吉高由里子「知らなくていいコト」週刊誌編集部の常軌を逸したプロ意識。正気と正義に揺れる価値観【水曜日はあのお仕事ドラマをもう一度】

他の曜日と比べると「お仕事ドラマ」が多い水曜日。コロナ禍でドラマが放送延期になっている今だからこそ、過去に放送されたお仕事ドラマを見直してみませんか?今回は、今年1月に放送され、ケイト(吉高由里子)と尾高(柄本佑)のバッグハグや不倫の結末が切ないと話題になった「知らなくていいコト」。お仕事ドラマの常連、吉高由里子の違った一面を引き出した本作の見どころとは?

今回取り上げるのは今年1月より放送された、吉高由里子主演「知らなくていいコト」(日本テレビ)である。本作について、日本テレビ・小田玲奈プロデューサーがこんなことを言っていた。
「吉高さんは何作も“お仕事ドラマ”に主演しているので、ちょっと違ったものをやりたいと思ったんです」(「週刊女性」2020年1月28日号)

確かに今までと違うドラマだ。昨春放送「わたし、定時で帰ります。」(TBS)と比較するとわかりやすい。「わた定」は働き方改革を主題に、各々の働き方の本質を考える作品だった。一方、「知らなくていいコト」の舞台は人気週刊誌「週刊イースト」の編集部である。個々の働き方を問うような意識や余裕は皆無。徹夜は当たり前だし、正月休みさえほとんどない。時には、入院中のターゲットと接触するため病院のトイレで食事しながら一昼夜過ごしたり、倫理観は完全にスレスレである。この姿勢をポジティブに言い換えると、プロ意識と呼ぶことができるだろう。ただ、その度合いが常軌を逸していた。

刺される瞬間を撮影して沸き上がる編集部

印象的なのは第7話だ。真壁ケイト(吉高由里子)は、人気棋士と新進女優の不倫愛スクープ記事を執筆する。その内容は2人の不貞を容認するものだった。後日、逆恨みした棋士の妻が編集部に侵入し、ケイトはナイフで刺されてしまった。このとき、他の編集部員の多くはケイトを助けるでもなく、カメラや携帯を手にとり、決定的瞬間を収めんと撮影に専念した。しかも、その動画を見て「よくやった!」と称賛する者までいる始末だ。

「週刊イースト」の記者は、いつも彼らなりの正義に則って行動している。崩落事故でトンネルに閉じ込められた女子高生を見つければ「助かってほしいという気持ちは私も同じです」と正義の気持ちを訴え、共感を引き出してコメント取りに成功した。大学入試問題を不正に買い取る予備校講師には「自力で合格できたかもしれない学生まで不正入学したことになるんですよ!?」と迫り、教育者としての感情を揺さぶった。
それらの正義と同一線上なのだ。同僚が殺されそうになったら、何よりもまずシャッターを切ることが彼らにとっては正義。その証拠に、岩谷進編集長(佐々木蔵之介)は「次の号は週刊イースト襲撃を特集する!」と編集部内の士気を率先して上げた。労基法ガン無視な彼らの無茶な働きっぷりは、正義や使命感に燃えているためである。

でも、その価値観を共有できない者も中にはいる。危機一髪のケイトを撮って沸く同僚を軽蔑の眼差しで見る野中春樹(重岡大毅)の口癖は「僕は普通の人間なんです」だった。しかし、編集部で野中は浮いた存在だ。普通を自認する者がなぜか異端扱いされてしまう職場。まともな神経ではやっていられない仕事だからである。

正気と引き換えのプロ意識

いざ、価値観が崩れるとなかなか元には戻れない。ケイトの元カレ・尾高由一郎(柄本佑)は世界的な賞を獲得する優秀な報道カメラマンだった。しかし、今は動物カメラマン。その理由は、執拗に撮り続けた無差別殺人犯(後に冤罪と判明)の乃十阿徹(小林薫)がケイトの父親だと知ったためである。「冷静にシャッターを切れない」と雑念が入り、自分の仕事に疑問を持ってしまった。
「カメラマンって、レンズに写ったものと自分の心が案外遠いんだ。目の前に死にそうな人がいても、助けるよりシャッターを切るほうが大事じゃないとできない仕事なんだよ。もっと言えば、撮っちゃった写真には責任感を感じない図々しさがないとダメだ」(尾高)

「シャッターを切ることこそ正義」の価値観に疑問を持ち、転職までした尾高。実は、ケイトも同じように揺らいでいた。妻帯者の尾高に惹かれたせいで、不倫の記事の執筆に躊躇したのだ。取材対象者と自分を重ね合わせ、感情移入したケイト。報道カメラマンや雑誌記者のプロ意識は、ある種、正気と引き換えだ。

ケイトの出自を受け入れたのはプロだから

ひとつ、象徴的なシーンがある。他誌がケイトと乃十阿の関係についてスクープした際のこと。岩谷は編集部全員にケイトの出自を発表し、「俺たちは変わらない姿勢を見せよう」と呼び掛けた。すると、彼らは本当にケイトの過去をスルーするのだ。今までと変わらぬ態度でケイトと接する同僚たち。週刊イーストの記者は人間の恥部や暗部を暴いてきた人間たちなのにだ。
要するに、彼らはプロだった。普段の仕事に私心を持ち込んでいないし、ケイトの出自も私心のフィルターをかけて見ない。そして、自分の正義にも私心による疑問を挟まない。血の入れ替えが済んでいるプロ集団ということ。

岩谷はかつて、こんなことを言っていた。
「週刊イーストは正義の味方ではない。イーストは人間の様々な側面を伝え、人間とは何かを考える材料を提供したいと考えている」
自分たちの正義が世の正義ではないと、彼も知っているのだろう。

お仕事ドラマとして見るには、なかなか共感が難しい作品。変人でも超人でもない筆者は、実は野中に感情移入しながらこのドラマを見ていた。

ライター。「エキレビ!」「Real Sound」などでドラマ評を執筆。得意分野は、芸能、音楽、(昔の)プロレスと格闘技、ドラマ、イベント取材。
フリーイラストレーター。ドラマ・バラエティなどテレビ番組のイラストレビューの他、和文化に関する記事制作・編集も行う。趣味はお笑いライブに行くこと(年間100本ほど)。金沢市出身、東京在住。
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