【ふかわりょう】 整形は心の治療
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」43
整形は心の治療
整形大国と呼ばれるとある国では、 アイドルグループのオーディションの際に顔を見ず、体型のみを審査するというのを聞いたことがあります。顔はいくらでも変えられるから。真偽のほどはわかりませんし、皆同じ顔に見えるのはこちらの年齢のせいかもしれませんが、「整形」に対するハードルが低く、日本よりもライトな感覚で施術を受ける者が多いのかもしれません。
「この人、整形した?」
テレビ画面に映っている者に違和感を覚えると決まって誰かしら指摘したものです。かつては「整形」に対して、ネガティブな印象を持つ者が多く、白い目を向けられることもありましたが、日本も昔に比べればかなり寛容な社会になり、世界的に見れば立派な「整形大国」。十年以上前の「ビフォア・アフター」なる番組では、一大決心で施術を受ける女性が映されていましたが、時代による価値観の変化やコストダウンもその要因の一つかもしれません。また、女性が受けるイメージがありますが、当然、男性もありますし、今後のマーケットの主流になるかもしれません。
胸や目を大きくしたり、鼻を高くしたり。そもそも女性はメイクの表現の幅も広がっているので、どこまでが「整形」なのかわかりませんが、整形は、心の治療だと思っています。
外見に対するコンプレックスは誰しもあるもの。容姿に人工的に手を加えることで、心が安定するため。それだけに、依存しすぎると「過剰摂取」にもつながるので、それなりの覚悟がないと歯止めが効かなくなります。容姿は「変えられない」から、「変えられる」時代へ。しかし、施術の際に必要なものがあります。それは「うしろめたさ」です。
どんなに社会は寛容になっても、気軽に整形できる風潮になっても、どこかで整形に対する「うしろめたさ」を失ってはいけない気がします。それはやがて小さくなるにせよ、施術の際には持参するべきだと思います。それがないと、「心の治療」にならないからです。
あともう一つ。批判されたくないなら整形するな、です。どんなに時代が変わっても、整形に対してネガティブな考えを持つ人はいます。そういう人たちの価値観を変えることはとても難しく、否定することはできません。受け入れてくれる人もいれば、受け入れがたい人もいる。自分の表情は変えられても、世間の偏見や先入観はすぐには変えられないのです。
親から授かった体ではあるもものの、自分の人生ですから、世の中の人たちが整形しようがしまいが、本人の自由だと思います。ただ、もしも自分の娘や息子がそうしたいと言ったら、同じことを言える自信はありません。複雑な心境になるでしょう。でも、それで自分の心の靄が晴れるのであれば、止められないかもしれません。
誰もがコンプレックスを抱いています。周囲が、そんなことないよと言っても、たとえ好きな人に「そのままでいいんだよ」と言われても、本人が抱えるものは本人にしかわからないもの。誰もがコンプレックスとともに歩めるわけではありません。容姿でたくさん傷ついたのであれば、傷を癒す権利はあるでしょう。カミングアウトしやすい風潮が必ずしもいいとは思いませんが、その権利を尊重する世の中になればいいと思います。本人の「うしろめたさ」さえ失わなければ。
タイトル写真:坂脇卓也
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