太田彩子の「キャリアを上って、山に登る」

「精神力では突破できないこともある」と、山で学んだ

「こんなに頑張って働いて、何の意味があるんだろう」。ふと頭をよぎるこんな疑問。尽きることのない悩みや不安のその先には、何があるのでしょうか。

 今年42歳になる先輩女性、太田彩子さんは、まさに“バリキャリ”な女性でした。リクルートのトップセールスとして活躍後、株式会社ベレフェクトを起業し、日本最大級の営業女性コミュニティ「営業部女子課」を主宰。ほかにも社外取締役など多岐に渡る活動をしています。プライベートでは21歳で出産、のちに離婚を経験しひとり親に。ここ数年は海外遠征をするほど本格的に登山に取り組み、昨年には心理学を研究するために筑波大学大学院に入学しました。

 そんな彼女に、これまでを振り返ってもらう本連載、太田彩子さんの「キャリアを上って、山に登る」。第2回は、趣味の登山にのめり込んだ理由や、山から学んだことについてうかがいます。

頬が凍傷になってもまた登る。その理由は「分からない」

 山は自由に一人で行けるんですよ。仕事では私は30歳で独立しましたが、おそらく組織で拘束されて動くよりも、自由が向いているんです(笑)。そんな性格に合っていたんだと思います。それに、山に登る前に地図で調べて、行程や装備、体力・技術に合わせて計画を立てることも楽しい。

 あと、山に行くと内省するんです。登りはハードだからあまり考えないけど、下りはすごく内省します。そこから新しい発想が生まれたことはたくさんあるし、開放的になって悩みもやわらぐ。都会にいるよりも森林に身を置くと20%ぐらいリラックス効果があると何かの本で読んだことがあって、それはもう間違いないと思いますね。

 もちろん登っている間はつらいこともあって、どうしてこんなところに来ちゃったんだろうと思うこともあります。マイナス20度の雪山で強風にさらされ頬が凍傷になってしまったこともあるんですよ。当時は頬に大きな紫色のアザができてしまって。本当にショックでした……。

 そんなことがあっても、懲りずにまた登る。その理由はもう、答えられないんですよ。純粋に好きなんでしょうね。山好きな人はみんな言うんですけど、ある地点で没頭状態になる「フロー状態」に陥るというか、素直に楽しいんです。人生の中で、これは絶対に奪えないものですね。

登山も仕事も「与えられた環境の中でベストを尽くす」ことは同じ

 山から学ぶことはたくさんあります。一番の学びは、指導してもらっている登山家の花谷泰広さんに教わった、「山は与えられた環境の中でベストを尽くすもの」ということ。最初はよく分からなかったんですけど、今はすごく納得できます。

 わざわざ海外に遠征しても、登れないことも多々あります。まずは天候。晴れたと思ったら悪天候に急変することもあって、どうにも太刀打ちができません。そして高山病。特に海外の高い山で空気が1/3なんかになると、身体も精神も不調になるんですよ。日本の低い山では体験しないような頭痛や吐き気の症状が出て、本来の体力なんてまるで発揮できない。

 ほかにも、不可抗力はたくさんあります。さまざまな要素がジグソーパズルみたいにピタッとはまって、初めて登頂できる。これって、仕事も同じだと思うんです。

 若い頃は、「できないのは気合が足りないからだ!」って、精神論に傾きがち。でも一緒に働く人も会社も、選べるわけじゃないんですよね。与えられた環境の中で、どう順応していって、ベストを尽くすのか。仕事も登山も、まったく同じだと思います。

精神力で勝負すると、山では死ぬと教わった

 もちろんメンタルは大事だけど、精神力でどうにかならないこともある。特に生きるか死ぬかの世界である過酷な山では、精神論で突破しようとすると命を落とすことに繋がると徹底的に教わりました。

 与えられた環境や条件のもと、適切な判断をして、時には山頂を目前にして下山することもあります。「撤退」という言葉がありますが、それは「登らない決断」であることも教わりました。

 与えられた中でベストを尽くすことも、登らない決断をすることも、言われてみれば当然のような気がするじゃないですか。でも実際にヒマラヤ遠征や南米のアコンカグア遠征で、お風呂なしのテント生活で髪の毛も洗えない、マイナス20度の過酷な非日常を1カ月間過ごしてみて、登山家の大先輩たちが言う言葉の意味を肌で感じたんです。

人間関係のもつれも「違う人なんだから当たり前」と思えるように

 非日常に自分を置くことによって、都会では自分の身にならなかったことがストンと落ちて、そうだよなぁって思える。結局そのときのヒマラヤもアコンカグアでも悪天候だったり高山病にかかったりで登ることができなくて、すごく悔しかったです。けど、うまくいかなかったからこそ、そして現場に実際に行ってみたからこその課題が多く見えてきて。それはそれでよかったんだろうなって今では思います。

 東京に戻ると、当たり前のように3分おきに地下鉄がやってくること、トイレがきれいなこと、みんなが約束どおり待ち合わせ場所にくること、安全な環境の中にいること。山に登るようになって、当たり前だったことに、感謝ができるようになりました。人間関係のもつれも、「違う人だから当たり前だよなぁ」って思えるようになったし、ちょっとだけですけど、成長できているのかなという気がします。

(次回に続く)

リクルートの営業職として活躍後、2006年株式会社ベレフェクト設立。2009年より、日本最大級の営業女性コミュニティ「営業部女子課」を主宰。専門は働く女性や女性営業職の人材育成・キャリア開発。
2009年に株式会社キャリアデザインセンターに入社。求人広告営業、派遣コーディネーターを経て、働く女性向けウェブマガジンの編集として勤務。約7年同社に勤めたのち、会社を辞めてセブ島、オーストラリアへ。帰国後はフリーランスの編集・ライターとして活動中。主なテーマは、「働く」と「女性」。
1986年週刊朝日グラビア専属カメラマン。1989年フリーランスに。2000年から7年間、作家五木寛之氏の旅に同行した。2017年「歩きながら撮りながら写真のこと語ろう会」WS主催。