「隕石家族」コロナ自粛明けの社会を見るような「隕石ショック」のリアル

地球に巨大隕石直撃し、あと半年で滅亡する運命だったら……。最後の日は家族と過ごす?それとも憧れていた人?隕石衝突までの半年間をSF仕立てで描いた様子が奇しくもコロナ禍の現在と重なることが多いと話題のドラマ「隕石家族」。新型コロナウイルスに加えて、自然災害も多い日本で、後悔しない生き方とは?
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コロナ禍の状況と奇妙に重なり合う

新型コロナウイルス感染拡大を防止すべく全国に発出されていた緊急事態宣言が、先月下旬、地域ごとに順次解除されるにいたった。ちょうど宣言が出てまもない4月18日にスタートし、解除直後の先週5月30日に最終回を迎えたドラマがある。東海テレビ・フジテレビ系の「オトナの土ドラ」枠で放送された「隕石家族」(小松江里子原作・脚本)がそれだ。このドラマでは、20XX年、巨大隕石(厳密にいえば彗星)の地球への衝突が半年後に迫るなか、東京に暮らすある家族が最後の日々をすごすさまが描かれた。企画・制作されたのは新型コロナウイルスの被害が世界中に広がる前なのだろうが、その状況設定も劇中の描写も、このコロナ禍の状況と奇妙に重なり合うものであった。

奮闘する父、天野ひろゆき

ドラマは、一家の次女で予備校生の門倉結月(北香那)の視点から語られる。父親の和彦(天野ひろゆき)は、地球最後の日は家族一緒に迎えると決めていたが、結月の彼氏の翔太(中尾暢樹)が火事で焼け出されて門倉家に転がり込み、さらに母親の久美子(羽田美智子)が地球滅亡までの日々は学生時代に憧れていたテニス部のキャプテンとすごしたいと家出したあたりから、家族は揺らぎ始める。和彦は和彦で、キャプテンこと片瀬(中村俊介)と互いに鉄道ファンということで意気投合。のちに片瀬が久美子の憧れの人だと知るものの、どういうわけか友情とも恋愛感情ともつかない感情を抱き始める。長女で中学教師の美咲(泉里香)も、かつての恩師で現在は同じ学校に勤務する森山(遼河はるひ)を慕い、最後の日々をすごしたいと言って家を出た。こうした家族の動きと並行して、祖母の正子(松原千恵子)には認知症の兆候が出始め、みんなを心配させる。

こうして門倉家は、地球滅亡を前にさまざまな危機に直面するが、最終的には、家族で最後の日を迎える方向へと収斂していく。このあいだに、いったんは予測された軌道を外れて衝突を回避した隕石は、再び向きを変えて地球に接近。そのなかにあって、結月は翔太(じつは資産家の御曹司だった)から、彼の父親たちが用意したロケットで一緒に火星への脱出をしないかと持ちかけられる。最後の日は家族で迎えるつもりでいた結月はこれを強く拒んだ。しかし和彦たちは家族がひとりでも生き残ってほしいとの思いから、彼女の火星行きを後押しする。そのために、これまでずっと隠し通してきた秘密を打ち明けるのだった――。

あらすじからもあきらかなように、「隕石家族」はSF仕立てではあるものの、その中核となるのはあくまで家族の物語だ。それを演じる面々も個性的で、なかでも天野ひろゆきは、頼りなくもここぞというときには家族を守るべく奮闘する父親にハマっていて、とくに印象に残った。ちなみに天野は、これ以前にもすでに脚本の小松江里子の作品に出演経験があり(2003年「元カレ」と2004年「バツ彼」)、今回は小松が途中からアテ書きしてくれている感覚があったという(番組公式サイト)。ちなみに妻・久美子役の羽田美智子も、小松とは昼ドラ「花嫁のれん」シリーズでずっと組んできた関係である。

脇役でも、光浦靖子がゴミ出しルールにうるさい近所の主婦に扮し、しだいに狂気じみた行動に走っていくさまを怪演していた。天野のお笑いコンビ・キャイーンにおける相方であるウド鈴木も介護施設の職員役で友情出演し、出てくるたびになごんだ雰囲気を醸し出しているのがさすがであった(かつらをかぶっていたので、しゃべるまで気づかなかったが)。

自然災害を機に再生へといたる物語

さて、設定された状況が状況だけに、「隕石家族」の劇中の描写にはコロナ禍の現実とシンクロする部分も多かった。たとえば、隕石の衝突が判明した直後には、日本でも各地で暴動が起こったもののしだいに沈静化し、大多数の人々は再び日常へと戻って、おとなしく最後の日を迎えようとする。この点など、政府が明確な補償を示さないにもかかわらず、たいていの人は自粛要請に従ったここ2ヵ月半の日本と重なる。このほかにも、東京都心では多くの人たちが仕事をやめたり地方に疎開したため、朝も電車がガラ空きになったり、スーパーでは人々が買い占めたせいで食品や生活必需品が消え去ったりと、隕石接近下の状況はことごとく現状と一致していた。

それ以上にゾクッとしたのが、隕石の衝突がいったんは回避されたあとの描写だ。そこでの経済への打撃は大きく、地球はどうせ滅亡するのだからと仕事をやめたり財産を使い果たしてしまった人たちは路頭に迷い、世の中は「隕石ショック」と呼ばれる様相を呈す。その描写は自粛明けの社会を見るようで、身につまされるものがあった。そこへ来て、隕石が再び接近すると今度は、世論は悲観的な「落ちてくる派」と楽観的な「落ちない派」とで二分される。これなど、コロナ感染拡大の第1波をどうにか回避し、楽観的になる人がいる一方で、一部地域では感染者が急増し、感染の第2波、第3波の到来が危惧される現状を先取りしたようにも思える。

ところで、「隕石家族」では結月が翔太と一緒に、ことあるごとにレコーダーにメッセージを吹き込み、それを無線で宇宙へと伝えることで、地球滅亡後も家族のいた証しを残そうとする。その行動にふと、山田太一脚本の往年の名作ドラマ「岸辺のアルバム」(1977年)の最終回で、主人公一家が自宅に洪水が迫るなか、自分たちが一緒にすごしてきた証しとしてアルバムを持ち出そうとするエピソードを思い出した。考えてみれば、「岸辺のアルバム」は、いったんは崩壊寸前にまで陥った家族が、洪水という自然災害を機に再生へといたる物語という点で、「隕石家族」とよく似ている。

「隕石家族」は、期せずして今回のコロナ禍を予見したかのような内容で、視聴者に大きなインパクトを与えた。だが、そうなったのはけっして偶然ばかりではないだろう。なぜなら、日本はすでに以前より、大きな地震や暴風雨にあいついで見舞われてきたからだ。しかもそれは今後も続いていくものと思われる。本作にはそんな日本の状況が反映されていることは間違いない。そのなかで家族はどう一緒に生きていくべきなのか、SFとホームドラマの融合という形で描き出したところが新鮮だった。

ドラマのラストは、地球が滅亡したのかどうか、あえてはっきりとは描かれなかった。それでも「ラスト5秒衝撃の展開が」とのテロップのあと、CM明けには、生き残ったらしい久美子によって再度の隕石の衝突がほのめかされる。それは見ている私たちに、今後も自然災害などいつ来るかわからない脅威と向き合い続けねばならないと警告するメッセージのようでもあった。

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などでは、テレビやCMなどメディアの歴史にも迫る。
フリーイラストレーター。ドラマ・バラエティなどテレビ番組のイラストレビューの他、和文化に関する記事制作・編集も行う。趣味はお笑いライブに行くこと(年間100本ほど)。金沢市出身、東京在住。
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