telling, Diary ―私たちの心の中。

「フェミニスト」の皮を被り、男性を言い負かすことに快感を覚えていた私の話

「ミサンドリー」(男性嫌悪)という言葉をご存じですか? 自分は、あらゆる女性差別に声をあげる「フェミニスト」だと思っていたら、いつの間にか「ミサンドリー」になっていた――。今回は、そんな、ある女性の話です。

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近年の、ブームともいえるフェミニズムの盛り上がり。夫婦別姓が盛んに議論されたり、日本でも韓国のフェミニズム文学「82年生まれ、キム・ジヨン」が大ヒットしたりと、ここ数年で社会のジェンダー意識が変わっている気がします。それは「こんなのおかしい」と声をあげた多くの女性や、フェミニストの方々の活動の“たまもの”だと私は思います。

一方で、まれに耳にするミサンドリー(男性嫌悪)とフェミニズムというのは全くの別物です。ミサンドリーは男性への憎悪感情から男性差別をする人のこと。フェミニストは社会における、あらゆる性差別から、女性を解放し、その権利を主張する人のこと。女性の権利を獲得するために、男性を差別していいわけではありません。
実は、私はつい最近までミサンドリーでした。自分ではフェミニストだと思っていたらミサンドリーになっていたことに気づいたのです。

今回は、そうなるまでの経緯について書いてみたいと思います。

フェミニズムを知り、衝撃を受けた大学時代

私は来年30歳を迎えるミレニアル世代です。私が小学生の頃は、あらゆるメディアで女性蔑視的な価値観がはびこっていました。少女漫画のハッピーエンドといえば「(王子様と)結婚」だったし、20代後半で結婚できないと「崖っぷち」とか言われたりしている女性タレントがたくさんいました。料理ができない女性を「いいお嫁さんになれないぞ」とバカにするバラエティを見ながら、何の違和感もなく笑っていました。

「女性は強い男性に尽くすもの。いい男に選ばれるのがいい女」「女は男性に幸せにしてもらう存在」

身近な男性もほとんどそういった価値観を持っていたように思います。友人から「女のくせに〇〇なのかよ」というイジリを受けるのは当たり前。「女は水商売で楽に稼げてイージーモードだよな」と真剣にうらやましがらることも。そういう言葉に対して反論する術を知らなかった時は、「やめてよ~」と笑って受け流していました。
そんな時、大学でフェミニズムという学問に出会いました。「男性と女性は対等ではない、対等になるためには女性の地位が向上しなくてはいけない」と授業で聞いたときに、ガーンと頭を打たれたような気になりました。「これまで笑って受け流していた発言も、許されざる女性差別なんだ!これからは声を上げ、反論しなければ!」と。

それからは男性からの心ない発言を“きちんと正す”ようになりました。「女のくせに~」と言われると「女はこうあるべきなんて誰が決めたの?なんで他人が私に理想を押し付けるの?」と言い返すように。「女は水商売で稼げてイージーモード」といった発言には、「じゃあ、男女の賃金格差についてはどう思う?」と質問します。すると男性は「お、おう…」とひるみ、それ以上何も言ってきません。
「何を言っても言い負かされる」という空気を察知するのでしょう。私にはそれがすごく快感でした。「これからは“男なんて”正論で黙らせてやろう!」と思うようになりました。

「男性に好かれようとする女」のことを目の敵に

男性を言い負かすことに慣れてくると、次第に怒りの対象は「男ウケ」を気にする女性にまで及ぶように。「結婚したら専業主婦になって、旦那さんの帰りを待ちたい」という女性がいると、「男に消費される人生でいいのか!」と説教してしまうのです。

「女性は結婚したら専業主婦になるべき」という思想が差別的なのであって、女性が「専業主婦になりたい」と思うことは自由です。それでも私は「たくさんの女性が男社会で市民権を得るために頑張っているのに、『専業主婦になって旦那に尽くしたい』なんて馬鹿げている!」と本気で怒っていました。

怒りの沸点はどんどん低くなっていき、「守ってあげたいと思われるメイク」とか「彼ウケする服装」といったファッション誌の文言にすらキレるように。男性に選ばれるとか、守ってもらうとか、そういう価値観が全く受け入れられなくなっていたのです。だって「男なんて正論ですぐに言い負かせる、頭の悪い存在」なのに……と。そう、このころには男性を女性より下に見るようになっていました。
実際に「守ってあげたい」と言ってきた彼氏に対して別れを告げたこともあります。勝手に女を弱者扱いするな!と。そんなこと彼は一言も言っていないのに……。

多様性を求めているつもりが、「排除」を進めていた

いよいよ男性との衝突が多くなり、一部の女性へのイライラが募りすぎて社会生活に支障をきたすようになりました。結婚したいという女性に「男なんてセックスできるお母さんを求めているだけだ」と水を差したり、付き合っている男性に対しても、気に入らない発言があるたびに指摘して険悪になったり。「これは女性をバカにしてる」「この男は女性を見た目で評価してる」と言わずにいられないため、彼氏は私と楽しくテレビを見ることもできなかったと思います。

「男性はみんな差別主義者で女性を性的な目でしか見てない」「みんな下半身でしか物事を考えておらず、頭が悪い」と思い込む。それに“気づいていない”女性も含め、「みんなバカ」と見下す――そんな調子でいたとき、ふと、「もしかして私、ミサンドリーになってない?」と気づいたのです。
みんな黙って聞いてくれてるけど、だいたいは苦笑い。
そして私自身、メディアに対して憤りを感じたり、身近な男性を言い負かしたりすることに、疲れていました。

「正論」っぽく聞こえる意見を突き付けて、相手を黙らせることを繰り返す。私はフェミニズムという皮をかぶったロジハラモンスターになっていました。特に男性は女性である私から「それは女性差別だ」と言われたら、言い返しにくいでしょう。相手が反発してこないのをいいことに、偏った価値観を押し付けていました。

どこで間違えてしまったのか、思い返してみてもはっきりとはわかりません。ただ、息をするように、男性を差別していました。大学で学んだはずのフェミニズムの知識を振りかざして…。とても悪質だったと反省しています。今は「ノットオールメン(すべての男性がそうじゃない)」を自分に言い聞かせて、男性から受けた女性差別的な発言は「個人の意見」とし受け取るように気を付けています。

ミレニアル世代の女性の中には、近年のブームでフェミニズムを知り、私ほどではないにしろ、他人の言動や既存の価値観に対して、これまで以上に「怒り」を覚えるようになった人もいるのではないでしょうか。もちろん、間違っていることや差別に対して怒るのは、いいことだと思います。でも、「相手にわからせてやろう」と躍起になるのも自分を消耗させます。
自分をすり減らしてまで相手を否定しない。言ってもわからない人とは距離を置く。そんなふうにして、自分の中に芽生えたフェミニズムと付き合っていけたらいいなと、今は思っています。

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