「麒麟がくる」全話レビュー19

【麒麟がくる】第19話 「シン・ゴジラ」の悲壮感と「まんぷく」の無邪気さをあわせもつ長谷川博己の色気

高視聴率でスタートしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。本能寺の変を起こした明智光秀を通して戦国絵巻が描かれる、全44回の壮大なドラマです。毎回、人気ライター木俣冬さんが徹底解説し、ドラマの裏側を考察、紹介してくれます。第19話は、信長の暗殺を阻止しようと暗躍する光秀。主要人物の入れ替わり、時代の流れを感じさせる回。もう見た人も見逃した人も、これさえ読めば“麒麟がくる通”間違いなし!

長谷川博己の色っぽさ

大河ドラマ「麒麟がくる」第19回「信長を暗殺せよ」(脚本:前川洋一 演出:深川貴志)では、斎藤道三(本木雅弘)が死んだ弘治2年(1556年)から2年経過した永禄元年(1558年)へと年月が進む。

越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)のもとに身を寄せた光秀(長谷川博己)は浪人の身。年齢的にも30歳くらいになった頃だろうか。衣裳の色がちょっと地味になった。うっすら無精ひげのようなものも生えて、身を落としている雰囲気が出ている。長谷川博己は、知的エリートでばりっとしていた人物がふいに疲れた感じになるギャップを演じたときとても色っぽい。出世作の「セカンドバージン」(10年)しかり、大河ドラマデビュー作「八重の桜」(13年)しかり、「シン・ゴジラ」(16年)しかり。
きりっと取り付くしまがなさそうな人物が無防備さを前面に出してくると虚を突いてくるというのか、妻の煕子に子供ができて「でかした!」とぎゅっと抱きしめる仕草は朝ドラ「まんぷく」の「できたぞ、福子!」の系譜ともいえそうで、意外と愛情だだ漏れなところとふいに疲れた色気とは同一線上にある。

光秀の生活は変わったが、懐かしい人達と次々再会する。
まず、公方様こと足利義輝(向井理)。9年ぶりに京都に戻り、三好長慶(山路和弘)と和議を結ぶ。義輝様は各地の諸大名を呼び寄せるが、すでに幕府の威光は弱まっていてなかなか集まらない。義景も呼ばれたが面倒なことに巻き込まれたくないので、光秀に祝いの鷹を持っていかせる。

向井理の名演技

光秀と9年ぶりに再会する義輝はすっかり疲れて老け込んで見える。
「時が変われば人も世も変わる
いつ見ても変わらず胸をうつのは能じゃ」
この台詞は明らかに現実逃避の感情から来るものに思える。
向井理の名演技。9年前は若さゆえの退廃感を醸していたが、9年経って、京都を離れていた苦労とか諦念とかが積もって見える。メイクの違いもあるとはいえ、同じように瞳を伏し目がちにしていても、歳月が経っていることを感じさせるってなかなかすごい。
そういえば、義輝、剣の達人らしいのだが、全然そういうところが出てこないなあ。舞台「髑髏城の七人 Season風」やドラマ「そろばん侍」で見せた華麗なアクションを披露してほしい。

三淵藤英(谷原章介)と細川藤孝(眞島秀和)兄弟とも光秀は再会。藤孝には2年前に手紙を書いて各所に助けてくれるよう頼んでくれたことをちゃんと感謝する光秀。こういう誠実さが「麒麟」の光秀の美点である。

松永久秀(吉田鋼太郎)とは11年ぶりの再会。
高政こと義龍(伊藤英明)も上洛していて、同じく京都に向かっている織田信長(染谷将太)暗殺を狙っていると知った光秀は、松永にそれを阻止してほしいと頼む。
松永は敏いので、信長を狙っている者がいるそうですがなにかご存知では? と義龍に聞き「狼藉は言語道断厳しく取り締まらないといけない。将軍家の要職につくなら京の安全を」と先回りする。できる人は違う。

太陽や月が動いていくように

義輝も元気がないが、義龍も元気がない。衣裳はものすごく豪快な雰囲気なのに、義龍は昔のようなギラギラした野心は見えない。2年前は次あったときはそなたの首を跳ねると強気だったのに「わしに仕えてみぬか、手を貸せ」と光秀に言う。でも、光秀はーー
「断る」。
相変わらず、光秀くん、頑固者である。
「大きな国をつくるのじゃ 誰も手出しのできぬ」と道三に言われたことがこの胸のうちにあると言う光秀。つまり天下を統一すれば戦が起こらなくなるという考え方。これが独裁につながることもあるのだが……。
そこまでの大きな野心も力もない義龍。ここで光秀を斬ることもできたろうが、光秀を嫌いになれないのか、もう先が見えちゃっているのか、穏やかだ。
さらばだ もう会うこともあるまい」と別れ、その2年後、病でこの世を去るとナレーション(市川海老蔵)。いわゆる「ナレ死」となった。
斎藤道三、義龍父子の死、足利義輝の力のなさと、覇権が移り変わることを感じさせる、黄昏れた空気が19回には漂っていた。

「弟を殺し 父を殺し……」と自分の人生を振り返っていた義龍。道三を父じゃないとあんなに言っていたけれどここでは父と認めている。でも、一騎打ちのとき、父の名前を言えと道三に迫られ「だまれ 蝮の道三」って言っているからやっぱり認めてはいたんだと、あの会話はとても屈折した父子関係を表していたんだと私は勝手に思う。

信長も弟・信勝(木村了)を殺した(というか信長を毒殺するために持ってきた水を先に飲ませただけ)とき「終わった。わしは父も弟も母も失った」と涙目だった。義輝も「父もいない。帝も変わった。味方もいなくなった」と虚ろ。寄る辺がなくなってしまった人たちばかり。みんな意外と血縁に弱い。
そのなかで信長は気持ちを切り替えているかのようにはつらつとして見える。自分を愛してくれなかった血縁を吹っ切って楽になったか。上洛はしたものの、義輝に力がないことを感じた信長は、松永に尾張と摂津を取り替えてくれと持ちかけ、光秀の前から笑顔で小走りに去っていく。光秀が先回りして信長暗殺を阻止していたことを知ってるのか知らないのか……。

「今の世はどこかおかしい」と指摘する信長。
この頃、信長は24歳くらい。“人間50年”(この頃はこう言われていたらしい)の半分。時代の風はうつけと呼ばれる信長のほうへ向かっているような予感がするなか、予告では家康(風間俊介)が登場した。のちに大きな国を実現する人物である。……そういえば、秀吉こと藤吉郎(佐々木蔵之介)はどこでどうしているんだろう。太陽や月が動いていくように時代が少しずつ変わり、主要な人物も入れ替わっていく。その静かな胎動を感じさせる回だった。

ドラマ、演劇、映画等を得意ジャンルとするライター。著書に『みんなの朝ドラ』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』など。
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