TBS古谷有美「女子アナの立ち位置」

【古谷有美】嫌われない、を意識してしまう。女子アナには女子力よりも…。

TBSの朝の顔、古谷有美アナ。またの名を「みんみん画伯」。インスタグラムに投稿される、繊細でスタイリッシュなイラストが人気です。テレビとはひと味違う、本音トークが聞けるかも。

●女子アナの立ち位置。

「嫌われたら、どうしよう」と戦っている。女子アナに必要なのは“女子力”よりも…

 ネイルサロンで爪のケア、トリートメントも欠かさずツヤツヤ髪をキープ。食事会では率先して、サラダを取り分ける……。

 こんな女性が目の前にいたら、「女子力高い!」って思わず、口に出ちゃいそう。万人受けを求められる女子アナはそんな“女子力”を満タンにしていると思われがちな職業なのかもしれません。ちなみに、冒頭の「女子力高そうなふるまい」の数々……すべて私ができていないことです。

エゴサーチをしなくても

 自分自身がそうしてきたことなのですが、、女子アナとして「どうやって好かれよう」ということより、「どうやったら嫌われないのか」という努力をしてきたな、と日々感じます。

 「こんな発言は嫌われるんじゃないか」「こういうメイクは親世代からいやがれるんじゃないか」って。一方で「個性を出せ」とも言われるので、「嫌われない」と「自分のキャラ」の間で悩んでいる人も多いんじゃないかな。

 よく驚かれますが、毎日電車に乗ります。テレビ局といえどサラリーマンなので。ただ、完全なプライベートというものはありませんし、「どう見られているか」を意識した判断が働いてしまう。自分が知らないところで、嫌われているのだろうなと常に思っている……と言うと何様かと思われそうですが、エゴサーチをしなくても、まわりの人たちが教えてくれます。「遅咲きのアナウンサーってネットに書かれてたぞ!」なんて(笑) 。占いでもなんでも良い部分を信じるタイプなので、遅咲きという表現に対して、失礼しちゃう! とは一切思わなくて、むしろ、へぇ、咲いたのかぁ、でもまだまだこれからなんだけどなぁ(笑)、と楽しんで聞いています。

「女子力高〜い」光線が突き刺さる

 「女子力高い!」という褒め言葉。口にした人は冗談半分かもしれないけれど、20代の頃は割と苦痛でした。

 それゆえに、たとえばこんな振る舞いをついしてしまうようにもーー。

 大人数で食事する際、視線を周りに向けると、グラスが空っぽの人がいる。「何か頼みます?」って聞きたい……けど、ここはひとまず見ないふり。なぜって?「女子力高いアピールする“女子アナ”」って思われたくない。

 空のグラスを見た瞬時に私の頭の中で渦巻く感情です。

 「女子力高いねー」という言葉の裏には「ちょっと、こびてない?」「目立ちたがりじゃない?」というキモチが隠されているように感じるのは私だけでしょうか。

「実家のお母さんみたい」

 アナウンサーは、みんなで机を囲んで仕事をするということがほぼありません。それぞれの仕事の現場にいるので、いざ、話したいね、ランチしたいねとなるとメールやLINEで連絡を取ることから始まります。

 エレベーターの前でばったり会う時にかける言葉は「お久しぶりー」。そういえば、3月になって、「あけましておめでとう」とあいさつした同僚もいたなぁ。

 一人暮らしの後輩に会うと「大丈夫?ご飯ちゃんと食べてる?」なんて自然と聞いちゃう。会うとなると手土産を渡しちゃう。こういう何でもない声かけや気遣いが、20代のころは「やりすぎかな?」「女子力高いって思われないかな」と気にしていたけど、今は「実家のお母さんみたい」って突っ込まれて笑ってもらえる。「女子力」って本当はおばちゃん力とか、母ちゃん力なんだと思います。こっちの方がしっくりくるし、自分でも「またやっちゃったな」って、ニヤッとしちゃいます。

 誰が最初に言い始めたのか、そしていつからモテるための力という意味に近づいていったのか、おそるべし「女子力」。ネイルやトリートメントはモテたいというより自分のためだし、人を喜ばせたい、楽しませたいっていうのは単なるおせっかいにしか過ぎないのに、全部一緒くたに「女子力」でまとめられてしまうのはもったいない。女子力は褒め言葉にあらず。身の回りの若くて可愛い女子の「女子力」を見かけたら、めくじら立てずに、「おばちゃん力すげーな」と思ってみてください。とはいえ、これからも私は「嫌われない努力」と「女子力」の間を行ったり来たりしながら生きていくんだろうなぁ。

構成:山口亜祐子 写真:戸澤裕司

1988年3月23日生まれ。北海道出身。上智大学卒業後、2011年にTBSテレビ入社。報道や情報など多岐にわたる番組に出演中。特技は絵を描くことと、子どもと仲良くなること。両親の遺伝子からかビールとファッションをこよなく愛す。みんみん画伯として、イラストレーターとしての活動も行う。
九州のローカル局で記者・ディレクターとして、 政治家、アーティスト、落語家などの対談番組を約180本制作。その後、週刊誌「AERA」の記者を経て現在は東京・渋谷のスタートアップで働きながらフリーランスでも活動中。
1986年週刊朝日グラビア専属カメラマン。1989年フリーランスに。2000年から7年間、作家五木寛之氏の旅に同行した。2017年「歩きながら撮りながら写真のこと語ろう会」WS主催。