遅咲き上等!

ブックオフ・橋本元社長「41歳で始めたバイトから社長に。遅すぎなんてない」

41歳まで専業主婦として人生を送り、ブックオフ1号店の立ち上げ時にアルバイトスタッフとして働き始めた橋本真由美さん(71)。社員から取締役となり、2006年にはついに社長にまで昇り詰めました。「目の前にあることをただひたすら一生懸命やっただけよ」と笑う橋本さんの何が、異例の出世の原動力になったのか。昨年10月に取締役を退任した橋本さんに、じっくりお話を聞きました。

●遅咲き上等!

きっかけは「家計の足しに」と始めたアルバイト

――ブックオフの仕事を始めたのは、40代からだったんですね。

橋本: 41歳のときです。結婚してから18年間、ずっと専業主婦でした。仕事をするなら経験のある栄養士になろうと思っていたんですが、募集がなくて、たまたま1号店の創業スタッフを募集していたブックオフのアルバイトに応募したんです。

――なぜアルバイトをしようと思ったんですか?

橋本: 子ども2人が中学生、高校生と大きくなって手が離れたことと、塾代などお金がかることから、家計の足しにアルバイトを始めようと思ったんです。主人はお金に無頓着で、少しでも働かないとお金が回らなかった。そうは言ってもアルバイトより家庭優先だから、最初は「子どもの塾への送迎があるから夕方4時までしか働けません。土日は主人が家にいるからお休みします」と伝えていました。

夕方4時終わりのはずが夢中になり朝4時まで仕事

――働きに出ることに対して、ご家族はどんな反応でしたか?

橋本: 主人には「家のことはちゃんとします。誰にも迷惑をかけません。だから働かせてください」と言いました。「それならいいだろう」という感じで、とくに反対はされなかったですね。ただ、仕事を始めて2週間後には私が夢中になっちゃいましてね! 

働き始めたのはお店のオープン直前で、とにかく商品をたくさん揃えないといけなくて必死でした。とてもじゃないけど開店準備が追いついておらず、夕方4時には帰る約束だったのにどんどん遅くなってしまって。ついには朝の4時に帰ったこともありました。でも、自分が手を加えることでヨレヨレだった本がきれいになり、棚に入っていくのを見ているのが楽しくて。

それに、今までは「○○ちゃんのママ」「○○さんの奥さん」と呼ばれていたのに、仕事では「橋本さん」と呼ばれます。自分自身を認められた気がしたんです。銀行の通帳だって主人名義のものしかなかったのに、18年ぶりに自分のものをつくったことがすごく新鮮でした。

――そんなに遅くなったら、ご家族は怒ったのでは?

橋本: 仕事のことでは主人とはしょっちゅうケンカをしました。ある日、主人が出張に行くのに「ワイシャツを3枚用意しておいてくれ」と言われたのに、忘れていて。「家のことは手を抜かないと言ったじゃないか!」と怒られましたね。「俺とブックオフ、どっちが大事なんだ!」と言われたから「ブックオフよ!」と答えたこともあります(笑)。

アルバイトスタッフが社長にまで昇格した理由

――アルバイトで始まった仕事ですが、1年目で社員になられたそうですね。

橋本: アルバイトだと時間になったら帰らないといけませんが、仕事は目の前に山積み。この問題を解決するためには社員になればいいんだと思って、自分から「社員にしてください」と言ったんです。社員さんたちは「このおばさん、何を言っているんだ」って顔で見てたましたね(笑)。

――社員になるのも大変だったと思いますが、入社から4年後の1994年には取締役となり、2006年にはついに社長に。アルバイト出身者が社長になるのは異例のことで、当時も注目されましたよね。なぜ、そんなことが可能だったんですか。

橋本: とにかく目の前にあることを一生懸命やっていたからでしょうね。アルバイトの時も「今日は金曜日だから、今日中に本を棚に並べたら土日の売上が上がる!」と思ったら、目的を達成しようと全力で働きました。一緒に働いていた大学生のアルバイトたちは「そんなに頑張らなくても、お金はもらえるんだし」という感じの働き方だったんです。

社員になってからも、人手が足りないから一人で何役も掛け持ちして、問題があったら現場に飛んでいく。お店がうまく回るように、人手が足りない店舗に社員を柔軟に配置するシステムを作る。目の前にある問題に対して、必死で取り組みました。その結果が、社長というポジションだったんです。

――仕事を続けるうえでモチベーションが下がることはなかったんですか?

橋本: ずっと目の前にあることを夢中で追いかけ続けてきたので、モチベーションが下がるということはなかったですね。といっても、もちろんいいことばかりじゃないですよ。私、「泣き」というあだ名をつけられたくらい、よく泣いていたんです(笑)。

店舗の鍵が開かない、数字が上がらない、お店がうまく回らない。何かあるたびに毎回泣いていまた。でも、社員になり、部下を持つようになると「泣いていてもしょうがない。とくにビジネスで泣いて女を出すことは一番やってはいけないことだ」と気づいて、それからは外では泣かなくなりました。

自分の強みを見つけるために目の前のことに全力投球

――ミレニアル世代のtelling,の読者がこれから「遅咲き」を果たすためには、どんなことをしたら良いでしょうか? 

橋本: 大事なのは「私にしかできないこと」を探すことです。私の場合それは、現場に立ち、お店を稼がせるようにすることでした。財務も経理もできないけれど、売り上げの落ちている店を繁盛店にすることは誰にも負けない。これが私の強みです。

自分の得意なことを見つけたかったら、とにかく目の前のことを一生懸命やってみることです。もし、それが今やりたい仕事と違っていても、何かが見つかるはずです。

私なんて、41歳から始めたから遅咲きどころか遅すぎるくらいでしたが、それでも30年間続けてきたことが今につながっているのだと思います。遅すぎることなんてない。やりたいことがあったら、挑戦し続けてください。

明治大学サービス創新研究所客員研究員。ミリオネアとの偶然の出会いをキッカケに、お金と時間、行動について真剣に考え直すことに。オンライン学習講座Schooにて『文章アレルギーのあなたに贈るライティングテクニック』講座を開講中。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。
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