ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」41

【ふかわりょう】踊り場で足を止めないで

人気情報番組「5時に夢中!」(TOKYO MX)のMCや、DJとしても活躍するふかわりょうさん。ふかわさん自身が日々感じたことを、綴ります。光の乱反射のように、読む人ごとに異なる“心のツボ”に刺さるはず。隔週金曜にお届けします。

●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」41

踊り場で足を止めないで

 先日視力を測る機会があり、ピンボケを痛感する日常によほど下がっているかと思えば一切低下しておらず、老眼は視力の数値に反映されないことを知る四十五の晩秋。この年齢になると老眼はもちろん、四十肩や原因不明の鈍痛、頻尿、早朝の起床、やたらと涙もろくなったり、バラエティーに富んだ老化を実感します。ちょっとしたドキュメント番組やスポーツ中継で涙することなどなかったのに。とりわけ生活に支障があるわけでもないので、この現象を楽しんでいる部分もありますが。

 大人への憧れ。男の子に比べ、女の子は母親に内緒でお化粧してみたり、その想いは強いようです。しかし、大人の階段を上っていくうちに心境が変わるのか、大人になったからなのか、次第に若く見られたくなるのはどうしてでしょう。誕生日が嬉しくない、という表現をしばしば耳にするように。

 日本ではお肉を「やわらか〜い!」と絶賛しますが、海外では柔らかいことが必ずしもお肉の美味しさを表現するとはかぎらないそうです。実際の年齢に「見えな〜い!」という表現は海外ではどのように捉えられるのでしょう。いちいち一喜一憂しているのは、我が国だけではないにしても、どうしてそこまで若く見られたいのか。

 実際の年齢よりも若く見えることが賞賛され、老けて見えることが面白がられる風潮。生物としての本能なのか。広告に踊らされているだけなのか。いろんな生き方があるので、「若く見られたい」願望を抱いている人が多くいても構わないのですが、これだけは言っておきます。若く見えることと、美しいことは別次元です。

 齢を重ねることに抗わず、受け入れながら人生を歩んでいる人こそ、自然な美しさが宿っている気がします。カッコつけなくなったとき、はじめてカッコよく見えるように。モーツァルトが後世に残る曲を作ったのが10代なのは偉業ですが、モーツァルトの見た目が若くてもそれは偉業ではなく、単なる個性にすぎません。

 経済においては、若く見られたい人を増やせば商品が売れるわけですから、ありがたい風潮でしょう。我々は変な魔法をかけられているのです。若々しく元気であることは素敵なことですが、若く見られることに私は価値を感じません。若さへの執着を捨てた時、人は、美しく見えるのではないでしょうか。

 仮に、老けない薬があったとして、その薬のおかげで永遠の「若さ」を手に入れた人はきっと美しくはないでしょう。失っていくからこそ、人は美しくなるのだと、私は信じています。内面を磨くとか、そういうことではありません。

 若さを謳歌するのは素晴らしいことです。しかし、若く見えることを称える必要はありません。老いることが美しい。失うことを受け入れることが人としての「美」につながる。そのような風潮になればいいと常に思っています。

     

タイトル写真:坂脇卓也

1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。テレビ・ラジオのほか、ROCKETMANとしてDJや楽曲制作など、好きなことをやり続けている。
ふかわりょう