失恋の思い出だって美化しながら、僕はブレずに生きていく[一条ヒカル]
●不要不急の外出自粛の夜に、誰かに聞いてほしい恋の話#01
初恋は小学校4年生の時だった。
僕は富山県出身。富山でも田舎と呼ばれるぐらいの村の出身だ。小学校の全校生徒は100人にも満たない。各学年ひとクラスだけ。僕の学年がいちばん多くて30人ぐらいだった。そんな素朴を絵に書いたような毎日に突如現れた転校生に僕は一目惚れをした。
小学校の時はモテていた方だと思う。理由は足が速かったからだ。
マラソン大会ではいつも1番。野球クラブにも所属していて、体育の授業では目立っていた。今も昔もスポーツが出来ると小学校ではそれなりにモテる。
時代的にもそうだったのかもしれないが、僕が小学生だったころは、男子は男子、女子は女子。女子と話しをしていると「お前!好きなんだろぉー!?」これが始まると言えば分かってもらえるだろうか。
僕はその子への好意を隠して、いつもツンツンしていた。ましてや「好き」とアプローチするなんて絶対出来ない。
典型的な、好きな子に嫌われるようなちょっかいを出すようなタイプで、いま思い返しても女子や恋愛には免疫力が皆無な男子だった。
その子と席が隣同士で、授業中に漫画「ONE PIECE」の話で盛り上がり先生に怒られ赤面したこともあった。本当は一緒に帰りたかったのに、女子グループと距離をとりながらも、目立つように騒いで下校していた記憶。年賀状がその子から届くと家にいてもドキドキしていた記憶。しかし学校では「女子なんて嫌いだ!」と常に天の邪鬼な態度をとっていた。
その子の前でいつも格好をつけていた記憶しかない。恥ずかしくも勘違いした格好のつけかたで。
そして忘れられないが、その子に嫌われた瞬間であろう記憶。仲良くしているところを弄られ、僕は心にないことを言い彼女を傷つけてしまった。
特別に仲良かった訳でもなかったし、それで距離が出来たわけでもない。しかし、確実にチャンスを失った原因のひとつになっただろう。
それからは自分の気持ちに素直になれずに、時だけが過ぎていった。
僕はあの子へ電話をかけた
片思いを抱えたまま中学校を卒業し、その子が何処の高校に行ったのかも知らず連絡先も知らなかった。
僕が進学したのは工業高校でほぼ男子校。親元を離れたい気持ちから街の学校を選び、お洒落や部活に励み、そこそこ活発な学生を送ることが出来た。
僕も高校デビューした男子のひとりだろう。彼女がいない生徒も多かったが他校にメル友などを紹介してもらい女の子と出会う機会もあった。
しかし、あの転校生への想いがどうしても忘れられなかった。
身長も伸びたし、多少お洒落も覚えた。
高校デビューして少し自信もあったのだと思う。僕は遂に行動に移した。
その時のことははっきりと覚えている。
小学校の卒業アルバムを押し入れから引っ張り出し。爆発しそうな胸を抑え、その子の実家に電話をした。
「もしもし?」
出たのはその子のお母さんだった。
慌てながらも、その子に代わって下さいとお願いをした。その子は高校の寮に入っており、実家には居ないと知った。明らかに電話越しで肩を落とした僕に、その子のお母さんは電話番号を教えてくれた。電話を切った後、僕はベッドの上で飛び跳ねて喜んだ。
すぐに僕はその子に電話をかけた。受話器から聞こえる着信音がまた僕の心臓を破裂させる。
「もしもし?」
彼女は僕を覚えていてくれていた。
急に電話をしたのに、何年も話していなかったのに。小学校の時に隣の席になった、あの時のように何故か会話が弾んだ。凄く自然体で。
内容は覚えていないが幸せな時間だった。
僕の人生で初めての長電話だっただろう。
そして、彼女は何で電話をくれたのか不思議そうだった。
僕はまだ言えずにいた。
ただ、君と連絡を繋ぎたかったと、この思いを少し伝えることは出来た。
それから毎日メールでやり取りをする関係になった。本当に世界が変わって見えた。
付き合っている訳でもなく、彼女と連絡を取れているだけで笑みがこぼれた。
着信音は中島美嘉さんの「FIND THE WAY」。流れると携帯に飛びついて連絡を返していた。
突然、彼女からの連絡が途絶えた
ある日、彼女が実家に帰ってくる日を教えてくれた。デートに誘いたいが知識もお金もなく、僕の村には喫茶店もない。
そこで僕が思いついた作戦は犬の散歩だった。
彼女は犬が好きで飼っていた。僕も小学校の時、彼女の目を引くために家族の反対を押し切って犬を飼っていたのである。名前は「だいきち」。小学生の時、彼女がたまに家の近くを通りかかった時に「だいきち」と触れ合っているのを見るのが好きだった。「だいきち」は暫く前に旅立ってしまったが僕の恋のキューピットであり、感謝は一生忘れない。
お互いの散歩コースを合わせ、会うことになった。その時の記憶は本当にキラキラしている。夕焼けが反射してオレンジ色に染まった田んぼ。その光に囲まれたあぜ道で、春の暖かい風に包まれる。車も通らない道を横並び2人で歩く。少し大人になった彼女がちょっと見上げて話す姿が凄く綺麗で可愛かった。
僕の記憶で特別な映像として残っている。
本当に凄く綺麗で神秘的だった。
しかし、それ以来彼女の連絡は途絶えた。
見ているかわからないメールを送り続けた。
連絡が来ていないことに僕は焦り、彼女に対する思いをフライングして伝えてしまったのだ。すべてが空回りしているように感じた。
恋愛にも失恋にも免疫力がない僕はどうしていいかわからない日々を過ごしていた。
3ヶ月ほど経っただろうか、僕の携帯から「FIND THE WAY」が鳴り響いた。
メールの内容はこうだった。
実は自分は留学が決まっていて日本を離れなければならないこと。そのために今から飛行機に乗って飛び立つこと。
そして。
このまま連絡をとっていると僕のことを好きになり、自分の夢や将来の足枷になりそうだから連絡を絶ったことが書かれていた。
貴人も頑張ってね。
僕は外に飛び出し、空を見上げた。
夏の大きな大きな青空が広がっていた。
僕の初恋はこのように終わりを告げた。
美化されている僕の思い出
何年か後、その子が帰国した時には僕には彼女がいて相手にも彼氏が出来ていた。何年後かに東京で暮らしてからも会う機会があり、再会を果たしたけど、そのときは大切な人ではあるけれども恋愛感情とは別の感情が生まれていた。
思い出はすべて美しく残っている。
記憶を辿りながらここまで書いたのだか、1つ言えることはこの「初恋」の記憶は確実に美化され、僕の脳内で変革されている。
人の思い出はそれでいいと僕は思う。思い出は自己満でいい。
だから僕は失恋の思い出も、仕事での失敗した思い出も、すべての思い出を美化し、都合のいいように解釈をして、美しい思い出として残している。時々思い出して、優しい気持ちになれたり、幸せな気持ちになれたら、時には嫌だった経験も今を生きる糧になる。
そして同時に、その思い出の中に住む人達を僕は後悔させたくないし、その人たちと再会した時に驚かせたり、あの時より良くなったねと認められたい。
思い出の中の人たちと再会した時に僕はどう映るだろう?
自分の人生をブレずに歩むひとつの糧として、素敵な思い出と大切な人たちの思いを勝手に引き連れて僕はこの先も歩んでいく。
「初恋」から「今」をどう生きるか。
すべて繋がっていくんだ。
●一条ヒカル(いちじょう・ひかる)さんのプロフィール
本名・辻貴人。1987年、富山県生まれ。歌舞伎町でホストクラブを5店舗経営。独自の教育方針で多くの1億円万円プレイヤーを誕生させる。「ものまねグランプリ2019」(日本テレビ系)出場。
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