「自分は何者でもない」と言うのにも、資格がいるんだなって話
●本という贅沢51『天才はあきらめた』(山里亮太/朝日新聞出版)
実家の納戸に「私が死んだら絶対に捨ててほしい」と頼んである「悲しみ箱」と名づけたダンボールがある。昔の彼氏からの手紙や、一回目の結婚式の写真やらが入っているダンボールだ。
先日、実家に帰った時、そのパンドラの箱を開けたら、
「人が敷いたレールの上を誰よりも上手く歩きたい」
と書いた日記が出てきた。中学時代のノートだった。ノートの最初と後半と最後に3回書いてあった。
さて。ここで私はみなさんに聞きたいのですが
自分には何かわからないけれど特別な才能があって、いつかその才能が自然に開花して、誰かにそれをピックアップされて、気づけば世に出て、ちやほやされて、(めっちゃ儲かって)、幸せな人生だったなと笑顔で死んで、葬式にきた人たちに「あの人は唯一無二の素晴らしい人だった」って言われる、みたいな、漠然とした「何者か」になりたい感というのは、みんな持っているものなんだろうか、持ってないものなんだろうか。
私は、めっちゃ持っていた。
だけど、残念なことに、自分が生まれつきの天才じゃないことは、中学生でもわかっていた。でも天才じゃないなりに、「何者か」になることはあきらめきれなかったんだと思う。だから書いた。
「私は凡人だ。だから凡人なりに努力して、天才の敷いたレールの上を誰よりも上手く歩けるようになろう」
当時のノートからは、14歳の悲壮な決意を感じた。そう書いてなきゃやってらんないくらい、「何者か」になることに、14歳の私は、恋い焦がれていたんだと思う。
いま、「14歳の私は」なんて、懐かしい感よそおって振り返ってみた風に書いたけど、正直に言うと大人になってからも、というか、かれこれ平成の30年間、ほとんどずっと恋い焦がれていた。
なんなら31歳の時、ある編集者さんに「さとゆみさんも、40歳くらいになって『自分は何者でもない』ってあきらめがついたら、人生楽になるよ」と言われ、「あ、今、この人のこと刺しちゃうかもな」と思ったくらいだ。
さて。そんな私の手元にですね、たいへん手痛い本が届きました。
南海キャンディーズの山里さんの書籍、その名も『天才はあきらめた』。
もうタイトルが傷口に粗塩。
しかも1章のタイトルが、ずばり
「何者か」になりたい
なんですよ。そしてその1章の本文は、こんな文章で始まっている。
自分は何者かになる。そんな、ぼんやりだけど甘い夢のような特別な何かを容易に見つけられて、何者かにたどり着くため必要な労力を呼吸するようにできる人、それが天才なんだと思う。
でも、昔から僕はハッキリわかっていた。「自分はそうじゃない」。
これ、「え、私が書いたんだっけ?」って思うくらい、ぶっ刺さるわけです。
だけど、同じ時期に同じように感じた山里少年とさとゆみ少女、
「何者か」になりたい。でも自分は天才じゃない。
という入り口は同じだったのに、ここからが違う。
山里さんは、天才に見せることにとことんこだわった。天才をあきらめた(と本人が思った)あとにも、天才と張りあうための努力を続けた。
このあたりが、この本には、内臓全部見せくらいの勢いで赤裸々に書かれてるんですが、もうこれがですね凄まじい。水面下のバタ足がでかすぎて水面に津波起こってますけどレベルで、はしたない。とくに自分をバカにした人たちに対する復讐を誓う直筆の文字とか、印刷された書籍でも呪詛のレベルがえげつない。
で、思うわけですよ。
ああ、ここが天才に焦がれた天才と天才に焦がれたつもりの凡人の違いなんだなあって。
「あきらめる」とは、もともと「あきらかにする」という意味なんだよと聞いたことがある。
本当にできるかできないか、実際にとことんやってみて、あからさまに「あきらか」にしないと、「あきらめる」ことさえできないんだって。
「自分は何者でもない」とか「天才はあきらめた」とかいう言葉は、山里さんみたいに、ちゃんとここまでやって「あきらかにした」人しか、言っちゃいけない言葉なんだなあ、って、そんなことを思ったよ。この言葉、言うにも資格がいるんだね。いままで超軽い感じで酒のつまみのように言っててごめんなさい。
そして、これは逆説的ではあるんだけど、
天才を「あきらめる」ほど、「あきらかにする」ことに取り組んだ人は、もう「ほとんど天才」だったりするんだなってことも、この本を読んでるとわかったりします。
思いのほか、真面目な感想になっちゃったけど、それくらい思いのほか、痛かったし面白かったんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
オードリーの若林正恭さんの解説が、これだけで販売してもいいんじゃないかというくらい珠玉だったので、GWは、若林さんの本を読破しようと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・
それではまた来週水曜日に。