近代五種の髙宮なつ美さん「2年延期なら競技をやめていた」 未来の自分のために今が踏ん張りどき。でも葛藤は続いて……【後編】

「もう少しでゴール」と全力疾走していたのに突然、先に延びたら、平静でいられるでしょうか。 警視庁第四機動隊に所属し、東京五輪への出場が有望視されている近代五種の髙宮なつ美さん(28)は、五輪を競技生活の集大成と考え、厳しい練習に励んでいました。そこへ飛び込んだ1年延期という知らせ。あまりのショックから今も抜け出せていないといいます。高宮さんに揺れる思いをうかがいました。

「あと少しで終われるはずだった」

――1年延期の決定をどう受け止めましたか。

髙宮なつ美さん(以下、髙宮): メンタルへの影響が大きかったです。
私は「東京オリンピックに出場したら競技生活を終わりにする」という気持ちで、今年に入ってから、自分をきつい練習に追い込んでいました。
だから、1年後と決まったときは落ち込みました。「東京」の先のパリ五輪も目標にしていたり、練習環境が整っていたりするアスリートなら前向きになれたかもしれませんが、私は警察官。競技だけに特化していないうえ肉体的にもきついのに、あと1年練習を続けるのは精神的にも厳しいなと。これが2年だったら、競技をやめていたと思います。

――髙宮さんは2016年のリオ五輪に初出場し、日本勢として過去最高の12位になりました。19年11月の国際大会で東京五輪への出場権を獲得。延期になりましたが、出場権は維持されることになりました。

髙宮: 出場権が気がかりで、毎日ケータイをチェックして発表を待ちました。ところが、維持が決まっても気持ちは晴れないまま。なかなか前を向けないです。毎日、葛藤の中にいて……。正直、「もう終わってもいいかな」と思うこともあります。
それを食い止めているのは、応援してくれる人の存在と、「がんばってきた過去の自分」ですね。

「あれだけがんばってきたのだから、がんばった自分のためにも、もう少しがんばろう」。トレーニング中はいつもそう思っています。そして「未来の自分」を想像するんです。
「今の自分」が練習をやめたら、未来の自分はきっと「今」を後悔する。
「過去の自分」も、「いまここで終わらせるのか」と不満を言う。
だから後悔しないようにがんばろうと思うんですけど……やっぱり、もうやめてもいいのかなという思いは現れます。毎日、行ったり来たりです。

 

感覚が全然もどらない

――近代五種は、五輪種目の中で最も過酷といわれます。フェンシングを出場者総当たりで対戦後、200メートルを泳ぎ、抽選で引いた馬と障害飛越をしてから、射撃と800メートルのランニングを組み合わせたレーザーランを4セット。練習だけでもなかなか大変そうですね。

髙宮: 練習場所の確保が簡単ではありません。ふだん、フェンシングと射撃は東京・立川市の第四機動隊の敷地内の道場、水泳は民間のジムを借ります。馬術も民間施設に出かけます。

――トップアスリートのために設置されたナショナルトレーニングセンターは使わないのですか。

髙宮: 使えなくはないのですが、最近あまり行けていません。というのも、遠いんです。オリンピック出場権をとるために週に1~2回利用した時期もありましたが、センターのある東京都北区まで約1時間半。
朝イチで水泳をやって、電車で移動して、きついメニューをやって、帰ってきて午後はフェンシング、といったスケジュールなので、体力的にきつい。
近代五種専門のトレーナーという人もなかなかいないし、メダルを目指すには、もともと難しい面がたくさんあります。

――そこへ新型コロナウイルスの感染拡大です。

髙宮: 影響はかなりあります。5種目フルで練習できたことはほぼなく、ようやく最近できるようになってきました。
水泳と馬術は4月にはできなくなってしまいました。どちらも民間施設を使わせていただいているので、万が一のことがあって迷惑をかけてはいけないと控えました。
その後、約2カ月間泳げていません。

水泳は、練習を休むと特に影響が大きい種目です。私の年齢でタイムを伸ばすのは難しいのですが、今年から本格的にきつい練習を積み、徐々にタイムも伸びていたところでした。
それが、最近になって泳いでみたら、もう全然感覚が戻らなくて。

対人競技であるフェンシングも、実戦は4~6月の間、ほぼできませんでした。
緊急事態宣言が出た後は1日おきに在宅勤務になったため、出勤日に一人で道場で動きを確認するくらいでしたね。

――これほど練習をしなかった期間は過去にありましたか。

髙宮: リオ五輪の翌年、右ひじの痛みをとるために手術を受けました。簡単な手術でしたが、復帰まで3~4カ月、本当に感覚が戻るまでには1年以上かかりました。
日本で近代五種をやっているライバル選手たちが、みんな同じような練習状況だったかというとそうではなくて、この期間に差が開いてしまったかもれません。

せめてナショナルチームとしての合宿や試合があればモチベーションは保たれるでしょうが、コロナで試合は中止になりました。
私は、オリンピックで金メダルという高い目標があるから、どんなつらいことも乗り越えてきたんだと思います。でも今は、目標を叶える場が1年延期となり、しかも実際に開催されるかどうか分からない状況で。目標があいまいになってしまい、今までのような強い心はなくなってしまったかもしれません。

結果を出してこその自分

――それでも、練習をやめないのはなぜでしょう。

髙宮: 鼓舞です(笑)。
親戚に甥っ子や姪っ子が多いのですが、私にすごく関心を持ってくれ、映像を見て真似をし、「すごい」と思ってくれている。東京五輪に出場する私の姿を見せて、何かを感じてもらいたい。
また、重い病気になってしまった、小さいころお世話になっていた近所の方の存在もあります。私のことを「希望だ」と言って、家じゅうに写真を飾ってくださっていて。そういうことを見聞きすると、少しでも元気を出してくれる人がいるのならがんばろうと思いますね。

コロナの影響で仕事を失ったり、生きるために無理をしたりしている人がたくさんいるのだと感じます。私がショックを受けた五輪延期は、ささいなことかもしれません。ただ、引退して警察官の仕事に専念しようとしても、コロナの影響がある現状では、私の居場所はないだろうとも思います。だから気持ちが揺れることはあっても、「試合に出て結果を出してこその自分だ」という思いは強くなっていますね。

――東京五輪に向けての決意を教えてください。

髙宮: 状況が厳しいので、開かれるかどうかもわかりません。開催されたとしても、メダルをとるのは厳しいかもしれない。でも、出場したら最後まであきらめず、かつ楽しんで、笑顔で終わりたいです。見ている人たちに元気や笑顔を与えられたらと思いますね。

 

●髙宮なつ美(たかみや・なつみ)さんのプロフィール
1991年8月生まれ。埼玉県狭山市出身。県立川越南高校を卒業し警視庁へ。第四機動隊所属。3歳からスイミングに通い、中学時代はバスケットボール部で活躍。高校では陸上部に所属し、駅伝で関東大会出場。警視庁入庁後に近代五種を始め、4年足らずでリオ五輪12位。2017年W杯で日本歴代最高の4位。19年11月のアジア・オセアニア選手権で日本人トップの銀メダルに輝き、東京オリンピック出場権を獲得した。

見渡す限り山と田んぼの里山育ち。記者として関西、東海、首都圏で取材。最近はウェブ周りをうろうろしています。
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。
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