ウィズコロナの今こそ、価値観のアップデートを! 香山リカさんに聞く「コロナとココロ」(後編)

新型コロナウイルスの感染流行の完全な収束が見通せない中、「ウィズコロナ」「アフターコロナ」時代に求められる新たな価値観とは何なのでしょうか。コロナについての相談にも携わる精神科医で立教大学教授の香山リカさんのお話です。

「村八分」文化が、市民を苦しめる

――応大や大阪大などが実施したウェブ調査によると、日本は欧米に比べて「コロナへの感染を自業自得」と考える人の割合が高いそうです。どう考えますか?

香山リカさん(以下、香山): ひどいですよね。まだ感染者が出ていない岩手県ですが、LINEと厚労省でコロナに関する全国調査を見てみると、有意とまでは言えませんが、発熱者の割合が高いんですよ。こういうデータを見ると「本当に感染している人はゼロなののだろうか?がまんしている人はいないのか?」と疑ってしまいます。岩手に限った話ではなく考えても、日本に残る「村八分」的な空気が関係しているようにも感じます。自分が感染第一号になったら誹謗中傷を受けるかもしれないという恐怖。岩手県の達増拓也知事が「第一号になっても県はその人を責めません」と会見で話しているのを見て、逆に「絶対に感染を出してはならない」という空気が強くあるのかなと思ってしまいます。

相談では「万が一感染したら、プライバシーを明かされてしまいそうで怖い」というのも多いです。5月のはじめに愛知県のホームページに感染者の名前や、感染者同士の関係が誤って出てしまいましたよね。ああいうのを見ると怖くなる気持ちも分かります。

厚生労働省『第1-4回「新型コロナ対策のための全国調査」からわかったことをお知らせします』より

――なぜ感染を自業自得と考えてしまうのでしょう?

香山: 日本で初期に感染が確認された場所のイメージがあまり良くなかった。屋形船やライブハウス、クルーズ船など、「不要不急」なレジャー施設が主でした。この段階で「遊んでいる人が、感染するものだ」という先入観が生まれ、ネガティブな印象が植え付けられたことが一因だと思います。

「悪いことしたから」「体に悪いところがあったから」など、もっともらしい感染の理由が欲しい。いわゆる、正常性バイアスですね。「私は真面目にやってるから、大丈夫だ」と自分を安心させたいのでしょう。

コロナ前後のココロの変化

――臨床の現場で、新型コロナウイルスが出る前と後で変化はありますか?

香山: コロナ以後に増えた心の悩みはある一方、それ以前からうつ病だったり、他のココロこころの問題を抱えていたりして病院に通っていた人のなかには「病状がよくなった」と言う人もいます。

「自粛要請で苦手な人に合わずに済んだ」「いじめに遭わなくなった」「無用な会議に出なくてよくなった」。みなさん大きな声では言いませんが、辛かったことから解放されて「楽」になったというわけです。

―― コロナに関する不安が生まれた一方で、これまで日常的にあったストレスが減っている側面もあるのですね。

香山: そうですね。自粛をするなかで、「必要だと思っていたけど、実は不要なこと」に気づき、生活スタイルを見直した方もいるのではないでしょうか。

テレワークで、服は数着で十分と気がついたり、マスクを着けるからと、高い化粧品を買う必要がなくなったり。あるいは、おうちで快適な時間を過ごせると感じた人もいるかもしれません。私が教えている学生は「今は18時に家族で夜ごはんを食べ、20時くらいにはみんなで寝る。その生活が快適です」と話していました。

もちろん、さまざまな経済活動が停滞するのは問題。病院でも外来の患者さんは減っているのですが、医師仲間と「患者さん一人ひとりをゆっくり診られるようになった。これこそ本来の医療だよね」などと話してもいます。

そのように生活が変化することを「衰えた」や「減少した」とは考えなくてもいいと思う。政府は「経済のV字回復を目指す」とか言っていますが、「無理ない範囲のお金で生活できればいい」と考えている人もこの間、きっと増えてますよね。

今こそ価値観のアップデートを

―― 人々の生活観、経済観にも変化が出てきた。

香山: 10年ほど前から私は「どんどん稼ぎ、どんどん成長する」という成長幻想を批判しています。効率よく収入を稼いで、右肩上がりに上昇していく人生が「勝ち」という価値観ですね。でも私は人を蹴落としてでも勝ち組に入ったり、資産を増やすことへ執着したりするのは、意味がないと思っているんです。

2011年の東日本大震災でも「価値観が変わる」と言われていましたが結局、成長幻想が続いてきた。震災後にアベノミクスで経済が上向く、株価も上がり、就職率も上がって……みんな成長幻想を捨てられなかった。

今度こそ、成長幻想から抜け出すときだと思います。コロナが図らずも与えた「休みの時間」で、ココロが解放されたり、体が休まったりなどをポジティブに感じた人は、そんな自分を受け入れてほしい。そして頑張りすぎていた自分に対して、やさしい生活を続けてほしいと思います。

経済の規模が縮小し、収入が減ることで、できることの範囲は狭まるかもしれません。でも、それを「負け」とか「ダメ」と思わないで、自分に合った生活を見つける好機にしてほしいですね。

フリーライター/コミュニティマネージャー。慶應義塾大学卒業後、IT企業の広告営業、スタートアップのWebマーケティング・コミュニティ運営を経て、フリーランスのライター・コミュニティマネージャーとして活動中。2019年はデンマークを拠点に「誰もが自分らしさを取り戻せるコミュニティデザイン」を模索しています。
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