ドムドムハンバーガー社長・藤崎忍さん、専業主婦から39歳でギャルの聖地に初就職!
渋谷109のアパレルショップ店長へ
──39歳で初めて働きに出たと聞きました。それまでは何を?
藤崎忍さん(以下、藤崎): そもそも短大を卒業してすぐに結婚し、専業主婦をしていました。夫は地方議員だったのですが、39歳のときに選挙で落選。ほどなく心筋梗塞で倒れてしまったんです。当時、私立中学に通う息子がいたので家計を支えねばならないと働きに出ることにしました。
──人生で初めての就職先は渋谷109のアパレルショップだったと。
藤崎: 知人から紹介してもらい、渋谷109のアパレルショップで店長として働き始めました。当時はギャル全盛期。政治家の妻であり娘でもあった私がいた保守的な環境とは、まったく異なりました。まさに異世界。
“渋谷ギャル”が固定観念を壊してくれた
──当時、一緒に働いた店員のギャルとは、今も交流があるそうですね。年齢も文化も異なる同僚と、どのようにコミュニケーションを取っていましたか?
藤崎: 私は初めての仕事。娘ほどの年齢の彼女たちが先輩にあたるわけです。当初はレジの打ち方とか、ゴミをどこに捨てるのかといったことを教えてもらっていました。そのうちに、渋谷の文化をよく知っている師匠のような存在に、彼女たちが思えたんです。だからリスペクトしたし、私はいろいろなことを教えていただく立場、という姿勢でいましたね。
彼女たちは、見た目が派手だったり言葉遣いが荒かったり、夜遊びもしちゃう。けど、一緒に働いていると一生懸命な姿や誠実さ、優しい部分があることに気づかされました。そんなキラキラな様子を素敵に思っていましたね。そうこうしていると、とても仲良くなれ、楽しく仕事をすることができました。
──渋谷109での仕事で、いまに繋がる価値観の変化はありましたか。
藤崎: 政治家一家で暮らしてきた私の凝り固まった価値観を、彼女たちが全部壊してくれたと思います。“人は見た目だけではわからないこと”“物事を多面的に捉える必要性”、そして“こだわらない心”について学びましたね。大きな転機でした。
アルバイト情報誌で見た居酒屋へ…
──藤崎さんが入社して数か月でアパレルショップの売り上げは20%ほど上がり、一年を待たずして専務になられます。その後、5年で年商は2倍になったにもかかわらず、小料理屋へ転身されます。
藤崎: アパレルショップの経営方針が変わって、辞めざるを得なくなったんです。退職をきっかけに起業して、109に自分のお店を持とうかとも考えましたが、そこは渋谷の聖地。出店したい企業が長蛇の列をなして審査を待つような状況でした。
待っている間にアルバイトをしようと思い立ちましたが、その当時44歳。「PCなどのスキルのない私にできることは、お料理かな」と飲食店で働くことを決めました。そこで、駅構内に置いてあったアルバイト情報誌で見つけたお店に面接を受けに行き、新橋の居酒屋で働くことが決まったんです。
アルバイトを始めて4か月ほど経ったときに、常連さんが「斜め向かいの場所に空きができたから、自分でお店を出しなよ」と教えてくれて。起業するならアパレルじゃなくてもいいかなと思って、渋谷109時代の退職金を使って、自分の居酒屋を新橋に出しました。
──居酒屋での「起業」を目指されたのは、何か理由があったのでしょうか。
藤崎: 経営者になりたいという気持ちはなくて、必要に迫られた結果でした。夫は脳梗塞を併発していて、要介護4・身体障害者1級と日常生活におけるほとんどに介助が必要な状況でした。私立校に通う息子がいることも考えると、社会人経験が乏しい私が、その年齢で会社員として就職したところで、家族を養えるだけのお給料はいただけないと思ったんです。起業を決意してからは、人生で初めて事業計画書を持って人を説得したり、銀行に融資をしてもらうための相談に行ったりといった経験を積みましたね。
ありがたいことに居酒屋は開業から半年で予約無しでは入れないお店になり、オープンから1年半後には2店舗目をオープンさせました。
経営者になりたい気持ちはなかった
──起業された居酒屋を、人気店にするためにどのような工夫をしていましたか。
藤崎: 何においても心を尽くすことです。与えられた役割に一生懸命になれる性分なので、渋谷109でも居酒屋のアルバイトでも、せっかく来てくださるお客様に喜んでいただこう、と夢中になって目の前の仕事に取り組んでいました。
お店に来るお客様は何を求めているのか、銀行の融資担当者の方は何を知りたいのか――。心を尽くすには、想像力が必要です。自分がいいと思うことを実行するだけでは、心を尽くすとは言えないと身を持って学ぶことができました。この経験はいまも役立っています。
後編に続く
●藤崎忍(ふじさき・しのぶ)さんのプロフィール