【国際女性デー】遊郭を女性の視点から描き直した落語家・林家つる子さん 「紺屋高尾」に込めた思い
よく知られる紺屋高尾の粗筋は――。江戸の染め物屋(紺屋)の職人・久蔵が花魁道中で見た高尾太夫に一目惚れ。吉原の遊女でも最上級の高尾に会うために必死に働き詰めて、大金をためる。大金持ちと身分を偽って会いに行くが、ウソを隠しきれず真実を明かすと、高尾から夫婦になってほしいと告げられる。いわば、一生懸命で正直者の男が憧れの女性から逆プロポーズされるという、男性目線から描かれた夢物語だ。それが、2月4日に東京で開かれた林家つる子独演会で、女着物を身にまとい、輝くかんざしを髪にさして高座に上がったつる子さんが語り出したのは、女性の視点から見たまぎれもない遊女たちの物語。女同士のいさかい、孤独、友情、男たちの裏切り……。それまでもっぱら男たちの華やかな遊び場として描かれてきた吉原でたくましく生き抜く女たちの姿だった。
女性落語家にしか表現できない噺に
――人気演目の「紺屋高尾」を今回、描き直した理由はどんなところにあるのでしょう。
林家つる子さん(以下、つる子): 昔から大好きな噺です。でも、なんでだろうって。高尾は引く手あまただったはず。久蔵がいくら誠実だからといっても、たった一晩で一緒になる決断をするなんて。私が女だから、もあると思う。なぜなのか、もっと知りたくなった。
古典落語には、遊女が男を騙すという噺はあります。でも、確固としてあった遊郭の女たちの生活はほとんど描かれてはいない。吉原の映画を見たり、文献を読んだりして調べました。遊女はお湯を沸かすことすら許されず、お湯さえも買わなければいけなかった。そう書かれている本がありました。精神の崩壊、自害……。壮絶な世界だった。高尾が久蔵の誠実さと真実にひかれたのなら、きっとその逆の経験をすごくしていたんだろう。そして高尾自身も傷ついていたけど、それだけではなかったんじゃないだろうか。私はそう思ったんです。
――高尾の親友とも言える珠喜(たまき)という悲運の遊女が登場しますね。これまでも「芝浜」「子別れ」といった演目を描き直してきましたが、今回の「紺屋高尾」は女性の悲しみにより正面から向き合った噺だと感じます。
つる子: あきらめや自信のなさなど、珠喜は私自身の中にもある弱い部分を投影した存在です。支えがあるから頑張れる。でも、その支えがなくなってしまったら……。遊郭のリアルな部分と、そこに生きていた女たちの思いを伝える女性の落語家にしか表せない噺にしようと取り組みました。途中でかんざしを使った演出も入れています。
女性が遊郭の噺をわざわざやらなくていいんじゃないか、そうおっしゃる師匠方もいらっしゃるんです。女を買う男が主人公だからでしょう。それなら、私は遊郭を内側から描いてみようと。改良すべき点はまだまだある。でも、第一歩を踏み出せました。あくまでも諸説あるうちの一つということで演じていますけど、「映画を見たような感覚になりました」「古典落語にはない作り方」といった感想を、女性の方から頂きました。
――いま、私たちが遊女たちの噺を聴く意味はどこにあると考えていますか。
つる子: 自分でお金を稼いでいた女性たち。芯の強さの根っこのところは、今の社会で活躍する女性たちにも通じるものがあるんじゃないでしょうか。遊女たちは仕事で色恋のまねごとをしているんだけれど、人の気持ちってどうしようもできない。彼女たちにも間夫ができて、惚れた振られたの世界になる。こうした恋愛の修羅場は今もあるはず。ここは世代を問わず共感してもらえると思います。
遊女たちの世界って、宝塚歌劇団のようだったのかもしれないなとも思うんですよね。トップになれる人はごくわずか。でも、いろんなタイプの女性たちがいて、みんなで支え合っていた。花魁になるために努力する人もいれば、それは向いていないからっていう人もいただろう。古典落語によく出てくる男をうまく騙す美女とか、あんまり売れていない人だけでなく、いろいろな遊女がいた。人間臭い部分を出したいですね。
――落語家の女性は男性に比べてまだまだ少ないです。中央大学に進学して、落語研究会の学生から声をかけられたことが、落語を始めるきっかけだったそうですね。
つる子: はじめはコントや漫才のサークルだと言われて、勧誘されたんですよ。あとから落語と知ったんですけど、そのときに見た落語に衝撃を受けてしまったんです。古典って今でも面白いんだ、若い人でも出来るんだって。2年生の時に「策伝大賞」という学生の全国大会に出たら、審査員特別賞を頂いてしまって。まさかの結果だったんですけど、その大会には面白い学生がたくさん来ていて、すごく刺激を受けました。落語を突き詰めたくなっちゃった。就職活動と卒業公演をてんびんにかけたら、卒業公演を頑張りたい。女性の落語家の方はすでにいるし、道が閉ざされているわけではない。それなら落語家になろうと思いました。
――卒業から弟子入りまで半年ほどかかっていますね。
つる子: 女性は弟子に取らない、という師匠方はたくさんいらっしゃいます。どう教えていいのか分からないから、と。そんな中で、私は寄席で見た(九代目林家正蔵)師匠の高座に心をつかまれた。テレビのイメージが強かったけれど、古典落語を真摯にやっていらっしゃって。女性の弟子を取られたという噂も聞いて、弟子入りをお願いしました。
入門してから前座だったころは、高座に上がると、「女が出てきたよ!」というお客さんの目が怖かった。でも、「コイツは頑張っているなと、思っていただかないといけない」と気合を入れてやってきたつもりです。女性の前座が増えていた頃でもありましたね。(蝶花楼)桃花姉さんの存在が大きかった。女性落語家だけの落語会も増えていきました。いろんなタイプがそろってきたからでしょう。段々と土壌が耕されて、女性落語家もやりたいことをやっていいんだって、思えるようになってきたんです。
――高座でのガッツに驚きます。ハプニングで外から大きな音が入ってきた会場でも、「負けないぞ!」と頑張っている高座もありましたね。やり切る強さはどこから。
つる子: コロナ禍になって、自分のなかで変化がありました。この状況で、足を運んでくださるお客さんはわざわざ時間を割いて、特別な空間を求めてくださっている。そういうお客さんたちに満足してもらえるよう、常に全力を出し切れる私になりたかった。
この間に、父と母が体を患ったこともあります。話す機会がすごく増えて、こんなにも応援してきてくれたんだと改めて感じて、自分の道を貫かなければという気持ちがより大きくなった。母の陰に隠れがちだった父とも、いろんな話をした。「芝浜」の勝五郎がおかみさんのどこにひかれたのかなんて。「なにげない部分」とか「笑った顔が好きなんじゃないか」とか。それでそうかと納得して、私の「芝浜」のなかに入れています。
父は去年の3月に亡くなりました。実はその日の夜も落語会があったんです。さすがに行かなくていいだろうと周りの人は言ってくれた。でも、酸素吸入器をつけて、ベッドからなかなか動けない体の状態になっても「落語を優先してくれ」。父はずっとそう言ってくれていた。それで、「ここで行かないのは違う」と、落語会に行ったんです。二席のうち、最後の一席は「ねずみ」にしました。違う噺を考えていたけど、父がだんだん良くなってきたねって言ってくれていた演目だったから。家族のおはなし。感極まってしまったけれど、なんとか最後までやり切れた。その時、ずっとこの仕事をやっていこうという覚悟が生まれました。
――明るい高座の裏で、つらい体験をしていたとは。
つる子: 落語に救われたんです。鬱々とした気持ちがあっても、高座に上がってしまえば登場人物の明るさにすごく助けてもらえる。大丈夫かもって思えてくる。特に自分なりの工夫をした「反対俥」という演目はそうでした。明るい気持ちになって、高座を降りられた。見ていて同じ感覚になってくれる人がいてくれたら。世の中はつらい思いをしている人たちの方がずっと多いはず。誰かの気持ちに寄り添えるかもしれない。たとえ人数は少なかったとしても、私の落語で嫌なことを忘れられた、救われたという方がいるのなら、全力でやれる。頑張れる。コロナ禍で「誰かのために」という思いが私の原動力なんだって気づきました。
「無駄な経験はひとつもない」
――噺家として古典も新作も改作も手がける。どんな未来図を描いていますか。
つる子: 真打になり、堂々と胸を張って寄席のトリを務められるひとになること。そして、まだまだ不完全ですけど、いろいろ取り組んでいることが実を結んでいくようにと思っています。「頭でっかちにならず、いろんなことに挑戦しなさい」。そう言ってくれた師匠の言葉もすごく大きい。だからこそ、芯を強く持ってなきゃいけない。「芝浜」「子別れ」「紺屋高尾」と続けてきた、おかみさんや遊女を主人公にした噺をブラッシュアップして確立させていく。ここ10年、15年の大きな目標の一つです。
――週刊少年ジャンプに連載中の女性が主人公の落語漫画「あかね噺」の読者が集まる落語会にも出演しました。落語はこれから若い世代にどう広まっていくと思いますか。
つる子: 落語の良さは伝わる、と思いました。知る機会は少ないけれど、知ったらのめり込むか、日本にこんなに素敵な伝統芸能が残っていたのかと思ってもらえるんじゃないか。落語の魅力は、昔も今も人の感情って変わっていないんだって感じられることだと思う。落語は人に寄り添ってくれる。いかに落語を発信していくのか。おこがましいですけど、そこに貢献していけたら。
――年女ですね。噺家としての成長と、これからの女性としてのライフステージをどのようにイメージしているか教えてください。
つる子: 結婚を無理にしたいとは思っていません。師匠のおかみさんには「一回はしてみた方がいい」って、言われているんですけどね。いろんな形がある。出産は女性だからこその経験だからしてみたいとは思います。でも、それも絶対ではないですね。自分の気持ちに素直に生きていきたい。ムダな経験って一つもないと思うから。たとえば、仮に絶望を経験したとしても、その時はつらいけど、きっと何かを高座に還元できる。これを絶対にしたい、したくないということではなくて、これからどんな経験をしたとしても芸に生かしていけたらいいな。
●林家つる子(はやしや・つるこ)さんのプロフィール
1987年、群馬県高崎市出身。中央大学文学部を卒業して2010年、九代目林家正蔵に入門。15年に二ツ目昇進。3月8日に日本橋劇場(東京都中央区)で開かれる国際女性デー落語会「春夜恋~林家つる子・桂二葉二人会」に出演。1カ月のアーカイブ付き配信視聴はサイトから
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