【ふかわりょう】平均の罠
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」42
平均の罠
平均寿命、平均年収、平均気温。我々の日常でよく耳にする「平均」。中でもお金にまつわるそれに関心が集まりやすいのは、周囲と比較しないと不安になるからでしょう。他人の財布事情や貯金額。以前は、タレントの稼ぎなど口が裂けても言わないもので、想像に委ねられていましたが、最近はさらっと答えてしまうケースも多く、世の中は夢よりも現実を求めているのかもしれません。
学生の頃、試験の平均点以上か以下かで印象は大きく変わりました。アベレージを知ることで、自分が全体の中でどれくらいの位置にいるのか把握でき、一つの指標にはなるのですが、「平均」なんてあまり当てにするものではありません。
例えば、平均年収1000万円が一人います。あとの9人は300万円。この場合、平均年収は370万円になり、9人が平均を下回ることになります。どうでしょう。370万円という平均値になんの価値があるでしょうか。同様に、平均寿命がいくら延びたって、自分がそこまで到達できるという保証はどこにもありません。「平均」こそ、幻想に過ぎないのです。
海外では、「いい流れだったね」、という表現をあまりしないと聞いたことがあります。日本では、「あそこから流れが変わった」などと言いますが、あまりピンとこないようです。「流れ」よりも「個人」が尊重されているのでしょう。
ホテルのフロントで奇妙な光景を目の当たりにしたことがあります。屈強な米軍の方々がずらりと並んでいます。ざっと100名ほど。日本人の感覚だったら代表者1名が手続きをし、キーをそれぞれに渡すでしょう。しかし一人一人がチェックインの手続きをしていました。たまたまだったのか、個人を尊重するからなのかはわかりませんが、皆保険制度がなかなか成立しなかった国民性と重なります。
我々は、年金や保険制度など、文句を言いながらもなんだかんだで受け入れてきました。「個」よりも「集団」を尊重してきたのは、島国、農耕民族、村社会などに起因するかもしれません。その一方で、「集団」という見えない圧力に苦しむこともあります。テクノロジーのおかげでこれだけ個人主義が発達しても、精神的なそれは育まれていないようです。いつまでたっても自分が全体のどれくらいの位置なのかを気にしてしまう。お店や映画にしても、人はどう思ったのか、レビューを気にしてしまう。平均点数3.2。ここでも「平均」が掲げられています。客観性というよりは、主体性の欠如。自尊心の塊もなかなか厄介ですが、あまりに「集団」を気にする傾向に嫌気が差すことも。そんな呪縛とも言える「平均の罠」から抜け出す方法が、ひとつあります。
「ヨソハヨソ、ウチハウチ」
聞いたことあるでしょうか。これは古来から伝わるおまじないの一種で、主に、「あれ買って!あれ欲しい!」と駄々をこねる息子に対して母親が使用していたフレーズ。昭和を最後にあまり聞かなくなったとされていますが、私もしょっちゅう聞かされました。買いたいものを買ってもらえない。みんなはお誕生日会をしているのに。みんなは自転車を買ってもらえたのに。ただ所有していないならまだしも、自分だけが持っていないという状況ほど辛いものはありません。みんなはファミコンを持っているのに。
「ヨソハヨソ、ウチハウチ」
ぐうの音も出ず、友達の家に行ってゲームをやらせてもらったものですが、これこそまさに現代社会に必要な概念なのです。
台風の影響は甚大で、被災された方々には多くの同情が集まる中、タワー・マンションや高級住宅地に関しては、多くの妬みが紛れ込んでいました。日頃高いところから見下しやがってと感じている人もいるのでしょう。人間らしいと言えば人間らしいのですが、人と比べて生活していると疲れてしまいます。
「ヨソハヨソ、ウチハウチ」「タワマンハタワマン、ウチハウチ」
自分に魔法をかけるのです。平均なんて、意味はない。比べた瞬間、負け確定。今こそ、このおまじないを使っていきましょう。
タイトル写真:坂脇卓也