テレビ東京・福田典子アナウンサー(下)「真面目すぎた私が『モヤさま』で学んだ自然体」

スポーツキャスターとして東京五輪へ向けての取材に日々奮闘しているテレビ東京の福田典子アナウンサー。2016年、異例の中途採用を経てテレビ東京に転職した福田さんが担当したのが超人気番組『モヤモヤさまぁ~ず2』のアシスタントでした。真面目な性格から当初バラエティ番組に苦手意識があったという福田アナは、どうやって「壁」を乗り越えたのか。お話をうかがいました。

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どの立ち位置でいく?『モヤさま』でのプレッシャー

――東京五輪の取材を希望して転職したテレビ東京でしたが、入社2カ月後には『モヤモヤさまぁ~ず2』の3代目アシスタントに就任しましたよね。バラエティーというジャンルで、しかもいきなり超人気番組を担当されて、戸惑いはありませんでしたか?

福田典子さん(以下、福田): おそらく皆さんが考えている以上に不安でいっぱいでした。それまでアシスタントを務められた大江麻理子さんや狩野恵里さんは素晴らしくキャラクターが立っていて番組を盛り上げていましたが、いったい私はどのポジションでいけばよいのだろうかと。

――バラエティー番組には苦手意識があったんですか。

福田: そうですね。福岡時代は、たとえば芸人さんとの絡みや間の取り方も、つい、真面目に向き合いすぎてしまうところがあったんです。自分の緊張が相手にも伝わってしまうのか、インタビュー相手の笑顔を引き出すことも苦手でした。

だから不安が大きかったんですが、同時に、自分に一番足りていないところを補うタイミングが転職して最初にきたなと思いましたね。この経験が私の人生にとって絶対に必要なことなんだろうなって思いましたし、「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を思い浮かべて、頑張ろうと思いました。

――実際に『モヤさま』が始まって、自分の中で納得のいくお仕事ができるようになるまでは時間がかかったんですか。

福田: 最初のころは、試行錯誤の連続でした。「今日はもうちょっと喋ってみようか」とか、「いや少し黙ってみよう」とか、ある時はいつも飲み会に出た時の自分のようにキャッキャしてみようか、とか。でも、ある時アナウンス部長に「考えすぎて笑ってない?」と言われたんです。私は笑うタイミングがワンテンポ遅くて、それは、みんなが先に笑っているのを見て「ここは笑っても大丈夫な場面なんだ」と無意識に確認してから笑っていたようなんです。

いま思えば、最初のころは自分のことしか見えていなくて、間違った頑張り方をしていました。気持ちが内側に向いて、皆さんがそのままでいいんだよって言ってくださっても、素直に受け入れられていなかったんです。

――それが変わったのは、いつからだったんですか。

福田: アシスタントになって1年近く経ったとき、ロケの数日前の雨の日に転んで、顎を縫う大怪我をしてしまったんです。口の中にボルトが入って満足に話せない状態で『モヤさま』に出演することになりました。ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、さまぁ~ずのお二人もスタッフの皆さんも、そんな状態の私をあたたかく受け入れて、笑いに転換してくれて。あれをきっかけに、素の自分でいられるようになったと思います。

こういう経験を経て、私は普段はさまぁ~ずのお二人のつくる流れに身を任せつつ、自分に流れが来た時には全力でそれに応える、という結論にたどり着きました。

番組のロケではたくさんの人と出会いますが、二人はいつも自然体。無理に面白いことを起こすように動いたりせず、流れに身を任せる。そして何かアクションが起きたときに、相手の反応を見て臨機応変に対応して笑いが起こるんです。台本や合図がなくてもうまくいくのがお二人のすごいところです。それに、街で出会う人々に常に愛を持って人に接している姿を間近で見られたのはとても大きかった。『モヤさま』からは、本当に多くのことを学ばせていただきました。

未知の競技こそ面白い?東京五輪に向けて

――今年4月には、惜しまれながらも『モヤさま』を卒業。今は東京五輪に向けて取材も進んでいると思いますが、今後はどこに力をいれたいと思いますか。

福田: 今はまず五輪に内定が出た選手について調べつつ、自分にとって未知の競技を減らしていこうと、できるだけ試合会場に足を運んで取材するようにしています。先日のラグビーもそうですが、知らないだけで知ったら面白いと思うスポーツもたくさんあるはずですから。

ちなみに今の私の趣味はキックボクシング。まさか自分が格闘技をするなんて全く考えたこともなかったけれど、友人に誘われてフットワーク軽く行ってみたら、はまってしまいました(笑)。体の軸の使い方とか、これまで取材の中で言葉としては使っていた概念が、競技を実際にやってみると体で理解できる。日々、新たな発見がありとても充実しています。

――福田さんの人生についてうかがっていると、人生の節目、節目でとても良い出会いやきっかけがあったんだなと感じます。telling,読者世代も人生の転換期を感じることが多い年代ですが、どうすれば良い流れを引き寄せることができると思いますか?

福田: 子どものころ、特に具体的な夢がなかった私ですが、けれど、それでも「キラキラした大人になりたい」ということはずっと思っていました。

たとえば私の父は、友達とバンドを組んでギターを弾いたりお酒を飲んだり、とても楽しそうでした。母は就職アドバイザーとして働いていたのですが、その姿を子どものころからずっと見てきて、憧れの存在です。自分自身も両親のように、そんなキラキラした大人になりたかった。

私の好きな言葉に、「好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる」というウォルト・ディズニーの言葉があります。これまでの人生、自分がやりたいことをある程度、有言実行して来られたのは、「キラキラした大人」になりたくて、自分の好奇心に従ってきた結果なのではないかと思っています。好奇心に従ってたくさんの人に会って、いろんな話を聞いて動いていく。そうすることで、自分の世界を広げていくことができるのではないかと思っています。

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東京生まれ。千葉育ち。理学療法士として医療現場で10数年以上働いたのち、フリーライターとして活動。WEBメディアを中心に、医療、ライフスタイル、恋愛婚活、エンタメ記事を執筆。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。