不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話

今もどこかにいるヒーローたちへ 私の初恋[山崎ナオコーラ]

夜の外出を制限され、今までできなかった手の込んだ料理にチャレンジするだとか、オンライン飲みで修学旅行の夜のような気分のつかのま味わうだとか……なんとなくイベント性を持たせてやりすごしてきた数週間。 でも、何の予定もない夜、ぷらっと飲みにも行けず、ふいにできた時間にしんとした部屋でひとりスマホを開いた時。誰かの恋の話を追体験しながら、空っぽの気持ちや時間をあたたかい言葉で埋めたくなる。大恋愛、初恋、失恋、少し甘酸っぱい話……。各界で活躍する方々から、普段は言えないけど、こんな夜だから聞いてほしい恋の話が届きましたーー。 『人のセックスを笑うな』デビューした作家の山崎ナオコーラさん。人見知りが激しかった子ども時代に優しくしてくれた男の子を思い出すと、ヒーローとは何かを考えるそうです。

小学四年生のときだった。
理科室の掃除当番で、班の六人で掃除をしていた。
私はひどく大人しい子どもだった。極度の人見知りで、家ではそれなりに喋るが、学校ではほとんど喋らない。
クラスでは、嫌なあだ名を付けられ、軽いいじめにも遭っていた。

だから、掃除を集団でするのは嫌いだった。世界においては、学校の清掃はプロに依頼する国が多く、日本のように子どもたちに清掃させるのは珍しいらしい。掃除の精神を育むということだろう。でも私は、みんなで協力してきれいにすることになんの楽しさも覚えなかった。先生やリーダー格の子に咎められないように気を張って掃除のマネをするだけで、掃除の精神などまったく育てなかった。

理科室の掃除も、適当にやっていた。きれいにする気など皆無で、ただ、こっちにあったものを向こうに動かし、向こうにあったものをこっちに動かし、余計なことをしないように心がけるだけだった。それなのに、やってしまった。ビーカーを割ってしまったのだ。
ガシャーンという音と共に、床にガラス片が散らばる。私は途方に暮れて、そこに立っていた。
「あーらら、こらら」

周囲に班のメンバーが寄ってきて、当時流行っていた囃子言葉で囃し立てた。
「先生に怒られるよー」
「あーあ、どうするのー」

みんなニヤニヤして、遠巻きに私を見ている。
だが、離れたところで箒で掃いていたKくんだけが私に近寄ってきた。そして、
「大丈夫?」
と言って、割れたガラスのカケラをひとつひとつ拾い始めた。

私は驚いた。小学四年生くらいの頃は、みんなが空気を読んで行動する。周りと同じような動きをするために、ふざけて遊び、先生に嘘をつき、ときにはいじめに加担して、「いい子」ぶった行動を控える。だが、Kくんは周囲の空気をまったく気にせずに、私のところへきて、ガラスを拾っている。

ガラスを拾う、というのも大人っぽく、小学四年生にしては奇特なことだった。私はその頃、家でガラスを割っても、「危ないよ」と親が処理をしてくれていて、自分で拾ったことはなかった。だから、私は割ったあと、棒立ちしていたのだ。Kくんは全部のカケラを拾ってビニール袋にしまってくれた。

私はそれ以来、Kくんを注視するようになった。どうやらKくんは本当に優しい性格らしく、他の子にも親切をいろいろとしていた。
でも、私に構ってくれた。Kくんは私がいじめられているのなど気にせず、しょっちゅう私に雑談を投げてくるようになった。

クラスで遊具オニという遊びが流行って、二十分休みになると、女子の大半が誘い合って校庭で鬼ごっこをしている時期があった。だが、私はひとりで教室に残りいつも絵を描いていた。Kくんは男子と教室でふざけ合ったり、校庭でサッカーをしたりしていたが、よく私の机に来て、
「何を描いているの?」
などと話しかけてくれた。

あるとき、女子の明るい子が、
「山崎さんも一緒に遊具オニをしようよ」
と誘ってくれたときがあった。
私が躊躇していると、
「僕もやる」

とKくんが手を挙げた。それで、私もすんなり女子の中に入って、校庭で鬼ごっこをすることができた。

女子の中にひとりだけ男子が混ざるのは、小学四年生の子どもにはほとんどないことだった。でも、Kくんは意に介さず、混ざっていた。

翌日も、翌々日も、Kくんは一緒に遊具オニをやってくれた。何回か遊んで、私が遊具オニに馴染んだ頃、Kくんはまた男子とのサッカーに戻っていった。

©gettyimages

あれは初恋だったな、と思う。
あのあと、Kくんとは結構仲良くなった。映画『天空の城ラピュタ』の呪文を覚えてことあるごとに一緒に唱えたり、当時放映していた『聖闘士星矢』というアニメのストーリーを話してくれたり、帰りの会で歌う歌で私とKくんだけで同じタイミングでこっそり手を叩くのを習慣にしたりしていた。
でも、Kくんの方は、恋とか好きとかそういうのではなくて、とにかく人に優しくしたい、ということだったのではないかな、と思う。

コロナ禍の中にいる今、Kくんのような人がどこかにいるんじゃないかな、と想像する。

医療機関やスーパーマーケットや配送業などにもヒーローはいる。
でも、そういう職業ではない、医療や生活必需品に関係ない職業の人でも、ほんのちょっとの助けを誰かに与えていることもあり得る。

Kくんが今どこに住んでいるのか、どんな職業に就いたのか、何をしているのか、私はまったく知らない。でもきっと、どこかで、誰かしらに、小さな助け舟を出しているんじゃないかな。そんな気がする。

 

山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら) さんのプロフィール
作家。親。性別非公表。1978年生まれ。2004年、会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』でデビュー。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。著書に『母ではなくて親になる』『ブスの自信の持ち方』などがある。最新刊は、主夫の時給をテーマにした新感覚の経済小説『リボンの男』。

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