第2話:私、セクハラ被害者になりました。〈その2〉
メーカー営業の私は出張先でお得意様である社長A氏への接待を行っていた。そこで私に求められていたのは《若さ》と《女性である》ということの2つだけ。モヤモヤしながらもセクハラを笑いに変えながらかわし続け、「すごーい」と過度なリアクションで持ち上げる。ところがホテルへの誘いを断り続けていると、それまでの和やかな空気が一変した。
自然と出た涙。セクハラをかわす作業は確実に私をすり減らしていた
「ずっと言おうと思っていたけど、お前、宴席での振舞いが下手すぎないか?」
「……申し訳ありません」
「誰も教える人がいないんだな今の会社には」
「すみません、申し訳ありません、すみません」
私は机に頭をこすりつけて謝った。そんなに間違ったことをしただろうかというモヤモヤはあったが、その時の私には《快活な営業マンとしてうまく立ち回る》パワーがもう残っていなくて、ひたすら謝ることしかできなかった。そして自然と涙が溢れ出てきたのだった。
泣いている私を見てA氏は「そんな悪いこと言ったか?」と突然焦りだした。宴席のマナーを叱られて泣いたのではなく、いろんなことが重なった結果だと説明のしようもなかった。ただの「怒られて泣いたゆとり」と思われているだろうなと考えていた。
「カラオケでスッキリするか?」
「ごめんなさい、今日はもうこれで……」
私はここにきて初めて、A氏に拒否の態度をとった。「帰りたいです」とまでは言えなかったけれど、精いっぱい振り絞ったセリフだった。泣いちゃったし、どうせこの接待は失敗だからとヤケになれたからこそ言えたのだと思う。
「困ったな、とりあえず、ホテル行くか」
「いや……」
「送るから、な?」
「すみません、お会計してきますね!」
接待の成功という課題から解放された途端、A氏への恐怖だけが残る。会計を済ませ、ついでにお手洗いに行く。万が一のことを思って携帯のボイスレコーダーをONにした。
店を出るとA氏は手を握って「ホテル行こう。そういうんじゃないから」と言ってきた。《そういうんじゃない》という言葉のせいで、私はまた「やめてください」と突き放せなかった。「はい……わかりました」。
地方の夜道は街灯も少なく、人もおらず、ひどく恐怖を覚えた。はやくホテルに逃げ込みたい一心だった。
逃げ出したくなるほど嫌なのに、「わかりました」と言った
「初めて会った時から、お前とはこうなる予感がしていたんだよ」
「そうなんですか」
「それはお前の魅力だよ」
「……営業としてのですか?」
「バカか!営業としてじゃなくて、女性として」
「ハハハ……酔ってるんですか?」
「酔ってない!酔ってこんなことしない」
初対面で、「なかなか面白い。骨がありそうだ」と褒めてくれた時からずっと、性的な対象としか見られていなかったことがハッキリ伝えられ、また悲しくなった。一体どうしたら営業として見てもらえたのだろうと考える。
行きとは違うルートでホテルに戻っているらしく、どこを歩いているのかわからないまま、トボトボ進む。一瞬、車2台分くらいのスペースしかない暗い駐車場の近くを通った。そのとき、A氏は「ごめんな」と言いながら私の顔と腕をつかみ、キスを迫ってきた。
「いやいやいや」
「ダメ?」
「いや、ここは人が通るので、やめましょう」
「人なんていた?」
納得のいかない様子のA氏をなだめて、足を速めた。手は繋がれたままだったのだが、私が引っ張って歩くような形になって、「これじゃまるで俺が連れ込まれてるみたいだな」と嬉しそうにしていたのを覚えている。
今度はA氏が私の腰を触ろうと狙っているのがわかった。私は「なんか寒くなってきたのでコートの前閉めていいですか」と言って防御する。
「いいからいいから」
A氏は再び私の顔を押さえつけ、再度キスを迫ってきた。「いやいやいや」必死に顔を避け、体を逸らす。「やめろ!」と蹴ってやれば勝てたかもしれないが、ここまで来てもまだ《うまく立ち回ってなんとか機嫌を損ねない》方法を探していた。
逃げ出して安心すると、今度は事の重大さに怯える
「ここじゃなんですから、とりあえずホテルに戻りましょうよ」。
ようやくたどり着いた宿泊先のホテルのフロントで私はA氏に「そういえばお酒を買ってなかったですね」と言った。ホテルの目の前はコンビニだったので、「そうか、じゃあ買ってくる」とA氏がいったんホテルを出た。後姿を見送って、私は女子トイレの個室に駆け込み、鍵を閉めた。上司に電話をかけ、「A氏に襲われて、いま逃げている」と伝えた。
個室に逃げ込めた安心感からか私は堰を切ったように泣き出し、その鬼気迫った様子に上司も事の重大さを察知したようだった。上司からの連絡を受けたホテルのフロントマンがトイレの個室まで来てくれ、錯乱状態の私を保護し、通用口から客室に運んでくれた。A氏からはずっと電話が鳴りやまなかったが、数十分して何かを察したのかその日はもうかかってこなくなった。
客室の鍵を閉め、部屋に一人になったところで改めて「これからどうしよう」という考えでいっぱいになった。得意先を怒らせたから、会社に損失をもたらすかもしれない。しかし非は相手にあるのだから、なんとか方法あるはずだ。
「ボイスレコーダーに録っていた音声が決定的な証拠になるかもしれない」。恐る恐る再生して聞いてみると、A氏が「ホテルに行こう」と誘っている音声はしっかり録れていて安心した。しかし一方で「うーん、そうですね」「わかりました」「ここではやめましょう」という私の言葉の数々、どれをとっても明確な拒否のセリフがない。
私はずっと「ヤレそうな態度」をとり続けていたのかもしれない。きちんと拒否していないことを責められたら何も言えない……。