【ふかわりょう】夏子の仕業
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」37
夏子の仕業
麦わら帽子を拾うと、仰向けになった蝉がいた。
「子どもの頃はあんなに長かったのに、大人になるとあっという間に過ぎるのはどうして?」
そんな話をしていたのは、何年前の夏。
「それは、見えない分母があるから。だから、どんどん短く感じていく。この先はもっと」
スピーカーから聞こえてくる、「三月の水」。夏の終わりを惜しむブラジルの人たちの心境を唄った、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲。「なんか不公平じゃない?夏の終わりは惜しまれるのに、冬の終わりは惜しまれない。それどころか、春を待望する雰囲気になる。夏だけどうして特別扱いされるの?」
氷の穴を埋めるクリームソーダの緑。ホットサンドのチーズがとろけている。子どもの頃も暑かったけれど、今は暑さの質が違う気がするのは、大人になったからだろうか。
「お盆を過ぎるとクラゲが出るっていうけど、クラゲはお盆を知っているの?」
「クラゲって、海の月って書くんだ。昔の人って、ロマンチックだね」
家々の間から波の音が溢れてくる海辺の町。砂浜に置き去りになったビーチサンダルを波がさらう午後。防波堤の上をカモメたちが飛び交っている。砂のついた素足にこぼれ落ちるかき氷の雫。
「あの日見た花火のことを覚えている?」
「あの夏聴いた曲を覚えている?」
遠くに聞こえる花火の音。うたたねをしながら耳にする波の音。扇風機。頬に付いた、ござの跡。
「あなたを好きになったのは、夏のせいかもしれないけれど。この恋が終わるのは、夏のせいにはしたくないから」
泳ぎ疲れて、バスに揺られた夏。君と過ごした初めての夏。君のいない、初めての夏。日焼けするのがあんなに嬉しかったのに、いつの間にか日焼け止めを塗るようになって。
麦わら帽子を拾うと、仰向けになった蝉がいた。
ビーチパラソルの群れの先に、岩場の潮溜まり。ガラスのような荒削りの砂を足の裏で感じながら、寄せては返す波のリズム。海と空の境界線に浮かぶ船はあの日見た夢で出会った少年を乗せて。
麦わら帽子を拾うと、仰向けになった蝉がいる。それは、夏子の仕業だった。
「だって、踏み潰されたら可愛いそうでしょ」
木々を転々とし、宙を舞っていた夏。麦わら帽子をかぶせた少女は大人になっていた。今年も夏が通り過ぎてゆく。
タイトル写真:坂脇卓也
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