テレビ東京・福田典子アナウンサー(上)「夢は東京五輪。『後悔したくない』と決断した転職」
アナウンサーは落胆からのスタート
――福田さんは現在、アナウンサー・スポーツキャスターとして大活躍されていますね。アナウンサーになる夢は、子どものころから持たれていたんですか?
福田典子さん(以下、福田): いえ、そうではないんですよ。アナウンサーなのに意外と思われるかもしれませんが、実は私、人前に出たり、話をしたりすることがとにかく苦手でした。大学時代はミスコンの運営側。舞台でキラキラしている人たちを見ながら、「アナウンサーはこんな華やかな人たちがなるんだろうなぁ」と思っていましたね。
そもそも大学時代は、将来これがしたいという夢も定まっていなかったんです。何か楽しそうなことはしたいなあ、と思いながらも、漠然としていました。
転機になったのは、大学2年生のゼミ。各自プレゼンテーションを行う中、とても分かりやすく伝える方がいる一方で、私の話し方では全然伝わらなかった。これがきっかけでアナウンススクールに通い始め、たまたま学生キャスターをさせていただくことになり、そこで初めてアナウンサーという仕事を意識するようになりました。
そうしているうちに、実は人前に立ったり、言葉を伝えたりすることが苦手だというのは思い込みでは?と感じてきたんです。さらに、たとえば運営側としてかかわったミスコンでも、こちらの言葉のかけ方一つで彼女たちが輝いたり、自信を持っていったりと、様子が目に見えて変わっていく。あらためて、言葉を伝える仕事って素敵だなって思ったんです。
――不安から始めた勉強が、自分のやりたいことを気づかせてくれたのですね。実際アナウンサーになって、いかがでしたか?
福田: 始めは福岡のテレビ局に入社しましたが、覚悟していた以上に忙しくてびっくりしました!アナウンサーといえばカメラに向かって話している姿がテレビには多く映りますが、実際は取材が9割で、放送される内容は1割にも満たない程度。充分に下調べをしたつもりでも、情報源が曖昧だと上司に突っ込まれたり、先輩の取材に同行しても話すスピードにメモが追いつかなかったり。限られた時間で的確な質問をして、どう情報を得るのか。周りをみれば皆さんすごく熱心に勉強されていて、私って何もできないんだ……と、落胆からのスタートでした。
キー局女性アナでは異例の中途採用で東京へ
――そんな中でも地道な努力を重ねつつ、福岡ではプロ野球の取材を中心にされていたとのこと。約3年間、福岡で順調にキャリアを築く中、なぜ東京に出ようと思ったのですか。
福田: 福岡時代は、2年間プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの取材をさせて頂きました。秋山幸二監督が最後の年と、工藤公康監督が最初の年。幸運なことに、どちらも日本シリーズに勝利して日本一に輝いた年でした。試合がない日も自主的に球場に足を運び、福岡ドームの職員さんとも仲良くなるぐらい現場にいましたね。
取材を通して感じたことは、選手の皆さんが、表には見えないところで想像以上に努力をされていること。それでも、なかなか勝ち星がつかなかったり、打率が残せなかったりして苦しむ姿を横で見てきただけに、ホークスが優勝したときは本当に嬉しかった!祝勝会でのビールかけでは、一緒にビールをかけられながら、皆さんが全身で喜んでいる感じが伝わってきました。これまでの悔しさやつらさをすべて忘れてむくわれる喜びの瞬間が、優勝や日本一なんだな、と思いました。
ここまで努力を続けてきたチームの皆さんが、さらに上を目指そうとしている姿を見て、私も関わっている人、見ている人がより大きな喜びを感じる瞬間に立ち会っていきたいと思いました。それは何だろうと考えたときに、東京五輪に関わる仕事をしたいと思ったんです。五輪会場内でコアな部分の取材ができるのはキー局だけ、という現実も知りましたが、それでも、福岡で五輪を目指す人々の取材をしていきたい。そう考えていたときに、ちょうどテレビ東京の中途採用の話を聞いたんです。
――キー局で女性アナウンサーの中途採用は異例のことだったとか。転職活動は、それなりに勇気が必要だったのではないですか?
福田: そうですね。とても良くしていただいた局をあえて飛び出すわけで葛藤はありましたし、落ちたらどうなってしまうだろうか、とも考えました。
でも、一方で「宝くじは買わないと当たらない」という友人のアドバイスや、「自分もダメ元で受けてみる」という男性アナウンサーの意見も聞きました。結局、試験を受けて落ちた後悔と、受けなかった後悔のどちらが大きいか考えると、やはり受けなかった後悔の方が大きいと感じたんです。万が一、福岡で仕事がしにくい状況になったとしても、自分の力がそこまでだったんだと認めてまた頑張ろうと。
――かなり覚悟をもっての転職活動でしたね。結果は、晴れて合格。実際、テレビ東京に入社されていかがでしたか?
福田: 入社する前は、東京の局は競争も厳しいから、TVドラマの『大奥』みたいなアナウンス部なのではないかと思っていました(笑)。
でも、入ってみたら全然そんなことはありませんでした。慣れない環境でしばらくは緊張感がありましたが、お酒を飲みに連れていってもらったり、普段から雑談したりする機会も多くて、温かく迎えていただきましたね。
私はテレビ東京の新卒の採用試験では一次で落ちているので、新卒からいる人はすごいだろうなぁ、と思っていました。実際、私は福岡でプロ野球を中心に担当していましたが、東京のアナウンサーや記者はスポーツなら野球、サッカー、卓球、柔道、フィギュアスケートに競輪など、多くの競技を取材することが求められます。皆さん一つ一つの競技を勉強して深く理解されていて、そのエネルギーはどこから来るのだろうと驚かされました。ついて行こうと、今でも必死です。
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