“環境”が私の原点「好きなことには妥協をしたくない」
● ○歳のわたしへ05
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「仕事選びに妥協しなかったことが次につながった」
25歳のわたしへ
私が環境問題に関心を持ったのは高校生の時。当時はまだ、環境という分野が学問として形作られていなかった頃で、「環境=植物や農業」というイメージから農学部に進学しました。その後、もっと深く環境学を学ぶため、オーストラリアの大学院へ。最新の環境学を学び、仕事を探すために25歳で帰国しました。
2000年代前半当時、環境を仕事にしようと思うと、選択肢はNGOや国連、国、自治体などに限られており、キャリアをどうスタートさせたらよいか分かりませんでした。そんなとき、友達から企業の環境報告書の作成を支援するベンチャーを教えてもらい、求人募集をしていなかったので、想いを込めた手紙を添えて履歴書を送りました。まずはアルバイトのような契約で仕事を始めたのですが、小さな会社だからこそ即戦力になれたんです。いきなりレポートを書かせてもらったり、お客様のところに1人で行ったり、たくさんのことを吸収しました。環境を仕事にすることをあきらめず、この会社を選んだことが、のちのキャリアを形づくることになりました。
ただ、企業の外側からの支援では、継続的にその企業の変化を見られません。もっと企業の内側に入って、長い目で環境保全や環境負荷低減に取り組んでいける場に自分の身を置きたいと思うようになりました。
「人の意見で方向性を変えることもありだと知った」
33歳のわたしへ
ブリヂストンに入社したのは、29歳の時。ブリヂストンに入社するきっかけになったのが、25歳の時に入った会社でした。以前、ブリヂストンがその会社に環境報告書の作成を依頼した際、断られたという経緯があり、私を採用すれば報告書が作れると考えたらしいのです。入社した翌年に結婚もしたので、好きな仕事と生活を両立できる会社に入社できたのは本当に幸運でした。
そして、ブリヂストン入社から4年経った33歳の時に、上司から上級職に就くための昇進試験を受けることを勧められました。本来であれば、もう少し早い時期に受けるのですが、31歳の時に妊娠、出産したため、復職をしたタイミングで打診があったのです。当時は、まだ子どもが1歳で、復職して半年ほどの時期。毎日、仕事と育児に必死で、時間に制約がある中で働くことに罪悪感がいっぱいでした。
そんな時期だったこともあり「試験は受けません」と断ったら、上司が驚いてしまって。当時、ある女性の執行役員が、私を心配して面談の機会を作ってくれました。試験のことを言われるんだろうと思っていたら、仕事のこと、子どものことなど、いろいろ掘り下げて聞いてくれた上で、「試験を受けてほしい」と。そんな風に思ってくれる人がいるんだ、と自分の考えを変えました。
昇進試験はめでたく合格。その女性役員がそう言ってくれなかったら、社内の腫物みたいな存在になって、そのうちいづらくなり、今頃会社を辞めていたかもしれません。
「育休中にリフレッシュ。意識的にインプットを忘れずに」
telling,世代のあなたへ
31歳は、妊娠・出産を経験した年。子どもが生まれて実感したのは、思った以上に自分の時間が自由に使えないということです。家にいるだけでは気が滅入ってしまいそうだったので、0歳児を連れて海外や国内を旅行しました。すっかりリフレッシュして、そろそろ仕事をしたいと思うようになりました。
あれから、社会がどんどん変化する中で、私自身のキャリアも環境からCSR、サステナビリティへと広がってきました。見えてきた課題やこれから進んでいくべき道について、新たに勉強したいと思っています。やはり、社会人になってもインプットする機会を意識的につくらないといけないですね。
●佐々木恭子さんのプロフィール
愛知県出身。オーストラリアの大学院で環境学を学び、帰国。企業の環境報告書作成や環境コンサルティング企業で働いたのち、2007年に株式会社ブリヂストンに入社。環境の部署に配属後、現在はCSRやサステナビリティに関する社内外コミュニケーション、ESG情報開示などを担当している。