【ふかわりょう】仲秋の戯言
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」39
仲秋の戯言
子どもの頃はできたのに、大人になるにつれできなくなってしまったことがいくつかある中で、まず思いあたるのは、虫を触れなくなってしまったこと。
子どもの頃は、この時期、バッタやコオロギなど捕まえに行ったものですが、今はもう無理です。触れません。あんなに手で掴んでいたのに。カブトムシやクワガタは動きが機敏じゃないからまだいけるかもしれませんが、そろそろ蝉も怪しくなってきました。あんなに大好きだったカナブンなんて、もはや存在を認識することすらできなくなりました。カナブンは、大人には見えないのでしょうか。
観覧車に乗れなくなりました。普通に生活していれば乗る機会がないから大丈夫なのですが、数年前に乗ったらダメでした。怖くて景色どころじゃない。ジェット・コースターやフリー・フォール、バイキング。あの内臓がふわっとするものがずっと苦手で、高校生の遊園地デートの前は公園のブランコで訓練したほどですが、いつの間にか観覧車もダメになってしまいました。子どもの頃はなんの抵抗もなかったのに。
鉄棒、縄跳び、跳び箱、全滅です。こう見えて意外と運動神経よかったのですが、跳び箱の踏切台で恐怖心に勝てず、跳べなくなってしまいました。自転車の手放し運転も、してはいけないことですが、今ではやろうとすら思いません。
映画を純粋に楽しめなくなってしまいました。厳密にいうと、ストライク・ゾーンが狭くなってしまいました。以前はなんでも楽しめたのに、大人になると、粗探しとまでは行きませんが、作品の魔法にかかりにくくなってしまいました。
プールや海に行きたいという気持ち。もちろん、現在でもなくはないです。しかし、子どもの頃のその熱量はまぁ大変なもので、夏休みに海やプールに行けないと発狂しそうなほどでした。親と行くと、休憩時間をとらねばならず、その間じっとしているのもとても苦痛でした。どうしてあんなに海に入っていたかったのか。
自転車のチェーンが外れる。大人になったからというより、自転車の質が上がったからかもしれませんが、昔はよくチェーンが外れました。集団で遊んでいたら必ず一人は外れました。手を脂だらけにしてよく修したものです。
深夜のラーメンも食べなくなりました。カップ麺にしても、ラーメン屋にしても、深夜、よく食べたものです。今やったら胃もたれ必至ですが、我慢というより、食べたくなることすらなくなりました。
遠距離恋愛。子どもの頃というよりも、若い頃は距離なんて関係ありません。どんなに遠かろうが、若さで乗り切りました。遠ければ遠いほどその愛は燃える。しかし、大人になると、もう、疲れることはしなくなりました。燃えるような恋よりも、穏やかな時間を求めるようになりました。
どの分野においても、無茶はしなくなりました。あの頃は、何も気にせず行動できたのに。大人になるにつれ、危機管理能力が高まるのか、良くも悪くも、すっかり無茶しなくなりました。大人になってできるようになったことも、きっと無数にあるのだろうけど。あぁ、無茶苦茶に無茶したい。明日のことなど考えず。
タイトル写真:坂脇卓也
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第10回【ふかわりょう】踊り場で足を止めないで