日本一の不良を目指した10代「仕事の楽しさを知ったのは起業をしてから」
● ○歳のわたしへ02
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「起業したことで、自分自身を認められた」
28歳のわたしへ
10代、20代は毎日生きるだけですごく大変だった頃。昔から学校も仕事も毎日時間通りに通うことができない性格で、中学の頃は「日本一の不良」を目指す札付きのワル。高校は1カ月でフェードアウトしてしまいました。できることなら20歳で死にたいと思っていたのに、結局生き延びてしまい、生活のため、焼き芋屋さんをしたこともあります。それから、いろいろな人と出会い、仕事や住まいを転々とするなかで、海外のスニーカーを販売する仕事で起業をしました。
当時、起業はギャンブルみたいなものと言われていた時代。周りからは、そんな簡単なものじゃない、続くはずがないと散々言われました。でも、自分で会社を経営してみたら、思った以上に仕事を頑張れる自分がいたんです。
それに気づいたのは、28歳の大晦日。年越しが近づきつつある時間まで、夢中になってお客様にスニーカーを発送する手続きをしていました。友達から電話がかかってきて始めて、パーティーのことを思い出したぐらい。今までなら、いかに仕事をサボろうかとばかり考えていたのに、自分でも驚いたのを覚えています。何をしても続かなくて、ダメな人間だと思っていたので、私はこれでいいんだと認められた気がして、楽になりました。
「仕事を始めるきっかけはワクワクするかどうか」
35歳のわたしへ
その後、スニーカー販売が軌道に乗り、原宿でカフェも始めることに。当時はカフェブームの真っ只中。取材はたくさん来てくれるのですが、さほど儲からず、ケータリングを始めることを思いつきます。早速、アメリカにケータリング資材の仕入れに行ったのですが、そこで出会ったのが洗濯代行サービスでした。普段の洗濯物を洗ってたたむサービスなのですが、当時の日本にはまだなくて、あまりの便利さに衝撃を受けました。すぐに日本でお店を開こうと決めて、アメリカ滞在中に洗濯乾燥機を貸してくれる業者を探し始めました。これが35歳の頃。まだ日本では知られていない、ワクワクするものに出会ってしまい、無我夢中でした。
起業するには事業計画書が大切だという人もいるけれど、私は計画書を作ったことがありません。事業を始める基準は、自分でできるかどうか、向いているかどうか。まずはワクワクする気持ちが大切だと思うのです。
店舗もなるべくお金をかけないで作ればいいのですが、働いている人が楽しかったり、カッコいいと思うコインランドリーを作りたくて、かなりこだわりました。お金のことは後回しにして、夢と希望と妙な自信だけで始めしまうんです(笑)。
「悩んだら相談すればいいというわけではない」
telling, 世代のあなたへ
31歳の頃は、スニーカー販売とカフェを同時にやっていて、カフェだけに切り替えるか悩んでいました。とはいえ、私は悩んでいても誰にも相談しないタイプ。悩んだら、ひたすら家にこもります。誰とも口をきかず、2日間じっとしていると、不思議とエネルギーがたまってくるんです。
最近、自分探しをしている人たちが多くいるけれど、私はそれには懐疑的。もともとフリーターみたいなことしかしていないから、キャリアも学歴もないし、優秀なブレーンがいるわけでもないし、実家が豊かでもなし、美人でもない。自分と向き合ったらできることが狭まってしまうと思うのです。
この年にもなると経営者の先輩からは、「瞑想しろ」と言われます。自分と向き合うことが大切だと。今まで1回も経験したことがないので、そろそろ始めてみようかなと思い始めています(笑)。
●山崎美香さんプロフィール
東京都足立区生まれ。中学時代からかなりの「やんちゃ」で、全寮制の高校を中退。その後は、アルバイトを転々とする。焼き芋や果物販売などを経て、スニーカーを通信販売する会社を起業。カフェのケータリング事業のために訪れたアメリカで、洗濯代行サービスと出会い、2005年に洗濯代行サービスのパイオニア的存在となるWASH&FOLDを創業。25店舗を日本全国に展開している(2019年7月現在)。
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