【ふかわりょう】三日月の夜に
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」40
三日月の夜に
好きな歩道橋はありますか。歩道橋に対してそんな感情を抱いたことないかもしれませんが、私はいくつかあります。幹線道路を跨ぐもの、線路を跨ぐもの、駅前から蜘蛛の脚のように伸びるもの。階段の上り下りは面倒でも、意外と見晴らしが良かったり、丘の上に上がるような気分になれるから。中でもお気に入りは、東京タワーとスカイツリーが見える歩道橋。
二つのタワーが同時に見える場所は他にもあるでしょうが、ここは一味違います。二つのタワーが仲良く、まるでカップルのように並んでいるのです。しかも、この地点からだとスカイツリーの方が遠いため、実際の高低差は300メートル以上あるのに同じくらいの背丈で並びます。もともと好きな歩道橋だったのですが、気づいてさらに好きになりました。また、この時期になると、夜には綺麗な月が浮かび、思わず歩道橋の上で一杯やりたくなるのです。
「何だろう…?」
三日月の夜でした。歩道橋の階段の麓に人影が見えます。近づくと、着物を着た女性であることがわかりました。月明かりに照らされて、誰かを待っているのか。一抹の不安を抱えながら、通り過ぎようとしたときです。
「よかったら、いかがですか」
言葉はこちらに向けられています。
「今夜はとても綺麗な三日月が見えますよ。もしよかったら」
「よかったら…?」
お盆のようなものを渡されると、徳利とお猪口が乗っています。
「お足元に注意しておあがりください」
荷物を脇に抱え、両手でお盆を持ちながら階段をゆっくり上がります。二つのタワーがよく見える場所で、手すりにお盆をのせました。お酒を注ぐと、トクトクという音と共に発酵した芳醇な香りが鼻を刺激します。
「はぁ、これはいい…」
日本酒がゆっくりと喉を温めていきます。
「いい眺めですね」
先ほどの女性がすぐ隣にいました。
「いつも、あそこで立っているんですか?」
彼女はお酒を注ぎながら応えました。
「今日のような三日月の夜だけです」
見上げると、レモン色の三日月が浮かんでいます。
「ここからスカイツリーと東京タワーが並んで見えるんですよ」
得意げに指さすと、彼女は言いました。
「星座、みたいですね」
「星座?」
「えぇ。オリオン座とか、ここからは並んで見えますけど、実際はすごく離れているし、ここからの距離もそれぞれ違っていて…」
「なるほど、確かにそうですね」
続けて、私は言いました。
「昔、家族で出かけた帰り、富士山がずっと追いかけてくるのがすごく不思議でした。月もずっと追いかけてきて。でも富士山はいつの間にかいなくなって、月だけ家までついて来たんですよね…」
振り向くと、女性の姿はありません。
「あれ、どこ行ったんだろう…?」
あたりを見回しても気配すらありません。歩道橋の下を電車が通過していきます。お猪口の中で、小さな三日月が揺れていました。
タイトル写真:坂脇卓也
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