたり、親切な方々のご配慮で関係者席に招待していただいたり、驚くほど節約しながら、とても濃厚な経験をすることができました。旅行というよりは、短期留学のニュアンスが近いのかもしれませんね!

――まさに音楽漬けの1カ月だったんですね。

佐野: この滞在中に唯一、音楽と関係ないことを楽しんだのが、ウィーン・マラソンに参加したことでした。子どもの頃から長距離走が得意だったのですが、偶然会期が重なっていたので、ハーフマラソンにエントリーしてみました。21kmを走った経験もなく、トレーニングも皆無で臨んだのですが、名所を巡るコースを楽しみながら、2時間ほどで完走することができました!(笑)

後編もお楽しみに!

「経験に時間とお金を費やしたい」旅の荷物を最小限にして気づいたこと ピアニスト・佐野優子さんに聞く、現地の空気を吸っているだけで、幸せで満たされる旅の経験とは?(後編)
平日は激務の広告代理店で働く傍ら、週末で世界中を旅する「リーマントラベラー」。2016年、毎週末海外へ行き3か月で5大陸18か国を制覇し「働きながら世界一周」を達成。地球の歩き方から旅のプロに選ばれる。以降、TVや新聞、雑誌等のメディアにも多数出演。著書『サラリーマン2.0 週末だけで世界一周』(河出書房新社)、『休み方改革』(徳間書店)。YouTube公式チャンネルも大好評更新中。
リーマントラベラー