年末年始に読みたい短編エッセイ。映画監督・箱田優子「ミイちゃんの話」

年末年始、故郷へ帰る人もそうでない人も、なんとなく人恋しくなりませんか。そんなあなたのために、映画「ブルーアワーにぶっ飛ばす」で"大嫌いな実家"への帰郷を描いた箱田優子監督による書き下ろしエッセイをお届けします。2020年も、よい年でありますように――。

歓楽街K町、賑々しいネオンから少し離れた場所にその店はある。店名はいつも思い出せない。

今年は海外出張が多く、早朝便の際は空港付近に宿をとるのだが、特にこだわりなくK町というパターンが続いた。深夜、ホテルで呑むのもつまらないなと街を彷徨う中で、一軒の台湾料理屋に流れ着いた。カウンターとテーブル合わせて5人も入れば満杯の狭い店内。寡黙な台湾人マスターが作る家庭料理は、どれも丁寧で優しい味がした。「メニューに無くても、在る物で何でも作るよ」とドラマ深夜食堂を思わせる人情店なのだが、小林薫的マスターの静かなダンディズムを全無視した登場人物がいる。ママのミイちゃんだ。

ミイちゃんはいつも酔っ払っている。そして大声で怒っている。

「この人給料くれないんだヨ!フザケンナこの野郎だヨ!」注文をお願いするも基本スルーされる。負けずに「あ、ママ、すみません」などと声をかけると、「なに謝ってんダ!あんた産んだ覚えないよバカにすんナ!」と叱られる。マスターに制されてもミイちゃんは止まらない。「この人給料くれないんだヨ!フザケンナこの野郎だヨ!」このループが幾度となく繰り返される。その勢いに圧倒されているうちにマスターが手際よく料理を運び、その味に「美味しい」と感想を漏らすと間髪入れず「当たり前だコノヤロー!」とミイちゃんの合いの手が入る。くだを巻くミイちゃんの傍で「ごめんねビール持ってくね〜」とセルフサービスで酒を運ぶ常連さん達。「飲みすぎだヨ!」と言い放つミイちゃんの方が完全に飲み過ぎなのだが、皆朗らかに笑っている。

初めての来店時、そんな調子で終始ミイちゃんは怒っていたし、全く働かないまま罵詈雑言のオンパレードだったが、何故だか心が和らいだ。その謎は解けないまま店を出ようとすると、ミイちゃんはお客さんに貰った蜜柑を「お土産だヨ!」とキレながら渡してくれた。蜜柑はミイちゃんの手に握られすぎたのかじんわり温かかった。帰り道、雑踏に溶けて行く私にブンブンとその手を振ってくれた。暫くして振り返ってもまだ手を振っていた。顔は相変わらず怒っていた。

先日、また出張でK町に泊まる事になった。12月半ば、年の瀬の空気漂う夜の街で「つーか年末どうすんの?地元?」などと盛り上がる大学生達をすり抜け、何となくミイちゃんの店に足が向かっていた。
ミイちゃんは相変わらず酔っ払っていた。そして怒っていた。

「今日は朝から何も食べて無いヨ!この人食べさせてくれないんだヨ!」とマスターに文句を言いながら賄い飯をカウンターに下げていた。「いや今食べてたよね」と言うツッコミには無反応だった。

最初の来店から半年以上経っていた。その間、私は地元と家族を元ネタにした映画が全国公開となり、家族との距離、社会との距離に、ナイーブ極まっていた。行く先々で言葉をかなり選んでいたせいか、強張った身体にミイちゃんの罵声が甚く響く。注文する際、性懲りも無くまた「すいません」と声をかけてしまう失態。「すいませんじゃ無いヨ!何に謝ってんだヨ!」とミイちゃんに叱られる。マスターに制されるもやはり止まらない。ふらりと立ち寄った常連さんがお菓子の差し入れをして帰って行った。「金落としてけこの野郎!」と言いながら見送りに出るミイちゃん。ドアの向こうでミイちゃんが手を振るのが見えた。手を振り続けながら何か叫んでいた。薄着にエプロン一枚で冬の寒さに息が白かった。戻るなり「酔っ払って寝たら寒くて死ヌ!」と店全体にキレた。狭い店内、お客さん達と笑いながら、私は何かが決壊してボロボロと泣いてしまった。それを見たミイちゃんは少し黙った後「死んじゃうって言ってんだヨ!」とまた怒った。

帰り道、当たり前のようにミイちゃんは見送ってくれた。「コレ持ってけ!」と先程お客さんがくれたお菓子を持たせてくれた。「ミイちゃんのじゃん、良いの?」と言うと「ミイちゃんのだから良いんだヨ!」と怒られた。振り返るごとに小さくなっていくミイちゃんを見ながらまた少し泣いた。

ずっと移動し続けた一年。映画のためにと始めたツイッターで、帰国する度に「帰ります」と末尾で呟いてきたが、私はどこに帰るんだろうと疑問だった。家にも居着かず、地元にも居着かず。流れ続ける事に馴れて、足がつかない所まで来てた事に気がつかなかった。助けてなんて言えない。だって勝手に流れて来たしと。ぼんやり漂流する私の頭上をミイちゃんの怒号が勢いよく飛んで行く。

「バカ野郎だヨ!」

その通り過ぎて笑えてくる。誰かの元に帰るってこういう事なのかなと思った。家族でも恋人でもない赤の他人のミイちゃんにこんな事を思うのは変なのかもしれないが、ミイちゃんに持たされたお菓子が懐かしい味でそれでも良いかと思った。年末年始、私はどこにも帰らないと思うけど、誰かに会いに行こうかなとは思う。

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1982年 茨城県生まれ。 映像監督として、映画、CM、MV等の演出を手がける。 2019年、脚本監督作の映画「ブルーアワーにぶっ飛ばす」が全国公開。 同作で上海国際映画祭 アジア新人部門 最優秀監督賞ほか受賞多数。