〈失って初めて気づく系〉のトリセツ[尾崎世界観]
●不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話#08
約20年にわたるバンド活動で、恋愛をテーマにした楽曲を数多く発表してきた。しみったれた男女の捻れを書かせたら右に出る者はいない。そんな自負だってある。
それがある時、ふととつぜん、自分が〈失って初めて気づく系〉だと気づいた。
これまで作詞に使ってきたほとんどの手口が、失って初めて気づいて途方に暮れる、だったのだ。それで強い共感を得ることもあれば、メンヘラなどと揶揄されたりもする。その都度喜んだり憤ったりしてきたけれど、なんのことはない、自分が絞り出した感情の機微のほとんどが、ただ〈失って初めて気づいてる〉だけだったのだから。
小学生の時に近所のゲームセンターでやったクレーンゲーム。景品を取るために操作したクレーンはまったくの役立たずで、ぬいぐるみはぴくりともしなかった。悪びれもせず手ぶらで帰ってきたクレーンに今さら文句を言っても仕方がない。その時、生まれて初めて〈失って初めて気づい〉た。 (ややこしいな!)
もしもあと数センチずれていたら。
もしも別のぬいぐるみを狙っていれば。
ゲーム機の前に立ち尽くし、そんな後悔に打ちひしがれた。
そして、大人になった今でも、相変わらず事あるごとに〈失って初めて気づいて〉いる。
もしもあと一日早かったら。
もしもあともう一回チャンスがあれば。
もしもあの一言があったら。
もしもあの一言がなければ。
これらはただの言い訳だ。他人ではなく、自分にする言い訳。
ところが、作詞をする上で、この言い訳がとても役に立つ。
試しに失恋を愛情の遅刻と仮定して、その言い訳に置き換えるとこうだ。
「ついついゆっくりしていたら、電車を一本乗り過ごしてしまった」
↓
「僕はなぜ、あの手を離してしまったんだろう」
「何度注意されても遅刻癖がなおらない。だから、もうただ謝ることしかできない」
↓
「もう君とのあの日々は戻らない。ならば何度だって言う。僕は君が好きだ」
これらにメロディーがつけば、途端にそれらしくなるから不思議だ。
〈失って初めて気づく系〉というくらいだから、決して失う前に気づいてはいけない。そんなことをすれば関係が良好に保たれ、2人が幸せになってしまうからだ。幸せと言い訳はとても相性が悪い。
そんな〈失って初めて気づく系〉を根底から覆したのが、自身の取扱説明書を朗々と歌い上げるあのヒット曲、西野カナのトリセツだ。事前にあれだけ細かく説明を受けてしまえば失って初めて気づくことはまず不可能だし、それをあえて先に持ってくることで、聴き手に与える印象も180度変わる。後悔先に立つ〈失う前に気づかせてくれる系〉だ。
聴き手はあらかじめ〈失って初めて気づく〉を疑似体験したうえで、現在の幸せな2人を祝福することもできる。ただ幸せな歌を聴くのはちょっと物足りないけれど、悲しい歌ばかりでは気が滅入る。そんな人も大満足だ。遅刻どころか、前日に前乗りする気概を感じさせる。
もしもあれを言っていたら。
もしもあれをやっていなかったら。
あー。ガバッ。なんだ夢か……。
悪夢を見た後の、あのちょっと嬉しい「なんだ夢か感」を味わえて嬉しい。
それでも、これからも〈失って初めて気づき〉続けていきたいと思う。
わかっていても、なぜかやってしまうのが人間だ。もう懲りたはずなのに、なんだか今日こそ取れる気がして、また投入口に100円玉を入れてしまう。あんなに決意したはずなのに、今日もつい家を出るのが遅くなってしまう。
そんな人の愚かさに寄りそって、優しく肩を叩き続けたい。
この度はこんな文章を読んでくれてどうもありがとう。
いつも失って気づいてばかりの辛気臭い私だけど笑って許してね。
ずっと大切にしてね。
永久保証の私だから。
●尾崎世界観(おざき・せかいかん)さんのプロフィール
1984年、東京都生まれ。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。2012年、アルバム「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」でメジャーデビュー。2014年、2018年に日本武道館公演を開催し、音楽シーンを牽引する一方、2016年には半自伝的小説『祐介』を刊行するなど、執筆活動でも注目を集める。6月19日に文芸誌「小説トリッパー」での対談連載をまとめた書籍『身のある話と、歯に詰まるワタシ』を刊行予定。