○歳のわたしへ08

派遣社員から社長へ「マイノリティーで輝きたい。自信のない私を支えてくれるのはお客さま」

株式会社DECENCIA 代表取締役社長 山下慶子さん(43歳) 「仕事辞めたいな」「結婚どうしよう?」「将来大丈夫?」……30歳を過ぎると、数々の難問に答えを求められます。あといくつ年をとれば、これらを軽々と乗り越えられるようになるのでしょうか? そんな"もやもや"期を乗り越え、前向きに進む先輩たちの「転機」となった年齢と出来事を振り返ってもらう「○歳のわたしへ」。 今回お話を伺うのは、敏感肌向け化粧品ブランド「ディセンシア」の代表取締役社長、山下慶子さん。ディセンシアに入社したきっかけは、3カ月という短期間の派遣登録でした。そもそも環境を変えることが好きで、ひとつの場所にとどまることが苦手なのだといいます。派遣社員から社長へ、13年の月日をディセンシアの成長とともに過ごした理由をうかがいました。

● ○歳のわたしへ08

「日本を飛び出して、アイデンティティーを見つけた」

22歳のわたしへ

大学を卒業した22歳の時に、日本を出ることだけを目的に、北京へ留学しました。振り返ると、私は環境を変えたい性格で、同じ場所に3年といられないのです。なぜ北京を選んだのかというと、両親から「物価を考えるとアメリカやイギリスなら1 年、中国なら2年いてもいい」といわれて、なるべく長期間滞在できる方を選んだのです。

中国の大学の寮で友人と。フルーツが安かったので、屋台でよく買っていた。

当時の中国はまだ発展途上の国。言葉も文化も習慣も何もかもが違うなかで、むしろ好奇心は大いに刺激されました。更に私が当時通っていた学校は世界各国からの留学生が集まる所だったので、お互いに拙い中国語で、オープンマインドに言いたいことを言い合えるのがとても心地よかったことを覚えています。

日本では、言葉は通じるのに本心が見えなかったり、忖度して言いたいことが言えない同調圧力を昔から感じていました。学校にもあまりなじめなったので、こんなに自由に言い合える環境は、私にとてもフィットして、解放された時代だったなと思います。

中国に着いた翌日、大学構内で。300元で買った自転車に乗って(その後1か月で壊れる)

その頃の私は、自分が何者でもないという焦燥感やマイノリティーで輝きたいという欲が誰よりも強くありました。当時、中国はある意味マイノリティーな場所。まだ旧来の社会主義の香りが強く残っており、インターネットも今ほど発達していなかったので、実際に渡航するまで、現地の生活がどうかなんて誰も知らないような状況のなかに飛び込みました。振り返ってみると、今の私のアイデンティティーは、日本から飛び出たからこそ、輪郭が見えてきたという事は確かにあると思います。そして日本を離れたからこそこれまで生きてきた日本の文化や歴史を客観視できましたし、何より自分自身の美意識を磨くことができた2年間でした。

「大人がご機嫌でいれば世の中はうまくまわる」

40歳のわたしへ

私はずっと「これじゃない感」を抱えていて、常に自信がありませんでした。私以外の全ての人が優秀だと感じて、もっと頑張らなきゃいけないと思ってしまいます。コンプレックスと劣等感をいまだに抱えているのです。何が正解かまだ分からないし、できないことのほうが多いアンバランスな人間なので、悩みは数え切れないほどあります。一方で、40歳を超えて達観してきたなとも感じています。

周りの友人や社員にも、年下が増えていくなかで、自分の悩みより、この人たちにどうやったらいい影響を与えられるか、私といると楽しいと思ってもらえるかを考えるようになりました。私がご機嫌でいたほうが世の中はうまく回るだろうと感じ始めています。

パークハイアットホテルで行われた顧客様アヤナス先行体験会での1枚

40歳という年齢は、結婚していようとしていまいと明確な大人。私は結婚していないし、家族も持っていないのですが、こんな私でも大きな影響力があるのです。

大人って、少なくともご機嫌でいること、平和であること、少し賢くいることが大切なんだと思います。賢さというのは、頭の良さではなく、悩んでいる人に「本質的に大事なことって、こっちじゃないのかしら」という道しるべみたいなものを渡してあげられること。そういう言葉や思考を持てるようになる年代が40歳なんじゃないかなと感じています。

昨年は、お客さま100人インタビューで全国をまわって、お客さまのお話を1時間ずつうかがうことができました。相手に心を開いてもらうには、自分がまず開かなきゃいけない。私を信じてシリアスなお話をしてくださる方もいて、本当にありがたかったです。それぞれの方の人生に興味を持って、共感を引き出していって、それに私も共感して、元気をいただくのが最近では本当に楽しいのです。

「自由なスタンスで働ける派遣社員もひとつのスタイル」

telling,世代のあなたへ

私がディセンシアに派遣社員として入社したのは、31歳になる前日。人材派遣会社の担当者から「(誕生日の前日の)1月24日からの就業でお願いします」とメールが来たので、妙によく覚えているんです。ディセンシアに派遣登録する前には就職活動もしていて、何社か内定をもらっていたのですが、何となく違うなと感じて内定を辞退してしまいました。あらためて腰を据えて就職活動をするために、3カ月の短期派遣で働くことにしたのです。ディセンシアに決めたのは、家から一番近いから。派遣社員は交通費が出ないので、これも重要な決め手でした(笑)。
ディセンシアに入ってみたら、事業を立ち上げたばかりで、開発にも携われて、商品を売るためのマーケティングについてディスカッションにも参加することができました。派遣社員なのに、クリエイティブな仕事ができることが新鮮でした。

ディセンシア創業時の青山一丁目のオフィスにて(現在は五反田)

派遣社員は自由なスタンスで働けるのも魅力のひとつ。ちょっと頑張ると「こんなにやってくれてありがとう」と言ってもらえて、社員より働きがいを感じることもありました。
ちょうど派遣期間を終える頃、当時の社長から声を掛けられました。仕事がすごく楽しかったし、社員になることを求めてもらって、就職活動をするよりもここに残ったほうがおもしろい景色が見られるんじゃないかと思い、社員になることを決めました。
ディセンシアは新しい会社だけあって、毎年景色が変わります。2007年に創業して、私が4代目の社長。経営陣も代わり、苦しい時期を何とかしのいで、2014年に黒字化してからは、社員が倍々で増えています。常に新しい商品を生み出していかなきゃいけないし、時代もどんどん変わるので、飽き性の私でも飽きずに、難易度の高い課題を抱えながら走り続けています。今年で入社して13年目。両親からは10年以上続けられているなんて、奇跡だといわれています(笑)。お客さまとつながっていられるのも、私がこの仕事を続ける、ひとつの理由だと思っています。

●山下慶子さんのプロフィール

1976年、愛媛県生まれ。鹿児島女子大学文学部を卒業後、北京清華大学へ留学。<2000年、旅行代理店へ中途入社。2005年以降派遣社員を経て、2007年1月にポーラ・オルビスホールディングスへ入社。同社傘下の株式会社decencia(現DECENCIA)へ出向し、2015年2月に同社CRM統括部、2017年3月から同社取締役。2018年1月に代表取締役社に就任。

telling, 編集長。女性誌編集、WEBディレクター、PR、フリーランス編集・ライターを経て、2020年3月より現職。年間70回以上コンサートに通うクラオタ。国内外のコレクションをチェックするのも好き。美容に命とお金をかけている。
熊本県出身。カメラマン土井武のアシスタントを経て2008年フリーランスに。 カタログ、雑誌、webなど様々な媒体で活動中。二児の母でお酒が大好き。
○歳のわたしへ