全力で走り続けた20~30代。「いつでも自分の気持ちに正直に」
● ○歳のわたしへ06
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「経営に興味を持ち、大学院受験という一歩を踏み出した」
30歳のわたしへ
私は高校時代をアメリカで暮らし、帰国後に日本の大学を卒業してから、外資系証券会社に就職しました。男女雇用機会均等法がスタートしてから数年後のこと。男性と同じ、もしくはそれ以上のことをしないと認めてもらえないという風潮が世の中にはありました。肩ひじ張って働いて、実際に肩パッドが入った戦闘服みたいな服を着て出社していたのも懐かしい思い出です(笑)。金融は「もうけてなんぼ」の世界。それこそ「24時間働けますか」という時代にキャリアをスタートさせたので、ひたすら走るだけ。後ろを振り向いたり、足踏みをして休もうと思う暇もなかったんです。
証券アナリストとして企業経営者と仕事をするなかで、会社経営に興味を持ちました。会社は実際に経営して初めて分かることが多いことに気づき、事業を運営する側を経験してみたいという思いを強くしていきました。
27歳で結婚。次は子どもだよね、でもアメリカの大学院にも行きたい……。やりたいことがありすぎて、グルグル考えていたのを思い出します。結局、国内でMBAを取得できる大学院を受験して、合格できたのが30歳。大学院には社会人を経験した30歳前後の人が多くて、自分の見ていた世界の狭さを改めて知りました。
経営を学んだことでマーケティングに興味を持ち、その後、さまざまな企業で働くことになるとはこの頃は思っていなかったでしょう。ただ、大学院への入学が大きな「一歩」だったことは間違いありません。
「やりたかったポジションを得て、毎日ダッシュし続けた」
37歳のわたしへ
実際にマーケティングを仕事にしたいと思っても、私はすでに30代。当時の転職は今ほどオープンではなかったので、まずは外資系化粧品会社に入社しました。当然、管理本部に配属されて、予算を管理する仕事から始まったのですが、どうしても事業部に行きたいと言い続けました。半年後にようやく「化粧品事業部にいってみるか」という打診があり異動。
事業部はそのなかにいくつかブランドがあり、まるで小さな会社。決められた予算をどこに集中させるか、投資するかを決めて、運よくヒットを出したら、ますます経営が面白くなっていきました。
その後、複数の会社を経てユニクロを運営するファーストリテイリングに入社したのが37歳の頃。未経験にもかかわらず、マーケティングをやらせてもらえるなんて、おもしろい会社ですよね。POPなどの店頭まわりから、CM作りまでいろいろな仕事をやらせてもらいました。結果を出すことのプライオリティが高い会社だったので、私の気質にもぴったり(笑)。朝7時に定時出社して16時まで、効率的に100mダッシュを一日中走っているような働き方をしていました。
とはいえ、そろそろ40歳。ようやくワークライフバランスの大切さに気づいて、働き方を改めるべく、フライング タイガー コペンハーゲンに入社することになったのです。これもある意味、3つ目のターニングポイントといえますよね。
「2年間は勉強漬けの毎日。この経験が大きな糧に」
telling,世代のあなたへ
31歳はまさに大学院に通っていた頃。仕事からは離れていましたが、月曜日から金曜日まで学校に行って、朝から晩まで勉強ばかりしていました。課題が山のように出るので、家で夜中まで読み込み、ディスカッションの準備をして、3、4時間寝て、翌日また学校に……という毎日でした。
大学院の2年間の3カ月だけ、イギリスの提携校に留学しました。イギリスの大学院には、ヨーロッパ中の国の人が勉強に来ていて、びっくりするぐらいみんなの考え方が全く違うのです。全くまとまらない意見を一つにまとめる重要性を学べたのは、社長になった今も役立っています。
今になって思うのは、実際に自分のアイディアを元に起業してみたかったです。これは今からでもできることなのかな(笑)。
●松山恭子さんのプロフィール
1965年東京生まれ。高校までニュージーランド、アメリカで過ごす。ゴールドマンサックス証券会社株式調査部証券アナリストとして勤めた後、慶応大学大学院経営管理学科修士を取得。その後、日本ロレアル株式会社、ファーストリテイリング株式会社、株式会社リヴァンプ、株式会社ジーユーを経て、Zebra Japan株式会社に入社。2019年7月に同社代表取締役社長に就任した。
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