「何者でもない自分」の中に「何か」を見出してくれた、彼女からの別れの手紙[神田桂一]
●不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話#06
先日、実家に帰って、クローゼットの中を整理していたら、懐かしい手紙が出てきた。それは、僕が大学生のときに初めて付き合った彼女からの「お別れ」の手紙だった。
彼女とは、約2年お付き合いをした。この手紙が届いた後、僕はあらゆる人脈を使い、復縁を迫ったが、時すでに遅し。「あなたのことは、もう同情の目でしか見られない」と言われ、僕の恋は終わった。僕は、彼女をぞんざいに扱いすぎた。人は、失って初めて、その存在の大きさに気づく。それを地で行った出来事だった。
大学時代の僕は、まったく大学の授業にも行かず、かといってバイトに精を出すわけでも、他の活動に打ち込むわけでなく、単に家にこもって日がなだらだらしているという、正真正銘のダメ大学生だった。
そんな僕の前にある女性が現れた。初デートは、神戸は三宮のトアロードにあるオシャレなカフェ。関西で有名なタウン誌「meets」で下調べをし、準備万端、出かけた。カフェに入り、僕はチャイを注文。しばらくすると、シナモンを添えて、運ばれてきた。僕は、シナモンをお菓子のルマンドか何かと勘違いし、お茶請けだと思ってかじった。固くて歯が折れそうだった。もうダメだ。僕は二人分の勘定をして、外に出て、そのまま家に帰った。
しかし、そのときの女性が、僕にとっての初めての彼女になるんだから、人生何が起こるかわからない。
彼女とは、よく、神戸港にあるハーバーランド周辺を散歩しながら、将来への期待や不安について語り合った。彼女は小説家志望で、僕はライター志望だった。僕は、クズみたいな生活をしていたが、自分には特別な才能がある、周りの奴らとは違うんだという自意識があふれ出ていた。彼女もそうで、そういう自意識を共有できる数少ない人間だった。ふたりで、自分たちの才能を褒めあった。励ましあった。彼女はよく「人は誰でも、1編の小説は書けるらしいの。続けることが難しいんだって」と言っていた。今ならこの言葉の意味がなんとなくわかる気がする。
ふたりとも、早く、「何者でもない」という大学生という身分から抜け出したかった。
その後、色々あって、僕の家に唐突に手紙が届いた。それが冒頭のお別れの手紙だった。
それから彼女とは絶縁状態になり、まったく何をしているかわからない状況が続いていたが、風のうわさで、25歳のときに、職場の先輩と結婚したらしいことを知った。
その事実を知ったにも関わらず、僕はまだその彼女を引きずっていた。ちょうどライターになった頃だった。彼女は小説を書いているんだろうか。そんな他愛もない話をしたかったのだけど、それは叶わぬ願いだった。
それでも、人生は続く。僕はそれから何人かの女性と付き合ったけど、どれも絶縁状態となって終わりを告げた。何か僕のほうに重大な問題があるのだろう。もう、まともな恋愛は諦めた。
でも、そんなとき、ふと、彼女のことを思い出すときがある。何者でもないときに僕を好きになってくれた彼女のことを(まあ、ライターになったからといって、何者かになれたとは言えないのだけど)。少なくとも、彼女は、僕のライターとしての資質の第一発見者である。
そしてーー。
僕は、台湾に関する単行本の取材のため、台湾と日本を往復する慌ただしい日々をすごしていたころ、彼女と僕の共通の知人から、今、彼女が夫の仕事の都合で台北に住んでいるらしいという情報を得たのだ。これはなにかの天啓に違いないと勝手に都合よく解釈した僕は、彼女のメールアドレスを入手、連絡してみることにした。
できれば、僕が台湾に行くタイミングでお茶でもしたい。さすがに、もう引きずってはいないし、単純に昔話に花を咲かせたかった。そうしたら、意外とすぐにメールが返ってきた。凄くフレンドリーなメールだった。子供の勉強の教材に僕が出した本が載っていたよと言って、画像まで添付してくれていた。僕のことはネットで調べて知っているとのことだった。
メールは何度か往復されたが、彼女から、これ以上は、夫に悪いので、もう連絡はできないと言われた。僕は、変わってないな、と思って、引き下がることにした。結局、僕からは、彼女のことについて、なにひとつ聞くことができなかった。というか、聞く必要がないと思った。今の生活がとても幸せそうに思えたからだ。僕が会ったり、小説書いてますかと聞いたりして、水を差す必要はこれっぽっちもないだろう。
どっちの人生がよいなんて、僕には判断がつかない。たぶんどっちも正解で、それが青春ってもんなんだろう。
●神田桂一(かんただ・けいいち)さんのプロフィール
ライター、編集者。週刊誌『FLASH』記者、ニコニコニュース編集部記者を経てフリーに。『スペクテイター』『POPEYE』『ケトル』『yomyom』などに執筆。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(菊池良と共著/宝島社)など。現在、台湾のサブカルチャーに関する単行本を執筆中。
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