秋は新米! 食通の辰巳琢郎さんが選ぶ、今、旬の食べ物たち
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新米の季節に思う 長月
自炊をするようになって間もない頃、週末、男性に食事を作ることになりました。まだそこまで料理に慣れていなかった私。さぁ困った! 何を作ったら良いか分からない!好き嫌いはないって言っているけども……。おかずを5品ほど考えましたが何かがしっくりこず、慌てて料理上手の友達に相談。
「醤油系が重なっているから他の味も入れた方がいい」「味噌汁の種類や具も聞いた方がいい」などなどアドバイスをもらう。そして一番印象に残っているのは「ご飯」でした。炊き方は水分多めか固めが好きか、同じ米でも水加減によって炊き加減が変わってきます。
急いで相手に炊き具合の好みを聞きましたが答えは「普通で」と言われ、そのあなたの普通が知りたいのよ!と、思いながら炊いた記憶があります。
ご飯は毎日当たり前のように食卓に並べられる。もう何十年も食べ続けているというのに「米、飽きたなぁ」って思うことはない。
真っ白いご飯のままでもいいし、漬物を揃えてもいい。そして新米ならなお美味しい!炊きたてのほくほくのご飯なら、そのまま米の甘みもより楽しめる。
その週末、料理はアドバイスのおかげもありどうにか完成。「ご飯」は新米! これに随分助けられたのかも?
辰巳琢郎さんはこう語ります
人生最後に食べたいものは「お茶漬け」
――普段はその有り難みを意識しないけれど、無ければ生きていけないものを、三つ挙げてください。
先ずは「空気」ですね。そこからの連想と、若干のヨイショも込めて「カミさん」が続き、そして『ごはん』ということになりますか。
――世界中で美味しいものを食べ歩かれているようですが、今までで一番美味しかったものは何ですか?
炊きたての『ごはん』です。
――人生の最後に食べたいものは?
真っ白い『ごはん』に香り高い焙じ茶をかけた、シンプルな「お茶漬け」しかないでしょう。
〈これには、補足が必要です。それほど珍しいことでは無いと思いますが、我々兄弟は昭和一桁生まれの両親の躾で、お茶碗に一粒たりとも御飯粒を残すことを許されませんでした。「お百姓さんに申し訳ない」からです。しかしながら、箸を使い始めたばかりの子供に、そんなことは至難の業。そこで父が薦めたのが、お茶をかけて啜ることだったのです。三つ子の魂百まで、今でもこの習慣は抜けず、「お茶漬け」を食べないと食事が終わった気がしません。今はさすがに減りましたが、フランス料理のフルコースを食べても何かもの足りず、白い『ごはん』と鮭ハラスで締める、なんて日常でした。もちろん最後は「お茶漬け」です。〉
また、日々当たり前のように食べている米も語源があるようです。
稲の語源は命の根
〈八十八歳のことを米寿と呼びます。「米」の字を分解すると八十八になるからです。
「米を作るには八十八の手間がかかる」とも言われていますが、これは後付けでしょう。いずれにしても、二千年以上に亘り「米」を作り続けてきたことによって、日本人の勤勉さや粘り強さ、自然を敬う心などが培われたという説を、ややこじつけくさくはあれど、僕は支持します。だからこそ「米」をもっと大切にしなければ。「稲」の語源は「命の根」で、「米」は神秘的なものが、生命力が籠められた作物だから「コメ」なのだそうですから。
となると、冒頭で『ごはん』と「カミさん」を並べて敬ったのは、強ち間違ってはいませんでしたね。〉