不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話

9年間片思いした相手は、私の姉のことが好きだった[大木亜希子]

夜の外出を制限され、今までできなかった手の込んだ料理にチャレンジするだとか、オンライン飲みで修学旅行の夜のような気分をつかのま味わうだとか……なんとなくイベント性を持たせてやりすごしてきた数週間。でも、何の予定もない夜、ぷらっと飲みにも行けず、ふいにできた時間にしんとした部屋でひとりスマホを開いた時。誰かの恋の話を追体験しながら、空っぽの気持ちや時間をあたたかい言葉で埋めたくなる。大恋愛、初恋、失恋、少し甘酸っぱい話……。 各界で活躍する方々から、普段は言えないけど、こんな夜だから聞いてほしい恋の話が届きましたーー。 SDN48のメンバーとして活躍後、現在はライターやタレントして活動する大木さん。片思いの相手と姉との奇妙な三角関係の思いがけない結末とは?

●不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話#04

小学校6年間と中学校3年間、私はずっとひとりの男の子が好きだった。
彼の名は、大宮くん。
背が高く、手先が器用で足も早くて、当時モテる代名詞を兼ね揃えた男子であった。
しかし私には二ヶ月に一度だけ、彼に萎えてしまう瞬間があった。

それは、彼がその頻度で必ず美容室に行ってしまうからである。
大宮くんは美容室に行った後、必ずカッパみたいにちょっと奇妙な髪型になってしまう。
不器用な美容師によって毎度ガタガタにバリカンで刈られ、毎度、気まずそうな表情をして教室に入ってくる。
多分、お母さんに指定されたその美容室以外に、選択肢がなかったのだろう。

女学生の恋心など大変にワガママであるから、「理想の大宮くん」ではなくなるという悲劇的事案が発生するたびに、私は恋愛モードを一時停止させた。
彼の髪が伸びて再びかっこよくなるその日まで、鼻をほじって待ち続ける。
その間だけは、彼のためにソックタッチを使い丁寧にハイソックスを折り曲げる必要もなければ、毎朝ストレートアイロンで前髪を直毛にする必要もない。
ある意味、気楽な生活に突入する。

そうして、いつもの大宮くんに戻ってきた頃、私は再び彼に恋に落ちるというサイクルを繰り返した。
そんな調子であるから、今考えれば大宮くんへの恋愛感情は全く本物ではなかったのだろう。
しかし、あの頃の私には、“恋愛の入門編”を知るために彼の存在が必要だった。

姉と私のケータイライフ

中学2年生になった頃、私は親に必死でねだって携帯電話を買ってもらった。
しかし、なんと条件付き。
双子の姉と共に1台を使い回せよ、というおふれが親から発令されたのだ。
私の分と姉の分。2台の携帯料金を払う金銭的余裕はないとのことだった。
なんとしても同級生とケータイで交流をしたい我々は、渋々その条件を受け入れた。

その日から一日交代で憧れの“ケータイライフ”を満喫できることになった。
ただし、互いのプライバシーを尊重するため、それぞれの友人から送られてくるメールは別々のフォルダに届くように設定を行った。
フォルダ1には、私宛てのメールが届くように。
フォルダ2には、姉宛てのメールが届くように。

思春期の入り口に立っていた我々は、そこからデコメを友人に送りまくり、カナヘイが描くイラストを待受に設定し、同級生との友情を育んだ。
「我等友情永久不滅」「一生仲仔」「ありがトン」「前略プロフィール」。
mixiが流行りだす、ずっと前の話である。
あの頃、バカのひとつ覚えのように私はガラケーにのめり込んでいった。
ちなみに、着メロはサスケの『青いベンチ』。
これは、双子による緊急議会によって満場一致で議決した。

大宮くんからメールが届いた

2日に一度の貴重なケータイライフを楽しんでいたある日のことだった。
「魔法のiらんど」でケータイ小説でも読もうとした瞬間、フォルダ2の姉宛てに1通のメールが届いた。
普段ならば、姉のプライバシーに私が入り込むことは絶対にない。
しかし、メールを送ってきた相手が大宮くんとなれば黙ってはいられなかった。
震える指先で、さりげなく「フォルダ2」を開く。するとそこには、

件名:日曜日の待ち合わせ
本文:千葉駅でいい?大宮

と書かれていた。
その時、悟った。
「あぁ、姉と大宮くんは付き合っているのか」と。
衝撃を受けた私は、そこから迅速な対応をとった。
当時Vodafone(ボーダフォン)に備え付けられていた“未読変換機能”を使い、今しがた開封したメールを未読状態に直し、何も見なかったことにする。

翌日、いつもと変わらない様子で姉にケータイを手渡した。
事態に何も気づいていない姉は、私の前でさりげなく画面を開く。
すると、たちまち照れた様子で頬を赤らめた。
大宮くんから自分宛てにメールが届いたことを知り、嬉しくなったのだろう。
そのいじらしい様子を見た私は、姉の恋心を応援しようと自分に誓ったが、迂闊にも涙が溢れた。

苦しい時間を幾日か過ごしてから、次第に私は、姉と大宮くんが並ぶ姿をみるたび「二人が幸せならそれで良い」と思えるようになった。
そして、その時たしかに私の頭上でレベルアップの音が鳴り響いた。
ロールプレイングケーム「初めての恋」で経験値が上がり、「男性を許す」というスペックを得たのだ。

恋の物語の終わり

姉と大宮くんの交際は、ちょっとしか続かなかった。
私が知る限りあの二人は千葉駅周辺で舞台鑑賞デートを一度して、放課後に下校デートを何度か繰り返しただけで終わった。

この恋には、後日談がある。
姉と別れた大宮くんは、その数週間後、フォルダ1の私に宛てメールを送ってきた。
内容は、このようなものである。

件名:大宮です
本文:好きな人とか、いる?

その一文を読んだ我々双子は、速やかに同盟を結び、彼を窮地に追い込むことで結託した。
放課後に同じ顔の女二人は、大宮くんを校舎裏に呼び出した。
「姉と別れたすぐ後に、妹に告白してくるなんて、どういう神経?」
彼は、そこで初めて自分の犯した失態に気づき、怯えた様子でこう言い放った。
「双子だから! 同じ顔だし! どっちを好きになったら良いか、もう僕は分からなくなったんだよ!」
我々はその瞬間、この恋の物語が終わりを告げたことを確信した。
そして、絶望にも似た心持ちで彼を開放してあげたのである。

人生一度だけの「恋にも満たなかった恋」

30歳になった現在。
姉は、別の人と結婚した。とても幸せそうにしている。
私は、相変わらず恋とか愛をこじらせているが、結構幸せにやっている。
大宮くんは、人づてに聞いたところ10代後半でギャル男になってパラパラを踊り倒した後、現在は某企業で元気に勤めているらしい。
結婚しているかは不明。
アーメン。

私は今も時々、「魔法のiらんど」とか「サスケ」とか、「Vodafone」とか「プリ機」とか「大宮くん」とか、あの頃の記憶の片鱗を記憶から取り出す。
そして、ひとりしきり赤面してから、感謝のキスを心の中で大宮くんに送るようにしている。
あの頃、私に「恋愛入門編」を経験させてくれてありがとうね、と。

大人になり、ヤバイくらい人を本気で好きになる経験をした今は、大宮くんへの思いはガラクタみたいなものだったということを、私はもう知っている。
それでも、「恋にも満たなかった恋」が人生に一度だけでもあるということ。
そういう経験こそが、たしかに私の人生を豊かに彩っている気がしている。

●大木亜希子(おおき・あきこ)さんのプロフィール
フリーライター/タレント。2005年、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」で女優デビュー。10年、SDN48として活動開始。その後、タレント活動と平行しライター業を開始。著書に『アイドル、やめました。 AKB48のセカンドキャリア』、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』など。

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